32.不安も何もかも
美しい青空が広がっている。
雲ひとつない、深くて濃い青い空。
ローヴァイン公爵家の裏庭にあるガゼボで、わたしとレオ様はお茶会を開いていた。
ガゼボは腰辺りの高さで、壁に沿うようぐるりとベンチが据え付けられている。
ベンチより上は吹き抜けになっているから、風を感じられて気持ちがいい。
そんな場所で、わたしはレオ様と隣り合い……ぴったりとくっついて座っていた。
右腕をレオ様の左腕に絡め、距離なく触れ合う。絡めた腕の先は指を絡めるようにぎゅっと繋ぎ、レオ様の肩に頭を預けた。
「リア、それって食べにくくない?」
「いいの」
笑われるけれど、今日はこれでいいのだ。
そう思いながら、空いた左手でクッキーをつまみ、口に運んだ。
一連の騒動が終わったあと、レオ様とお義父様はそのまま視察を続行した。
領地を直接見る大切な機会だし、各街を治める貴族達から話を聞くことも大事だったからだ。
わたしはグレーテと共に先に王都に帰ったから、レオ様と会うのは……二週間ぶりだ。
視察の予定が大幅に崩れてしまったから、仕方ないのだけど。お手紙も毎日のようにくれていたけれど。
でも、寂しい気持ちは生まれてくる。それを我慢していたのだから、こうしてくっついている事くらい、許されるのだ。
「昨日、グレン殿下に会ってきてさ。顛末を色々聞いてきたよ」
「わたしよりも先にグレン殿下に会いに行ったなんて、妬けてしまうわ」
「ごめんね。領地から戻って、そのまま王宮に上がっただけだから」
分かっているけれど、一言拗ねたくなるのも仕方がない。
今日はもう、いいのだ。自分をとことん甘やかすと決めたのだから。
「スヴェン元殿下は王籍剥奪のうえ、パウラ嬢と一緒に懲役刑を受けることになった。北方騎士団で監視を受けながら十五年の下働きをするんだけど、戻ってこれるかは怪しいな」
「すぐに処刑されなかったのは温情ね。生きて王都に戻ってこられても、生きにくくなっているでしょうけれど。パウラさんは……どれだけ生きられるの?」
「長くはないだろうね。あんな魔道具を使うから」
パウラさんの腕で輝いていたバングルを思い出す。
聖属性の魔法以外は使えない、聖女だったパウラさん。神殿を出た時に聖属性を封じられているから、彼女は魔法を一切使えなくなっているはずだった。
それを無理やり使えるようにしたのが……あのバングルだ。
あれは使用者の命を魔力に換算して、魔法を使えるようにする禁忌の魔道具だ。
しっかりと学んでいれば、そんな魔道具に手を出すこともなかっただろうに。
「ギルベルト様は?」
「盗賊団の元締めだったわけだからね。友人だという辺境伯の息子と共に、重い刑が科されたよ。全てが明らかになり次第処刑されるそうだけど、毒杯が貰えるかは怪しいね」
「アルドリッジ公爵家も大変ね」
「あまりにも被害者が多いからね。刑自体は向こうで執行されるけれど、この国との兼ね合いもあるし……頭を悩ませることが多いんじゃないかな」
あの三人は、自分の欲のままに動きすぎたのだ。
自分の願いを叶えようとするのは、別にいい。幸せになりたいと、欲しいものを手に入れたいという願いは、誰にでもあるものだから。
でも、そのやり方がまずすぎた。
どうして努力をしないのか。
手に入っていないものを、手に入るはずだったものが奪われたと曲解するのはいただけない。
パウラさんもスヴェン元殿下も、真面目に努力を重ねていれば……きっとこんな顛末にはならなかった。
ギルベルト・アルドリッジについては、もう思うことは何もないけれど。
レオ様がわたしの口元にクッキーを寄せてくる。
躊躇うことなくそれを口で受け取ると、ほろほろと崩れるクッキーの優しい甘さに顔が緩んでしまう。
「今日はずいぶん甘えただねぇ」
「いいの。……そういう日もあるの」
くすくすと笑うレオ様は、わたしの好きなようにさせてくれている。
きっと、分かっているのだろう……わたしの、心の内を。
怖かった。
レオ様が死んでしまったかもしれないという恐怖が、まだわたしは拭えないでいる。
一報を聞いた時、公爵家でお義母様と話した時、領地に向かう時……本当は、ずっとずっと怖かった。
戻る自信があるなんて、嘘だ。
レオ様がいなくなるのを信じたくなくて、強がっていただけだ。
「……怖かった」
「うん」
「レオ様が死んでしまったんじゃないかって」
「ごめん」
「現地に入るまで、ずっとずっと不安だった」
「うん」
レオ様が生きていると伝わるまでの、あの数日間のことは忘れられない。
今でも夢に見てしまうのだ。
だから、レオ様から離れられない。
この温もりが幻でないようにと、離れていかないようにと、くっついていないと不安なのだ。
「……わたし、完璧な淑女にはなれていないわ。昔から何も変わっていない。……臆病で気が弱いままだって、思い知らされたみたい」
そう零した瞬間、わたしはレオ様にぎゅっと抱きしめられていた。
「愛してる」
「……知ってるわ。でも、不安になってしまうの」
レオ様がわたしを抱きしめる力が強くなる。苦しいのに足りなくて、わたしも彼の背に両腕を回して抱き着いた。
きつく、強く、離れることのないように。
「臆病だった幼い時のリアも、自信を持って凛とした女性に成長したリアも。俺の前でだけこうして不安を零してくれるリアも……全部愛してるよ」
「わたし、まだずっと臆病だわ」
「臆病が悪いことじゃないよ。リアはそれを受け入れて、少しでも不安を無くすようにと努力を重ねられるから。それが自信となっているって、君も分かっているでしょ」
「……でも、この不安は消えてくれないの」
自分に関することなら、どうにでもなったのだろう。
でも、レオ様を失うかもしれないという不安は……消えてくれない。
「それだけ俺の事が好きなんだから、仕方ないよ。だからさ、少しでもその不安が薄れるように俺は君の傍に居続けるし、ずっと気持ちを伝え続けるよ」
「……レオ様の愛を疑っているわけじゃないって、それだけは知っておいてね」
「分かってる」
そう言いながら、レオ様はわたしに頬擦りをする。
擽ったいけれど嬉しくて、少しずつわたしの体から力が抜けていくのが分かった。
「……グレーテが、レオ様の執着なら地の底からでも戻ってくるって言っていたわ」
「はは、正解。……でももし、これが逆の立場だったとしたら。行方不明になったのがリアで、それに何者かが関与していたら。俺は……全部滅ぼしていたかもしれない。だからリアの不安も分かるんだ」
「過激ね」
「仕方ないだろ。リアが俺のすべてだから」
レオ様は掠れた声で笑って、わたしの髪に口付ける。
でもそれだけじゃ足りなくて、わたしは顔を上げた。近い距離で、琥珀の瞳におぼれてしまいそう。
唇が重なる。
その熱に、不安がほんの少しだけ溶けていくのを感じていた。
不安と同じくらい、愛していると伝えよう。
この気持ちも何もかも、レオ様のものだから。




