22.公爵領へ向けて
ローヴァイン公爵家でわたしを迎えてくれたのは、ひどく憔悴したレオ様のお母様だった。
背筋は伸び、毅然とした態度をとってらっしゃるけれど、顔色が悪い。気力だけで立っているのが伝わるほど、痛ましい姿だった。
「お義母様」
「ああ、エミリアちゃん。来てくれたのね……」
家令や侍女たちに促され、わたし達はサロンのソファーに腰を下ろす。
お義母様の隣に座ったわたしは、彼女の肩にそっと腕を回した。
「一報は先程?」
「ええ。だからまだ他に情報が入っていないの。無事であると信じたいけれど……」
「レオ様とお義父様がご一緒なのですもの。二人ならどんなに困難があっても帰ってこられますわ」
「そう、そうよね……。だめね、弱気になってしまって」
いつもなら大輪の華のような雰囲気を醸し出すお義母様が、今はひどく気落ちしている。
微笑もなく、余裕がないのが見てとれるほどに。
ぽろぽろと静かに涙を零すお義母様の頬を、ハンカチでおさえながらわたしは微笑みかけた。
「お義母様、わたしが現地に行って参ります」
「……エミリアちゃんが?」
「はい。わたしが向こうで調査をしますので、情報が入りましたらすぐにお義母様にご連絡しますわ」
「それは、ありがたいけれど……」
愛する人を失うかもしれない。
その恐怖から、お義母様が弱気になっているのが分かる。
出来ることなら、今すぐ寝台に潜り込んで泣き叫んでしまいたいだろう。
わたしも同じだから、気持ちはよく分かるのだ。
でも──
「お義母様、これは公爵家の有事ですよ。いま立つのはお義母様以外にありません」
これを機に、ローヴァイン公爵家の瓦解を狙う者がいないとも限らないのだ。
お義母様のように公爵夫人であれば、わたしのように次期公爵夫人となれば、悲しんでばかりはいられない。
「そうね……。ありがとう、エミリアちゃん」
「泣くのは無事の報せを聞いてからにしましょう」
「ふふ、これだけ心配させたのだから、旦那様にはたっぷり償ってもらわないと」
「その意気です」
深く息を吐いたお義母様は、一度目を伏せてからすぐに顔を上げた。
その表情は既に社交界を牛耳っている、大輪の華へと変わっていた。
「エミリアちゃん、現地のことは任せるわね」
「はい。情報が入り次第、すぐにお知らせしますわ。わたしがレオ様達と共に戻るのを、お待ちください」
「ありがとう」
やるべきことがあれば、動いていられる。
何か手にしていれば、立ち止まることはない。
幼い頃から教えられていた貴族教育が、いま発揮されているのが分かる。
わたし達には悲しむ前に、やらなければならないことがあるのだ。
公爵領で采配を振るう為の許可をお義母様に一筆書いていただいて、わたしは公爵家を後にした。
視察の日程を記した書類もいただいたから、あとは追いかけていくだけでいい。
残すは……両親の説得だけれど、これはまぁ、なんとか押し通すしかないだろう。
わたしは馬車で揺られながら、小さく溜息をついた。
***
「私は……反対だわ」
ぽつりと言葉を落とした母の顔は、不安でいっぱいだった。
屋敷に戻ってすぐ、わたしは執務室にいるお父様の元へ駆け込んだ。
お父様の方でも、レオ様達の件について情報を集めたりと忙しくしているようだったけれど、いまはわたしが最優先だ。
ローヴァイン公爵領に向かうということ。
次期公爵夫人として、権限を頂戴してきたこと。
何よりも、わたしが駆け付けたいのだと……その気持ちを一心にぶつけた。
父は理解してくれているけれど、同席している母が難色を示している。
母の気持ちも分からないほど、子どもじゃない。
でも、だからといって動かないでいられるほどに大人でもないのだ。
「ちゃんと護衛を連れていくわ」
「でも……」
「エミリアが行きたいと言っているんだ。送り出してやろう」
父が母の肩を抱く。
不承不承なのが伝わるけれど、母はゆっくりと頷いてくれた。その瞳にも、表情にも、心配だというのが隠せていないけれど。
「エミリア、救援物資を手配してあるから向こうで受け入れなさい。危険な場所には近付かない。護衛から離れない。分かっているね?」
「はい」
父の言葉に、大きく頷いて見せる。
危険かもしれない場所に赴くのだから、父の言いつけはしっかりと守るつもりだ。
「ありがとうございます」
「気を付けていっておいで」
「何かあったらすぐに連絡するのよ」
両親の言葉に、わたしへの愛情を感じる。
それに胸が詰まってしまいそうで、わたしはぐっと唇を嚙み締めた。
出立の準備を済ませ、エントランスホールに下りる。
そこに居たのは家族の他にグレーテと……なぜかギルベルト・アルドリッジ様がいた。
先日まで留学をしていた、ティアナ様の兄君だ。ティアナ様が国に帰られる時に、不祥事への謝罪をされたのが、ギルベルト様を見た最後だったのだけど。
どうしてギルベルト様が我が家にいるのだろう。
不思議に思って、階段を下りながら首を傾げてしまった。
「エミリア嬢、急に押し掛けて申し訳ない」
「いえ……。何かご用事でも?」
「ローヴァイン領で事故があったと聞いて、何か出来ることはないかと駆け付けたんだ」
ギルベルト様が、わざわざ?
ティアナ様がしでかした件での謝罪名目だとしても、違和感がある。
ちらりと周囲を伺えば、両親は無表情。キールは困ったように眉を下げている。
グレーテはすまし顔をしているから、きっと何かを知っているのだろう。
「これから国に帰るところだったんだが、国境に面する我が国の辺境伯は私の友人でね。救助への協力を依頼しているんだ」
「それはありがとうございます。ですが、もう充分ですのでお気遣いなく」
にっこりと微笑み、扇を開きながらギルベルト様へ言葉を返す。
気持ちは有り難いが、それを素直に受け入れられるわけではなかった。その意図が分からないなら猶更だ。
「そうか。私は友人のところを経由して帰るから、何かあれば気兼ねなく呼んでほしい」
「ありがとうございます」
あっさり引いてはくれたけれど、これはギルベルト様も調べなくてはいけないかもしれない。
ご友人だという、隣国の辺境伯も。
従者と共に去っていくギルベルト様を見送って、エントランスにはほっとした雰囲気が満ちた。息をついたのはわたしだけでないらしく、わたしはグレーテと顔を見合わせて苦笑いを零してしまった。
「びっくりしたわ。まさかギルベルト様がいらっしゃるなんて」
「ね。次の留学生の件で、王太子殿下と打ち合わせをしていたらしいけれど」
「それは確か?」
「ええ。王宮にいたのも、留学生の件で訪れていたのも正式な訪問よ」
グレーテの言葉にひとつ頷く。
偶然なら、それでいいのだけど。
「うちの者が調べているから、少し待っていて」
「ありがとう」
グレーテの家──メルディン伯爵家は諜報活動に長けている。
彼女がそう言うのなら、すぐに調査があがってくるだろう。
「それで……あなたはわたしと一緒に来てくれるのよね?」
旅装姿のグレーテに問いかけると、彼女は当然とばかりに頷いた。
自分の姿を見せるように、くるりとその場で回って見せる。
「もちろん。私は役に立つわよ」
「居てくれるだけで安心するわ」
「……エミリアが素直。これはレオシス様に自慢しないといけないわね」
「悔しがるまで自慢してあげてちょうだい」
わたしたちのやり取りを見ていたキールが、おずおずと近付いてくる。
ぎゅっと固く拳を握るその様子は、不安を映しているようだった。
「姉さん、お気をつけて」
「ありがとう。あまり心配しないでね」
「それは……無理かな」
「ふふ、そうね。お母さまのことをよろしくね。心配して今にも倒れそうだから」
そう言って両親の方を見ると、苦笑いしているのが見える。
キールの頭をぽんと撫でると、強張っていた体から少し力が抜けるのが分かった。
行ってきますと告げ、わたしとグレーテは馬車に乗り込んだ。
侍女は次の馬車。護衛は馬に乗って、馬車と並走している。
不安がないわけじゃない。
本当は今だって、泣き出してしまいたいくらいに辛いけれど……レオ様がわたしを置いていくわけがない。
それだけを信じて、わたしは真っ直ぐに前を向いた。
体も回復しましたので、本日よりまた投稿を再開します。
大変ご心配をおかけしました。
温かいお言葉をかけていただき、ありがとうございます。




