16.恋が破れても
赤くなったティアナ様の顔に、扇の下で溜息が漏れる。
いつものように相応しいとか高慢なことを言ってくれたらいいのに。
これじゃあ、どこからどう見たって……恋をしているだけじゃない。
「ティアナ様、あなたがレオ様を想っていても、彼はわたしの婚約者です」
「分かっているわ、そんなの。でも……好きになってしまったのは仕方ないじゃない」
「理解なさっているのなら、そのまま諦めてくださいまし」
「な、っ……! そんなの、あなたに指示される筋合いはないわ!」
この会話をレオ様は聞いているのだろう。
一体どんな顔をしているのか。考えたくなかった。
恋をするのは自由だ。
レオ様は素敵な人だから、好きになるのだって分かる。
わたしも同じなのだから。
レオ様の優しさも、強さも、何でも一人で抱え込むところも、何もかもが愛しいの。
でも、それを他の誰かに分け与えるなんて出来ないの。
「叶わない恋を抱えているのは辛いのではないかしら」
「そんな……それは、分からないじゃない」
「分かります。レオ様はわたくしを心の底から愛しておりますので」
ティアナ様がわたしに苦言を呈して、その後はじっと見てくるようになって。
最初はわたしのことが気に食わなくて、わたしが嫌いだから見ていたんだと思う。
でもきっと途中から、わたしの隣にいるレオ様に惹かれてしまったのだろう。
だからあんなにも、憎悪を感じるくらいに湿度の高い視線をわたしに送ってきていたのか。
「婚約者、でしょう? まだ正式に結婚したわけではないし、婚約者のすげ替えなんて珍しいものでもないわ」
「本気で仰っているのですか?」
わたしの言葉に、ティアナ様が唇をかみしめる。ぐっと固く握った拳からも、彼女が諦められないのだと伝わってくる。
だからといって、「好きでいていいですよ」なんて言えるわけがない。
「彼はわたしの真実の愛の相手なの」
「冗談がお下手ですのね。何も面白くありませんわ」
「茶化さないで!」
「冗談じゃないのなら、軽蔑しますわ。人の婚約者に横恋慕して、勝手に真実の愛だなんて仰らないでくださいな」
なんだか頭が痛くなってきた。
扇を持つのとは逆の手で、こめかみを軽くもみほぐす。ちっともよくなる気はしないけれど。
「レオシス様に選んでもらえばいいのよ。きっと彼だって、私を選ぶんだから」
やっぱり高慢なところは変わってなかった。
内心で前言を撤回しながら、首を横に振った。
「貴族の結婚は契約だと、ご存知でしょう? 簡単に結ぶことも解消することもできません。それに、彼がわたし以外を選ぶこともあり得ません」
「そんなことないわ。貴族の婚約だと強調するのなら、彼は私を選ぶべきだもの。国内の侯爵令嬢と縁を結ぶより、他国の公爵令嬢と縁付いた方がお家のためになるわ」
先程までの、恋に恥じらう様子は一体どこに消えたのか。
でもこちらの方がやりやすい。
「わたくし達のことをあれだけ熱心に見つめていて、ご理解されませんでしたの?」
わたしはパチンと音を立てて扇を閉じた。
それを自分の顎先へあてながら、盛大に溜息をついて見せる。
「レオ様がどれだけわたくしを愛しているのかなんて、見ていたらわかるでしょう」
「……気持ちなんて移ろうものよ」
「ふふ。わたくし、愛されている自信がありますの。レオ様の気持ちが他を向くなんて、絶対にありえないって断言できますわ」
わたしにとって、それは当たり前のことだ。
たとえば、夜の後には必ず日が昇るように。
彼の愛を疑ったことなんて、一度もない。
「ずいぶんと傲慢なのね。レオシス様が本当はどう思っているかなんて、考えたこともないでしょう」
ティアナ様が鼻で笑う。
その瞬間、ごうと強い風が吹いた。落ち葉を巻き上げるくらいに強い、渦巻く風。
思わず目の上に手をやって、庇にする。目を開けていられないほどの風だった。
風が遠ざかった気配がする。
ほっと息を吐いて目を開けると、わたしの前にはレオ様が立っていた。
わたしから彼の顔は見えないのに、背中からその感情が伝わってくる。
怒っている。
「アルドリッジ嬢、俺はエミリア以外はいらないんだ」
起伏のない、静かな声。
穏やかなはずなのに、声を聴いて目に浮かぶのは荒れ狂う暗い海。
「で、でも! 家のことを思えば、私と……!」
「リア以外を求めなければならないほど困窮している家なんて、潰れてしまえ」
過激なことを口にするレオ様に、嬉しいけれど苦笑いが漏れる。
「レオ様、ローヴァイン家は困窮していないわ」
「リアはその可愛いお口を閉じていて」
肩越しに振り返ったレオ様は、いつも通りの甘い笑みを浮かべている。
だからわたしは、黙る以外に選択肢はなかった。
「家の利を求めるのが、貴族でしょう?」
「はは、あなたがそれを口にするのか。利を得る為に結んだ婚約者がいるのに?」
「よ、より良い縁を結べるのなら、そちらを選ぶべきですわ!」
「より良い縁と言うなら、リア以外にいないだろう? おかしなことを言うね」
ティアナ様が言い募っても、レオ様はそれを簡単に受け流す。
こういう時に使う、異国の慣用句をグレーテに教えてもらった気がするのだけど……何だったかしら。
そんなことをぼんやりと考えていたら、不意に手を握られた。レオ様に手を引かれるまま、彼の隣に並び立つ。
「とにかく、俺は君の気持ちに応えない。リア以外はいらないから。以上」
「……やっと、真実の愛を見つけたと思ったのに」
「その言葉、俺は嫌いなんだよね。そういう点でもあなたとは感性が合わないようだ」
ティアナ様の水色の瞳が潤んでいく。
ぽろりと零れた涙は、夕暮れを映してきらりと光った。
「わ、わたし、諦めませんわ!」
「いや、諦めて。あんなじっとりした視線を向けられるのも嫌なんだよね」
普段なら、ここまで人を傷つける言葉を選ばない人なのに。
きっとそれだけ怒っているのだろう。わたしを傷つけることにも、想いを一方的に押し付けることにも。
だから、それを咎める気にもならなかった。
ティアナ様は口を開き、言葉を探しているように浅い呼吸を繰り返した。
でも何も言葉を紡げずに、踵を返して走り去っていった。
その背が遠く見えなくなって、わたしは深い息を吐きだした。
なんだか、ひどく疲れてしまった。
「ごめんなさい、レオ様。自分で片を付けられると思ったのに、結局レオ様を頼ってしまったわ」
「いや、リアは充分すぎるほどに気持ちを伝えていたでしょ。何を言っても聞かないんだよ、あの人は」
「そうね……」
これで終わるといいのだけど。
そう願いながら、レオ様の肩に頭を預けた。
レオ様のコロンの香りがする。
胸いっぱいにその香りを楽しんで、ゆっくりと息を吐いた。




