30.天才
「リアは離れていて」
「ええ、気をつけて」
ゆっくりと繋いでいた手が解かれる。折角触れ合えたのに、離れるのが名残惜しいと思ってしまう。
それほどに恋しかったのだ。ただ会えないだけじゃなかったから。
わたしはレオ様達からそっと離れ、グレーテの隣へ向かった。
彼女は安全そうな場所に居て、わたしが近付いたのを見計らって防御魔法を展開している。
何か飛んできたとしても、守ってもらえるだろう。
「三人を前にして、随分余裕の表情だな」
「人数が多ければ優位というわけじゃない。君達のことは脅威に感じないな」
微笑を浮かべているけれど、レオ様が怒っているというのは伝わってくる。
言葉も別に煽っているわけではないのだろうけれど、ギルベルト様が眉間に皺を寄せたのが見えた。
「嬲り殺されても文句は言うなよ。……やれ!」
ギルベルト様の号令に、パウラさんとスヴェン殿下が動き出す。
パウラさんは黒蔦を伸ばしてレオ様を拘束しようとして、スヴェン殿下は巨大な氷の槍を展開している。
そしてギルベルト様の足元には──大きな魔法陣が描かれていた。
魔法陣から立ち上る、魔法言語。美しささえ感じるほどの魔法式に、ほうっと吐息が漏れた。
「ティアナ様の魔法式を思い出すわ。これだけ美しい魔法式を描けるなんて、ギルベルト様も魔法の才があるのね」
「でもあんなに大きな魔法だと、私達まで巻き込まれそう。ちゃんと調整してくれるのかしら」
「ふふ、レオ様がいるのだから心配ないわ」
グレーテは胸元のブローチの場所を直している。
彼女は心配そうな言葉を口にする割に、その声色にも表情にも焦りの色は見えない。
わたしも同じ気持ちでいる。
レオ様は、負けない。
ギルベルト様の魔法が発動する。風魔法と火魔法を組み合わせた、大きな炎竜が生まれ出でる。白い炎から顕現した竜は、咆哮を響かせた。
びりびりと空気が揺れる。魔力の余波に当てられて、わたし達はたたらを踏んだ。
「グレーテ、大丈夫?」
「ええ。……すごいわね、あの竜。でも少し焦っているんじゃない?」
「あれだけの魔法を使わなくちゃ、レオ様を倒せないと分かっているんだろうけれど……あんなに派手な魔法を使っていいのかしら」
「人が集まることを考えていないのか。全部殺せばいいと思っているのか」
「どちらにせよ……色々残念ね」
わたしは開いた扇を口元に寄せ、溜息を隠した。
数で押せば勝てると思っているところも、周りを気にしないところも。力任せに全てを解決しようとするなんて、何もかもがいただけない。
もしギルベルト様がわたしを求めているのだとして、そんな人にわたしが靡くとでも思っているのかしら。それなら心外だ。
わたしの意思を無くしてしまって侍らそうとしているのなら、腹立たしい。
パウラさんの黒蔦がレオ様の両足と両腕に絡みつく。先程わたしに伸ばしていたのよりも太くて強そうな黒蔦だった。手応えを感じたのであろうパウラさんが、にやりと笑ったのが見えた。
それを見計らったのか、スヴェン殿下が氷槍を放つ。
更にギルベルト様の炎竜が激しい火炎を吐き出した。
三人の魔法がレオ様を中心にぶつかり合う。
激しい衝撃と立ち上る火柱が、グレーテの防御魔法を揺らしていく。
炎と触れ合った氷槍から溢れた水蒸気が、霧となってその場を包み込んだ。
「くくっ、大口を叩いてこのザマだ。驕り昂る者が、最期に悔い改めるだけの時間があったかも怪しいな」
ギルベルト様の高笑いに、つられるようにスヴェン殿下とパウラさんも笑っている。
霧が濃くて三人の様子は見えないけれど……きっと、滑稽なお顔をしているのだろう。
「ギルベルト様、騒ぎになる前にエミリア様と一緒に居るあの女も……」
「そうだな。パウラ、君はエミリア嬢を捕まえろ。グレーテ嬢の始末はスヴェン殿下に任せる」
パウラさんの進言にギルベルト様が応えている。
それを耳にしたわたし達は顔を見合わせてしまった。
「グレーテ、大変。わたしは捕まってしまうんですって」
「私なんて殺されてしまうみたいだけど。それよりも、怯えていた方がいいかしら」
一度言葉を切ったグレーテが、霧の発生地帯であるレオ様へと目を向けた。
彼の姿は深い霧に包まれたままで見えない。
「あなたを捕まえるなんて発言を聞いて、あの男が大人しくしているわけがないもの。怯えるだけじゃ足りなさそう」
その瞬間、強い風が巻き起こった。
霧を全て飲み込む風は渦を巻き、竜巻となって空高くへと霧を吹き飛ばしていく。
霧が晴れたその後に姿を現したのは、拘束もなく無傷でいるレオ様だった。
「なに……っ!?」
ギルベルト様が驚愕の声をあげる。
パウラさんとスヴェン殿下も愕然として、数歩後ずさった。
「リアを捕まえる? 戯言も程々にしないと……命を縮めるぞ」
レオ様の琥珀の瞳が、色を濃くして輝きを増す。
彼の周りが歪んで見えるのは、高濃度の魔力が溢れ出ているからだろう。
レオ様の髪留めが壊れて、地に落ちた。自由になった長いピンク色の髪が魔力の風に遊ばれている。
「くそっ、もう一度だ!」
ギルベルト様の声に応えて、パウラさんとスヴェン殿下がまた魔法を展開する。
顔色は悪いけれど、今ここでやらないと自分たちが殺されると理解しているのだろう。
ギルベルト様の足元にも、また大きな魔法陣が描かれる。
「同じものは食らわない」
そう言ったレオ様が指をパチンと鳴らす。
それだけだった。その動作だけで──三人が展開していた魔法は霧散する。
「は!?」
「なんで!!」
「俺の、魔法が……」
三人とも驚いているけれど、わたしとグレーテからすれば当然のことだった。
だって三人が相手にしているのは、レオシス・ローヴァイン。魔力操作の天才だもの。
「一度受ければ魔法構築が分かる。それを崩すのなんて簡単だろ」
当然とばかりにレオ様が言うけれど、わたしとグレーテは苦笑いだ。
「一瞬で魔法構築を理解するのなんて、常人にはできないのだけど」
「それもだけど、理解するために魔法をくらって、無傷でいるのもおかしいのよ」
理論は理解できる。
でもわたし達には絶対に出来ない。
だからギルベルト様達が呆然としているのも当然なのだ。
「さて、お返しだ」
レオ様は涼しい顔で、踵を石畳に打ち付ける。
魔法詠唱も何もない、ただそれだけで──彼の周りには魔法陣が三つ展開される。
一つは、黒い蔦。
もう一つは、氷の槍。
そして最後の一つからは、炎竜が顕現した。
「……化け物か」
ギルベルト様の声が震えている。
それを耳にしたレオ様は低く笑った。
「リアに手を出したんだ。その身が滅びても文句は言えない。……悔い改めるだけの時間が、あるといいな?」
翳りを帯びた笑みで魔法を放つレオ様の瞳だけが、ぎらぎらと光を放っていた。




