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29. 初めての贈り物

 旦那様の言葉に、私はカップに伸ばそうとしていた手を止めた。


 「私の話でございますか?」


 「ああ。オードリーのお喋りのせいで、俺の幼い頃の恥ずかしい話を知られてしまったからな」

 

 「まあ、恥ずかしい話だなんて。とても微笑ましいお話でしたわ」


 「君にとってはそうだろうが……君ばかり知っているのは不公平だ。俺も、君の子供の頃の話を知りたい」


 旦那様が少し拗ねたような表情でおっしゃる。


 「叱られた話でなくてもいい。話せる範囲でいいから、教えてくれ」


 「そうですね……」


 話しても大丈夫かしら。

 少し躊躇ったが、膝に置いた手を握りしめ、私は旦那様に向き合った。


 「……私は、生まれた頃から領地で暮らしていました」


 ——私が生まれると、父は母とともに私を領地へ追いやったから。


 旦那様が目を見開いた。


 「そうなのか。王都へ行ったのは結婚式が初めてか?」


 「デビュタントの時に一度だけ行きました。……実は、ダンスもあまり」


 生前の母に教わっていたおかげで、家格に応じたペアで踊るダンスはどうにか踊ることができた。

 けれど、その後はなるべく誘われないようにと、ひっそりと壁の花になっていた。


 「……申し訳ありません」


 私は震える声で言うと、俯いた。


 これから旦那様と社交の場に出ることもあるだろう。

 このままでは、旦那様に恥をかかせてしまう。

 ……ロゼリアだったら、そんなことはないでしょうね。


 怖くて旦那様の顔を見ることができない。

 こんな話をしてしまって、呆れてしまわれたかしら。


 「謝ることはない」


 旦那様の言葉に、私は思わず顔を上げる。


 「ダンスが苦手ならば、これから練習すればいい」


 怒られると思っていたけれど、旦那様の声は優しかった。


 「……ありがとうございます」


 私は涙が溢れそうになるのを堪え、小さな声でお礼を言った。



*


 喫茶店を出た私たちは、ゆっくりと街を見ながら歩くことにした。


 旦那様は普段、歩くのが早いけれど、今は腕を組む私に歩調を合わせて下さる。

 その心遣いが嬉しくて胸が温かくなる。


 「そう言えば、君は装飾品や服は買わないのか」


 旦那様が足を止めて見つめた先には宝石店があった。


 「はい。必要なものは揃えて頂いたので。母から譲り受けたものもありますし」


 私が輿入れするにあたって、辺境伯家ではドレスだけでなくアクセサリーも一式用意してくれていた。

 そして、私自身も実家から母の形見の品を持参している。


 外出の時には、その中からメイサ達が服に合わせて見繕ってくれていた。

 

 「君自身が欲しいものはないのか?」


 「私がですか?それは……」


 今まで自分で選ぶ機会がなかったし、欲しいと思うこともなかったわ。


 「私は、今ある分だけで十分です——」


 「この機会に、旦那様が贈られてはいかがですか?」


 私の言葉を遮るように、メイサが旦那様に言った。

 少し離れた後ろにいたはずなのに、いつの間に?

 走ってきたのか、少し息を切らしている。


 「そのつもりで、おっしゃったんですよね?」


 「あ、ああ……」


 メイサの問いかけに、旦那様が気圧されたように頷いた。

 咳払いをした旦那様は私に向き直る。


 「俺が君に贈りたいんだ。いいか?」


 ——旦那様が私に贈り物をしてくださる。


 私は胸が高鳴り、頬が熱くなるのを感じながらゆっくりと頷いた。



*



 宝石店に入ると、私たちは革張りの大きなソファに案内された。

 

 「こちらのペンダントは王都で流行りのデザインで、御令嬢方に人気があります」

 「こちらの繊細な細工が施された指輪は贈り物として人気の商品でして——」


 ソファに腰掛けた私たちのもとに、店主が店の品物を持って来て、一つ一つ丁寧に説明をしてくれた。


 ふと、テーブルに置かれた品物に目をやると、そのうちの一つが私の目を引いた。

 

 「あの、こちらは……」


 「おや、こちらのブローチにご興味が?」


 それは、落ち着いた赤色の石に花の浮き彫りが施されたブローチだった。


 「こちらのブローチに使われているのは瑪瑙でして、彫られているのは鈴蘭の花です。可憐な奥様にお似合いでございますね」


 店主が説明をしながら、よく見えるように私にブローチを差し出した。

 

 「素敵ですね……」


 思わずそう呟く。

 しかし、ちらりと見えた値札の金額に、私は息を呑んだ。

 繊細な彫刻が施されているのだもの。これだけの金額なのも納得できるわ。

 でも、さすがにこんな高価なものを買っていただくのは気が引ける。


 「そのブローチが欲しいのか?」


 旦那様が尋ねられた。


 「は、はい。視察や仕事の時に付けたくて……で、でも……」

 

 私が言い淀むと、旦那様はふっと苦笑を浮かべられた。


 「俺が贈りたいんだ。遠慮をするな。——このブローチを頂こう」


 「はい。ありがとうございます。他にもご覧になりますか?」


 店主の言葉に旦那様は軽く店内を見回され、ショーケースの前で立ち止まられた。


 「そこに入っているネックレスを見せてもらおうか」


 店主がすぐに持って来たのは、小さな一粒石がついた、シンプルなネックレスだった。


 「こちらの石はサファイアでございます」


 旦那様はそのネックレスをじっくりとご覧になり、やがて頷いた。


 「……これも頼む」


 「えっ!?」


 私は思わず声をあげた。


 「君の瞳もこの宝石のように青い。きっとよく似合うだろう」


 「で、ですが……すでにブローチを買って頂いています」


 「一つだけ買うとは言っていない。それに、これは俺が君にと選んだものだ。……受け取ってもらえるか」


 今日の旦那様は一体どうしたのだろう。

 旦那様の厚意に戸惑ったけれど、私のために選んでくれたのが嬉しくて、


 「あ、ありがとうございます……」


 気づいたら、そう答えていた。

 

 「鏡の前で着けてみられますか?」


 店主の言葉に旦那様が頷く。


 「ああ。俺がつけよう」


 旦那さまは立ち上がってネックレスを受け取ると、私の後ろに立った。

 カチッと金具を留める音がする。


 「まあ……よくお似合いですわ」


 メイサがうっとりとして言った。


 目の前の鏡には、ネックレスを着けた私が映っている。

 胸元のサファイアは控えめだけれど美しい輝きを放っていた。


 「思っていた通りだ。よく似合う」


 旦那様に耳元で囁かれた私は、ふわふわとした心地になってその後の記憶があまりない。

 気づけば城塞に戻っていた。


 ——あれは夢なのかしら。


 胸元のサファイアに触れると、固い石の感触があれが現実だったことを教えてくれる。

 私は、再び顔を赤くした。



次回更新は

8月18日(火)20時です。


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