11.可愛い人
少しだけ開けた馬車の窓からは、規則的な車輪の音が聞こえてくる。
涼やかな風が馬車の中へ入り込み、小さな欠伸をかみ殺していたわたしの頬を一撫でしてから通り抜けていった。冷涼な朝の空気を大きく吸い込むと、まだぼんやりとしていた頭がすっきりとしてくるようだった。
「眠い?」
隣から掛けられた声に目線を上げると、レオ様が穏やかに微笑んでいた。
わたしの肩に回された手に力がこもる。わたしは誘われるままにレオシス様の肩に頭を預けて寄り掛かった。
「少しだけ。昨夜、少し眠れなかったから」
「今日はリアの苦手な魔法式構築の実践授業だもんね」
「何度も復習をしたし、以前よりもよくなっているとは思うんだけど……苦手意識は消えてくれないわね」
いつもの登校時間よりも早いから、学園に向かう道は空いている。
窓から見える景色もいつもと違う。朝の営みを始める人達で賑わい始めているけれど、それでもまだ静かな雰囲気を残している。まるで、優しいささやき声を溶かしたような時間に見えた。
「付き合わせてしまってごめんなさい。レオ様はこんなに早く登校する必要ないのに」
「リアが行くなら、俺も行くよ。別に何時だって構わないから」
「ありがとう」
「着いたらまた練習するんでしょ。俺も付き合うよ」
「いいの?」
「もちろん」
当然とばかりに頷いたレオ様は、わたしの頭をそっと撫でる。髪型が崩れないように気を付けているのだろう、その手つきはひどく優しい。
指先で髪飾りに触れているのが分かる。
レオ様の髪色と同じ、ピンクトパーズで作られた花を模した髪飾り。
「俺が一緒に居たいからね」
「朝早く登校するのも悪くないわね。一緒に居られる時間が増えるんだもの」
「俺としては毎日でもいいけど……可愛い婚約者が頑張りすぎちゃうのはいただけないな」
「レオ様がこうして甘やかしてくれるから、わたしは頑張れるのよ」
「それが俺との未来のためだっていうのは理解してるけどさ」
肩を抱く腕に力がこもる。
わたしの顔を覗き込むように、レオ様が顔を寄せてきた。
琥珀色の瞳が色を濃くしているのが、とても綺麗。
「未来の俺に嫉妬しそう」
チリ……と、炎が爆ぜるような音が、琥珀の瞳から聞こえてきそう。
そんなことを思ってしまうくらい、レオ様の瞳はわたしへの想いを伝えてくれるようだった。
「……もう嫉妬してるじゃない」
「ばれたか」
低く笑うレオ様は、先程までとはうってかわって悪戯っぽく笑っている。
冗談めかしているけれど、それが“ふり”であることをわたしは充分よく分かっている。
長い付き合いだもの。
レオ様が本当に未来の自分に妬いているのなんて、見たら分かるのだ。
自分に嫉妬するくらい、わたしのことが好きで仕方ないのだと……彼の全身がそれを伝えてきてくれるのだ。
胸の奥がぎゅっと苦しく、甘く疼く。
「本当に、可愛い人ね」
そう呟いたわたしは、反論されるよりも早く、レオ様に口付けた。
少しの時間を置いて唇を離すと、レオ様は驚きに目を丸くしている。
その様子さえ可愛くて、わたしは思わず笑ってしまった。
「反省したわ。レオ様との未来の為に努力するのも大事だけど、いま隣に居てくれるあなたが一番大事なんだって」
「……分かってくれたらいいんだけどさ」
そう呟くレオ様の声は、いつもより低く掠れている。
顔を覗き込んでくる姿勢を崩し、座席の背凭れに体を預け直したレオ様は、わたしを強く抱き寄せた。
「ねぇやっぱりこのまま帰らない? たまにはさぼって、俺とゆっくりしようよ」
「魅力的なお誘いだけど、もう着いてしまうのよね。次の週末はうちでのんびりお茶をする予定なんだから、そこまで我慢してくれる?」
「はぁ……婚約者が真面目で嬉しいし、そんなところも可愛いんだけど……仕返しだけはしっかりするから覚悟しておいて」
「あら、怖い」
肩を抱くどころか、両腕でぎゅうぎゅうに抱きしめてくるものだから、わたしは思わず声を上げて笑ってしまった。
***
実践授業は、二クラス合同で行われる。
それは分かっているのだけど……演習場でエレオノーレ様とティアナ様の姿を見た時には驚きに足を止めてしまった。
「先生の都合で、合同実習をするクラスに変更があったんですって」
「それで……うちはエレオノーレ様のクラスと一緒になったってことね」
相変わらずなんでも知っているグレーテが、問うよりも先にわたしの疑問に答えてくれる。
別に競い合うものではない。
他のクラスとの交流も兼ね、それぞれの意識を高めるために合同で実習するだけだ。
それでも……なんだか不安になってしまう。
エレオノーレ様は学生にも関わらず魔法師団からのスカウトがくるほどに、魔法の腕に秀でている。公爵家を継ぐことと、双子の姉であるアンネリーゼ様を支えるために魔法師にはならないと断ったそうだけれど。
ティアナ様は噂に違わぬ優秀さだと聞く。魔力量の多さだけでなく、そのセンスと精密さは現役の魔法師とも遜色ないほどだという。
そんな二人のいるクラスと、合同実習だなんて……緊張してしまうのも仕方がないことだろう。
「エミリア、緊張してる?」
「すごく。出来ることなら、いますぐベッドに戻りたいくらいだわ」
「珍しく弱気ね」
「あら、わたしだって苦手なことくらいあるわよ」
「それを苦手なままにしておかないのが、あなたでしょう?」
「そうだけど……」
演習場でクラスごとに整列するために、歩を進める。
隣を歩くグレーテとの軽口に、少しだけ気持ちも上向いてくる。
そう、苦手なままにしないために、努力を積み重ねているのだ。
昨日までの自分より、少しでも高みに向かうために努力をする。
丸めたくなる背中を引き上げる。胸を張り、少し遠くに目線を向ける。
浅くなりがちな呼吸を、深いものへと意識する。
口元には笑みを浮かべ、自信を持つの。
この努力は、人と競うためじゃない。
レオ様との未来のため。
そう考えた瞬間、今朝の馬車での出来事が思い返された。
未来の自分に拗ねてしまった、レオ様の姿が。
思わずクスりと笑みを零したわたしに、グレーテが気付かないわけもなく。
「ねぇ……いま、レオシス様のことを考えていたでしょう?」
「わたしはいつだってレオ様のことを考えているけれど」
「心配して損したわ。怖いくらいにいつも通りね」
「ふふ、心配してくれてありがとう」
呆れたようにグレーテは肩を竦めて見せるけれど、その声音はいつだって優しい。
先程までの緊張や不安は、いつの間にか吹き飛んでいた。




