28. 夫婦のひととき
「次、ですか?」
「ああ。パン屋には連れて行ってもらったからな。今度は君の行きたい場所を言ってくれ」
旦那様がそうおっしゃった時、私のお腹が無遠慮に鳴り響いた。
「も、申し訳ありません。はしたないことを……」
恥ずかしさで自然と声が小さくなる。
パン屋でさっき食べたばかりじゃない!どうしてこんな時に鳴るのよ!
「いや……止められるものではないからな。実は、俺も腹が減っていたんだ。どこかで食べるとしよう」
旦那様は咳払いを一つされ、口元に拳を当てながらおっしゃった。
旦那様の気遣いがいたたまれない。
絶対、笑いを堪えていらっしゃる。
真っ赤になりながら、私は小さく頷いた。
「でしたら、大通りにある喫茶店はいかがでしょうか」
メイサがにこりと微笑んでそう勧めた。
「軽食もデザートもありますし、落ち着いた雰囲気でお過ごしになれますよ」
「そうだな……君はどうだ?他に食べに行きたいところはあるか?」
旦那様が私の方をちらりと見られた。
大通りの喫茶店といえば、視察をした時に通りかかったことがある。
実家の領地にはなかったから、気になっていたのだ。
「いいえ。私もそちらで構いません」
「ならば、決まりだな」
そう言って旦那様は私の方に腕を差し出された。
「……大通りは人が多いからな」
どうすれば良いかわからず立ち尽くす私に、旦那様がぶっきらぼうに仰った。
私はようやく旦那様の意図を察し、顔が熱くなった。
「お気遣いありがとうございます。……し、失礼いたします」
私は旦那様の腕に、そっと自分の手をかけた。
「では、私達は後ろに付きますので」
メイサは私の日傘を旦那様に手渡すと、護衛とともに素早く後ろに下がっていった。
……さっきより、かなり距離が離れている気がするけれど。
「あ、あの……日傘は私が」
私の日傘はフリルで縁取りされた可愛らしいデザインのものだ。
それを旦那様に持っていただくのはさすがに心苦しくて申し出たけれど、
「君が片手で持つのは不便だろう」
頑なにそう仰るのでお言葉に甘えることにした。
*
大通りにある喫茶店の店内は、木の温もりを感じる茶色の色合いでまとめられ、落ち着いた雰囲気だった。
メイサが話していた通り、メニューはオムレツやサンドウィッチといった軽食から、ケーキやプリンといったデザートまである。
お昼時だったので、私と旦那様はサンドウィッチと紅茶を頼むことにした。
旦那様はサンドウィッチを豪快に一口で次々と召し上がっていく。
女性でも食べやすいよう小さく切ってあるけれど、それでも三口で食べきるのがやっとだ。
「……ああ、すまない。早く食事をするのが癖になっていてな」
驚いている私に旦那様が気付いて照れくさそうに言った。
「いかんな。君とゆっくり食事をする機会だというのに……」
「えっ……」
今のは空耳かしら。
聞き返そうとしたその時、給仕が食後の紅茶を持って来た。
「こちらの紅茶の茶葉は、アルティス侯爵領のものでございます」
給仕の説明に、旦那様の手が止まった。
「アルティス侯爵領の?」
私も少し遅れて思い出した。
「アルティス侯爵家といえば……旦那様の叔母君がお嫁ぎになったお家ですね」
私の言葉に旦那様が頷いた。
アルティス侯爵家の皆様とは、結婚式の日にお会いしてご挨拶をした程度だ。
紅茶の事業で成功を収めた名門貴族で、皆様の堂々とされた振る舞いと、洗練された佇まいが眩しかったのを覚えている。
「両親を亡くしてから、叔母上が気にかけてくれてな。毎年この時期になると、この領地に避暑に来られる」
旦那様は懐かしそうに仰ると、カップに口をつけた。
……今、さらりととんでもない情報を仰ったわね。
「滞在されるのですか?」
「ああ。ここは王都や侯爵領より涼しいから避暑に来られる。だが、心配しなくていい。二十年近くやってる恒例行事だからな。あちらも気を遣うなと仰ってる」
夫人として準備をしなければと身構えた私を、旦那様は安心させようとなさる。
さすがに今年はそうはいかないのではないかしら。
「そろそろあちらから連絡が来る頃だと思うが、あまり気負わなくていい。——それより」
旦那様はテーブルに両肘をつき、両手を組みながら私を見つめた。
「君の話を聞かせてくれ」
次回更新は
8月14日(金)20時です。
8月11日(火)から変更になりました。
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