12.実践授業の結果
実践授業は静かに始まった。
演習場は透明なドーム状の屋根に覆われた、円形闘技場の形をしている。
屋根の中央には大きな穴が開いていて、余剰魔力がそこから抜けていく設計になっているらしい。
透明な屋根から見える空は青く、明るい日差しが降り注いでいるのにじりじりと焼けるような暑さは感じない。ここは日焼けもしないのだと、初めて足を踏み入れた時に先生が教えてくださったのを思い出す。
魔法学科に属しているとはいえ、ここにいるのは貴族子女だ。お肌が痛むのは避けたいから、それはとてもありがたい仕様だと思う。
授業内容は、水魔法と風魔法を組み合わせて定着させ、冷たい風を生み出すというもの。
暑い夏には重宝する一般的な魔法だ。教科書にお手本が載っているほどに簡単で、その属性から失敗しても危険が少ないことから、授業ではよく使われるものでもある。
ただ、簡単だからこそ……使い手のセンスが問われるのだ。
お手本をなぞっても問題ない。しかしこの魔法は、魔法式の構築の仕方次第で効率も効果も上がるから非常に奥が深いのだ。
今回のテーマは『使う自分が最も美しいと思う魔法構築をする』というもの。
何を美しいとして、何を求めるか……その全てが自分次第なのだ。
実践は、エレオノーレ様の属するクラスから始まった。
わたし達は壁側の椅子に控え、見学させてもらう。
自分のクラス以外で魔法構築式を見る機会は少ないから、こういった合同授業は楽しい。
それが……エレオノーレ様達だというのは、緊張してしまうけれど、折角なのだから勉強をさせてもらう気持ちでいる。
それはわたしの隣に座るグレーテも同じようで、いつもよりも前のめりになっている。
ううん、グレーテだけじゃない。わたしも一緒。そして、クラスメイト達も。
ドキドキするのは緊張しているからだけじゃない。
それを自覚しながら、わたしは膝の上に置いた扇を握りしめた。
エレオノーレ様の順番が来た。
思わず息を飲んでしまう。扇を握る手にも力がこもって、それは自分で分かっているけれど、力を抜くということが出来ない。
わたし達の視線を感じているだろうに、エレオノーレ様の表情は変わらない。
微笑を浮かべ、緊張している様子は見えない。ゆっくりと指で小さな円を描くその姿は、落ち着いている。
薄く開いた唇から詠唱が聞こえる。
その瞬間、圧倒的な魔力の奔流が円の中から立ちのぼった。
魔力はきらきらとした光に変わり、それ自身が意思を持つかのように魔法式を重ねていく。もうエレオノーレ様は指を動かすことをしていない。
それなのに、美しい魔法陣が完成している。
その魔法陣が光を放った刹那、涼やかな風が演習場を一気に満たして消えていった。
「……すごいわ」
意識とは関係なく、感嘆の声が漏れた。拍手はだんだんと大きくなり、割れんばかりに演習場の中に響いている。
「さすがはエレオノーレ様ね」
グレーテの声にも熱が籠っている。それに頷きながら、わたしは先程の魔法式を思い返していた。
圧倒的な構築式だった。
演習場全てに風を送ることも、その温度も、何もかもが細やかな調整をされている。
わたしにはあんな細かい調整は出来ない。出来たとしても、指を動かさず詠唱だけで組み上げていくことは不可能だ。
そんな難しいことを、平静を保ったままこなしてしまうなんて……憧れてしまう。
わたしは意識して深呼吸を繰り返した。
憧れているうちはいい。自分とエレオノーレ様を比べてしまってはだめだ。
そうならないように、まだ熱に浮かされているうちにしっかりと境界線を引いておくのだ。
わたしはわたし。
わたしが構築するのは、わたしが美しいと思う魔法式。
比べてはいけない。
自分を戒めている間に、先生の講評も終わっている。絶賛になるのも当然という仕上がりだった。
そしてエレオノーレ様の次は、ティアナ様の番だった。
評判は聞くけれど、どんな魔法を使うのだろう。楽しみな気持ちで、胸が高鳴っているのが分かる。
ティアナ様は自信ありげに笑みを浮かべている。
片手を天に真っ直ぐ伸ばすと、大きく二重の円を描いた。
ティアナ様の瞳の色と同じ、空色の魔力線が空中に浮かび上がる。二重の円はそこからたくさんの蔦を垂らし、蔦いっぱいに色とりどりの花を咲かせている。
蔦が魔法式として機能しているのだ。
「わぁ……!」
吐息交じりの声は、演習場の至るところから聞こえた。
それだけ幻想的で、美しい光景だった。
二重の円はティアナ様の体を囲うようにゆっくりと降りてくる。蔦と花が地に触れた瞬間、弾けるように円が消える。その瞬間、演習場の床いっぱいに花が咲き乱れた。
その花たちが揺れる度に、気持ちのいい風が吹く。
風がふくとまた花が揺れ、鈴のような音が聞こえる。
ティアナ様が指を鳴らすと一瞬で花は消え、ただ鈴の音色だけが響いていた。
まるで舞台を見ているようだった。
万雷の拍手の中、感動からか立ち上がっている人もいる。
素晴らしい魔法式だった。
ただ冷たい風を出すというだけじゃない。どうすれば美しいのか、人の心に残るものは何か。美しさを追求したような魔法式だけど、しっかりと涼しい風を生み出している。
魔法センスの良さは、両クラスを合わせても一番なのではないだろうか。
華やかなものを想像しても、それを魔法式で構築していくのは簡単なことではないのだから。
「優秀なのは噂だけじゃなかったのね」
「素晴らしかったわ。わたしでは想像もつかない魔法だった」
グレーテと囁き合い、深く息を吐く。
芸術に触れた時の高揚感が、体に残っている。
でも、切り替えて……自分の番に備えなくてはならない。
わたしのクラスになって、自分の番が来るのはあっという間だった。
素晴らしかったのはエレオノーレ様やティアナ様だけじゃない。
皆、自分だけの『美しい魔法式構築』を披露している。
正直なところ、得意な分野ではない。
でも、出来ないわけじゃない。わたしが積み上げてきた、わたしだけの魔法式を構築するだけだ。
演習場の中央で、わたしは微笑みを浮かべた。
両手の平を揃えて上に向け、そこに意識を集中させる。
手の平に溜まった魔力は光を受けてきらきらと輝き、まるで水面のように見える。
一度息を吐いてから、そっと吸い──詠唱を始めた。
歌うように軽やかに。水面から浮かび上がる魔法陣は二重になっていて、それぞれ水魔法と風魔法を定着させてある。二つ重なった魔法陣はその線を解いて、五線譜を描きだした。
五線譜は、わたしを中心として演習場の中を風と共に自由に伸びていく。
イメージするのは、レオ様と一緒に感じた朝の空気。涼やかだけど、これからの賑わいを感じさせるような力強い風。
詠唱の言葉を魔力を帯びた音として五線譜に拾い、その五線譜を書くことが魔法式構築となっているのだ。
最後の音を歌い終えると、余韻を残して五線譜は光粒となって消えていった。
自分が構築したい魔法式が出来たことに、胸がいっぱいだった。
だから、皆がどんな表情をしているのか気付かなかった。
わぁっと歓声が響く。大きな拍手が演習場の中を満たしていく。
そんな中、先生がわたしの元へとやってきた。講評を下さるためだ。
わたしは礼をして、先生の言葉を待った。
「フューラーさん、とても美しい魔法構築でした。まだ粗さは残りますが、以前よりもずっと洗練されていて、あなたの努力が伝わってきます。音を使って魔法式を書くことは先月発表された論文に書いてありましたが、読んでいたのですね?」
「はい。歌と魔力の調和性について、大変勉強になりました」
「よろしい。これからも努力を重ねていくように」
「ありがとうございます」
次の番を迎えるクラスメイトと場所を交代して、わたしは壁側の席へと戻った。
出迎えてくれたグレーテは、わたしの手をぎゅっと強く握りしめた。
「素晴らしかったわ。ベッドに帰りたいなんて言っていたくせに」
「緊張はするもの。でも上手くいってよかったわ」
「苦手だなんて、もう言えないんじゃない?」
「苦手なものを、そのままにしておかないのがわたしだって……あなたもそう言ってくれたでしょう」
小さな声で、グレーテが労いの言葉をくれる。
失敗したら手厳しい言葉も遠慮しない親友が、こうやって褒めてくれるのだから、大成功だったと言っていいだろう。
たくさん練習してきた甲斐があったし、新しい知識を身に着けてきた甲斐があった。
無事に終わった安心感で、わたしの胸はいっぱいだった。
合同の実践授業も無事に終わり、教室に戻ろうとした時だった。
「エミリア様」
声をかけられ、振り返る。
後ろに立っていたのは、ティアナ様だった。隣にいるエレオノーレ様は少し困った顔をしているように見えるから、ティアナ様がわたしに話しかけるのは予想外のことだったのかもしれない。
「はい、なんでしょう」
「なかなかいい魔法構築だったわ。わたしとエレオノーレの次くらいにね」
「ありがとうございます」
おそらく褒められているのだと思う。
わたしは笑みを深めながら、お礼の言葉を告げた。
ティアナ様は溜息をついて、眉を寄せた。胸の前で両腕を組み、顎を突き出すようにして不満そうな態度を隠さない。
お礼を言っただけなのに、不快にさせるようなことがあっただろうか。
「でも、少し配慮が足りないんじゃない?」
わたしが失礼なことをしたのだろうか。
授業を受けただけで、ティアナ様と言葉を交わすのはこれが初めてなのだけど。
「何か失礼がありましたでしょうか」
「あんな派手な魔法を使うことが失礼だと思わないの? 華やかな魔法を使うのは私だけで充分。この私がわざわざ留学してあげてるんだから、そういう気遣いを怠ってはいけないわ」
「ティアナ、やめなさい。エミリア様、ごめんなさいね。気にしなくて大丈夫だから」
紡がれた文句にわたしが言葉を返すよりも早く、エレオノーレ様が介入してくれる。
「あなたは“優秀な淑女”だって有名だったから、それくらいわきまえていると思ったけれど。これからは気を付けることね」
そう言って、ティアナ様はわたしを追い抜かして去っていく。
エレオノーレ様はわたしに「お詫びはあとで必ず」と言って、その後を追いかけていった。
残されたわたしとグレーテ、近くで見ていたクラスメイト達は全員で顔を見合わせた。
「……何だったのかしら」
「さぁ……。でも、高慢だっていう噂は本当だったわね」
グレーテの言葉に頷いたのはわたしだけでなく、今の様子を見ていたクラスメイトたちもだった。
思わず苦笑いが零れてしまい、扇を開いてそれを隠した。
ついでに、溜息もひとつ。
なんだか嫌な予感がする。
外れてくれることを願いつつ、また零れそうになった溜息を深い吐息に逃がして誤魔化した。




