23.善意か、そうでないのか
馬車がローヴァイン領に入ったのは、出発した翌日の夜のことだった。
本当なら丸二日はかかる道のりだ。かなりの強行軍になってしまって疲れているだろうに、侍女も護衛もわたしを気遣ってくれるのがありがたいと同時に……心苦しくなってしまう。
それは、同じ馬車に同乗しているグレーテに対しても。
わたしが、早く現場に着きたいから。
早く現地で、レオ様の安全を確認したいから。
その気持ちを汲んで、皆が移動してくれている。
わたし一人なら、夜通し馬車を走らせていたかもしれない。
最低限の休憩だけとって、馬を替えて、皆に無茶をさせていたかもしれない。
逸る気持ちを抑えられているとは言わないけれど。無理をしないで済んでいるのはグレーテが一緒に来てくれているからだろう。
わたしが思い詰めていると、明るい話題を提供してくれる。
食事が喉を通らなくても、食べやすいものを提案してくれる。
宿でわたしが眠りに落ちるまで、お喋りをしてくれているのを知っている。
そんな彼女に、わたしは──甘えてばかりだ。
「……グレーテ、ごめんなさい」
ローヴァイン領に入って、また次の日の朝。
ここ数日の自分を振り返ったわたしは、もう情けない気持ちでいっぱいだった。
馬車の中でクッキーを口にしているグレーテは、肩下までの綺麗な黒髪を揺らしながら首を傾げた。
「なぁに、急に。どうしたの?」
「わたし、あなたに甘えてばかりで……申し訳なくなってしまって」
「なんだ、そんなこと」
くすくすとおかしそうに笑ったグレーテは、持っていたクッキーをわたしの唇に押し付けた。
口を開けると、遠慮もなしにクッキーを放り込まれる。
ほろりと解ける、優しい食感のクッキーは昨夜お世話になった宿で販売されていたものだ。
ローヴァイン領の特産品であるオレンジが、マーマレードになって練りこまれているらしい。
「……美味しい」
「ね。今度は旅行で来たいくらいに、いい所だわ」
グレーテはそう言いながら、自分もクッキーを一つつまむ。
美味しい、と頷いてからわたしへと顔を向けた。
「何か思い悩んでいるとは思っていたけれど、ちょっと予想外だったわね」
「そうかしら……」
「ええ。レオシス様のことを考えていたと思ったのに、私のことを考えてくれていたなんて」
「もう、茶化さないで」
冗談めかすグレーテは、いつも通りだ。
わたしの都合に付き合わせて、遠くまで連れ出してしまっているのに。
「気にしないで、と言ってもあなたは気にしてしまうんだろうけれど」
一度言葉を切ったグレーテは、わたしの頬に片手を添えた。
隣から覗き込むように、わたしを見る眼差しはひどく優しい。
「エミリアに甘えてもらえているなら、私はとても嬉しいのよ。あなた一人なら無茶をしてしまうから、それを止めるつもりで来ているの。私がやりたくてしていることに、エミリアが謝るようなことは何もないのよ」
「でも、それじゃあわたし……あなたにずっと甘えてしまうわ」
「いいじゃない。私はあなたの親友なのよ。こういう時こそ甘えてもらわなくちゃ。もし私が困った時には、あなたが助けてくれるでしょ?」
「それはもちろん」
グレーテに何かあれば、わたしのすべてを使ってでも彼女を支えたいと思う。
悲しいことがあればそれを共に背負いたいし、傷つけるものからは遠ざけたい。
当然とばかりに頷くと、グレーテは声を上げて笑った。
「ふふ、ありがとう。困った時はお互い様、ってやつね」
「……ありがとう、グレーテ」
「どういたしまして」
先程まで、胸の奥に巣食っていたもやもやとした感情がすうっと消えていくのが分かった。
迷惑をかけていないか。無理をさせていないか。
ずっと気になっていたのだ。わたしの我儘に付き合わせているという負い目もあった。
でも、グレーテと話すことでその気持ちが少し落ち着いたような気がする。
逆の立場なら、わたしも絶対にグレーテについて行くし、ひたすらに甘やかしたいと思う。
だからきっと、今はこれでいいのだ。
「大好きよ、グレーテ」
わたしは隣に座る親友の肩に頭を預けて、そう囁いた。
彼女が笑う度に肩が跳ねる。グレーテは立てた人差し指を自分の口元に当て、悪戯に片目を閉じた。
「レオシス様には内緒にしておいてあげるわね。私もまだ命は惜しいもの」
それがあまりにもいつも通りで。
遠ざかっていたような学園の景色を思い起こしてくるものだから、なんだか泣きたくなってしまう。
誤魔化すように、わたしも笑った。
***
「ねぇ、エミリア。ギルベルト・アルドリッジ様のことなんだけど……」
グレーテがそう切り出したのは、現場に向かう馬車の中でのことだった。
わたし達の乗る馬車は、レオシス様が事故に遭う直前に訪れた街──カーロフから、次の街に向かうための山道を進んでいる。
「ギルベルト様がどうかした?」
「それがね、何も出てこないの」
「何も出てこない……とは?」
なんとなく声を潜めたわたし達は、隣り合う座席で身を寄せ合った。
馬車の中にはわたし達しかいないし、馬で並走する護衛に聞こえる距離でもないのだけど。
「どう考えても怪しいじゃない? 善意なのかもしれないけれど、わざわざあなたの家までやってきて援助を申し出るなんて」
「まぁ、そうね」
「で、調べたんだけど……怪しいところがないのよね」
では本当に、ただの善意だったのだろうか。
ティアナ様の件で慰謝料を払おうとしていたのを、わたしもレオ様も遠慮したから、その代わりに援助を申し出ただけなのかもしれない。
「王宮にやってきていたのも本当。正式な打合せだというのは前に伝えたわよね」
「ええ」
「その打合せも、だいぶ前から決まっていたもので……この事故に合わせてやってきたわけでもないのよね。辺境に友人がいるというのも本当だったし……怪しいわりに、怪しくなかったというか……」
ギルベルト様が今回の事故に関与しているとは思わないけれど、違和感を感じてしまったのも事実だ。
でも、ただタイミングが良く重なっただけなのかもしれない。
それならそれでいいのだけど……。
「随分歯切れが悪いわね?」
グレーテは何かが引っかかっているらしい。
「これ、という何かがあるわけじゃないのよ。ただ私が、ティアナ様の兄君っていうだけで、警戒しているのかもしれないし。なんだか……もやもやするのよね」
「あなたがそう言うのなら、きっと何かがあるんだわ。わたしも警戒するけれど……でもまぁ、もう会うこともないでしょう」
「それもそうね」
そんな話をしているうちに、馬車が減速する。
現地に到着したみたいだ。
わたしは先程侍女に結んでもらった、編み上げブーツの靴紐が解けていないか確認した。
身に纏うのは軽いワンピース、金髪は高い位置で結んである。
土砂崩れの現場だから、少しでも動きやすい恰好がいいだろうと思ってのことだ。
馬車が止まる。
わたしは深呼吸をしてから、馬車の扉が開くのを待った。
土の匂いがする。
鳥のさえずりが遠くで聞こえる、山の中だ。
護衛の手を借りて、馬車から降りる。
顔を上げて、わたしは驚きに目を瞠った。
救助作業をする人々の近くに立っていたのは、今話題に上がったばかりの──ギルベルト様だったからだ。




