38. 実家からの遣い②
家令が辞めた?
思わぬ知らせに、私はしばらく言葉が出なかった。
「……どうして?とても元気そうだったのに」
ようやく執事に尋ねると、彼はますます申し訳なさそうな顔をした。
「実は、お嬢様が嫁がれた少し後に、旦那様と領地の財政状況のことで口論になり……。旦那様が『出て行け』とおっしゃったので、その数日後には館を去られました」
それを聞いて、私は頭が痛くなった。
口論が起きた発端も容易に想像がつく。
家令はお父様たちの散財について苦言を呈したのだろう。その度に、お父様は怒って喚き散らす。
幼い頃から何度も目にした光景だった。
『出て行け』と言う言葉も、感情的になったお父様からよく発せられていた。
その後、家令を宥めるのは私の役目だったのだけれど、私がいなくなった事で、今回は本当に実行してしまったらしい。
「古参の使用人に引き継ぎをして辞められましたが、皆、家令殿に頼りきりだったのもあり、よくわからないことも多く……」
「それで、妻に手伝いをさせようと?随分と勝手な話だな」
旦那様がため息をついた。
執事が慌てて首を振る。
「ぜ、全部ではありません!少し手伝っていただくだけです!見舞いの品を贈る家の一覧の確認と、その手配をして頂ければ」
「……それは、全部やるのと同じですよ」
今度は私もため息をついた。
辞めた家令は、厳しいけれど仕事の出来る方だった。
けれど、自分でやった方が早いからと領政の実務のほとんどを自分でこなしていた。
引き継ぎは一通りしてくれたようだけど、初めての者には難しかったのかもしれない。
「……申し訳ないけれど、力にはなれないわ。私は辺境伯家に嫁いだ身で、こちらの慰霊の日の準備もあるから。お父様だって多少はご存知だろうし、家令と連絡が取れるのなら彼に聞いてみたら——」
「それでは困ります!!」
私の言葉を遮って、執事が叫んだ。
「家令殿に聞いたと知れたら、旦那様がお怒りになります!それに、旦那様にはお嬢様を連れてくるように言われているんです!」
その必死な様子に、私は思わず固まってしまった。
続いて執事は旦那様の方へ向き直る。
「慰霊の日の準備だけでいいのです!その間だけ、お嬢様をお貸しいただければと」
「……貸す、だと?」
旦那様の低い声が部屋に響いた。
初めて聞くその声に、私は思わず背筋を伸ばす。
「アンジェリーナのことを、随分軽く見ているのだな」
旦那様から鋭い視線を向けられた執事の顔が、みるみる青ざめていく。
「あっ……いや、その……」
しどろもどろになり、何か言おうとするが、結局何も言えずに下を向いてしまった。
「——先ほどから聞いていれば、随分と勝手なことをおっしゃいますな」
サイモンが静かに口を開いた。その声も今までに聞いたことがないくらい冷ややかだった。
「そもそも、そちらの領での行事なのですから、そちらで準備を進めるのが筋でしょう。他領へ嫁がれた奥様を頼るのは違うのでは」
サイモンが淡々と言葉を続ける。
執事は下を向いたまま、言い返さない。
「引き継いだがよくわからない?ならば、その元家令殿に連絡をとって聞けばよいでしょう。辞めてしまったとはいえ、残る者に引き継ごうとされた方です。そのくらいの誠実さはお持ちでしょう」
「しかし、それでは旦那様が……」
ようやく執事が口を開いた。
「伯爵ご自身が招いた結果でしょう。そこは耐えていただきませんと。感情的に責任者を辞めさせ、領地の行事を滞らせたとあっては、領民だけでなく、他領からの信用にも関わります。そちらの方が、問題です」
「ですから、お嬢様に……」
「奥様は、『フェルナー伯爵令嬢』ではなく、『ブラッドレイ辺境伯夫人』です。お間違えなきよう」
——フェルナー伯爵の一存で私をどうにかする事はできない。
サイモンの言葉の意味を理解したのか、執事は肩を落として項垂れた。
言われるままこちらに遣わされただけなのに、ここまで言われる羽目になった彼に、私は少しだけ同情する。
ふと、執事が縋るような目で私を見た。
私が『手伝う』という意思を示せばどうにかなると、望みを抱いたのだろう。
……けれど、それはできない。
「先ほども言ったけれど、私は辺境伯家に嫁いだ身です。辺境伯夫人として、こちらでの役目があるの。そちらの領地のことをどうにかするのは、お父様の役目よ」
きっぱりと言い切ると、執事は驚いたように目を見張り、ばつが悪そうに俯いた。
すると、追い打ちをかけるように旦那様が静かに言った。
「……それでもまだアンジェリーナに手伝わせるつもりならば、辺境伯家から正式に抗議をする」
その言葉に、執事は怯えた表情で勢いよく首を振った。
「いいえ!決してそのようなことは!」
「ならば、話は終わりだな?フェルナー伯爵にもそう伝えるように」
旦那様の有無を言わせぬ口調に、執事は力なく頷いて
「はい……」
と答えた。
「では、間違いなくお伝えできるよう、書面にしてお渡しいたしましょう」
サイモンはそう言うと部屋を出て行った。
*
「……あなたは、ここまでは馬車で来たの?」
私が尋ねると、執事は顔を上げた。
今までのやり取りのためか、その表情には疲れが滲み出ている。
「はい。途中まで乗合馬車を使い、こちらまでは徒歩で」
乗合馬車は平民が利用する馬車だ。
……お父様ったら、家の馬車を使わせなかったのね。
辺境伯家に遣いを出すのに、家の馬車を出す必要はないと思われたのかしら。
お父様は、私の嫁ぎ先というだけで辺境伯家を軽んじていらっしゃる。
「……もう日が暮れるわ。夜は危ないから、今日はこちらに泊まって、朝早く出てはどう?」
「し、しかし……そこまでお世話になるのは……」
私の言葉に執事は申し訳なさそうに言った。
「こちらは構わない。使用人部屋になるが、用意させよう」
と、旦那様がおっしゃったので、
「そ、それでは……。ありがとうございます……」
執事は小さな声でお礼を言った。
部屋へ案内するため、メイサが執事とともに部屋を出て、旦那様と二人きりになった。
「申し訳ございません。勝手に決めてしまって」
私がそう言うと、旦那様はふっと笑みを浮かべて言った。
「いや。君の言う通り、夜は危険だ。明朝に出るのが良いだろう」
「実家からの要望も、一緒にお断りくださってありがとうございます」
お礼を言うと、旦那様は穏やかに目を細めた。
「礼は必要ない。あちらの要望があまりに厚かましかったからな。それに——」
旦那様がまっすぐに私を見つめる。
「君を守りたかったんだ」
「えっ……?」
旦那様の言葉に私の心臓が大きく鳴った。
守りたかった?それは、つまり、旦那様は私のことを大切に思っているということ?
「……そんな反応をされると、こちらも照れてしまうな」
旦那様がぎこちなく咳払いをした。
「顔が真っ赤だぞ」
「えっ?これは……その……」
旦那様に言われて、私は自分の顔が熱を持っていることに気づく。
何か言わなければ……。
そう思って頭を働かせ、ようやく絞り出したのは、
「あ、ありがとうございます……」
平凡なお礼の言葉だった。
気の利いたことが言えず、私は気まずくなって俯いてしまった。
次回更新は
9月18日(金)20時です。




