2.先代辺境伯
辺境伯の城塞には、日が落ちる前に到着した。
茜色に染まる塀の上から、見張り塔と思しき建物が顔を出している。
関所から見えたのも、この塔だろうか。
鉄の門を抜けると広場があり、使用人や兵士たちが行き交っているのが見える。
私を乗せた馬車が通ると、彼らは道を開け、馬車に向かって頭を下げた。
「こちらです。奥様」
護衛に促され、馬車を降りて建物の玄関へと向かう。
中に入ると執事とメイド、厨房の料理人達がずらりと並んで私を迎えた。
「おお、来たか」
奥から聞こえた声に、使用人達が道を開ける。
杖をついた高齢の男性が、ゆっくりと私に歩み寄った。
彼の名はアーロン・ブラッドレイ様——旦那様のお祖父様にあたる先代辺境伯だ。
現役時代は隣国の侵攻を幾度となく退け、『辺境の守護者』と謳われた武人だ。
「初めまして。アンジェリーナ・ブラッドレイと申します」
「アーロン・ブラッドレイだ。そう畏まらずとも良い。わしらは家族になったのだからな。わしのことも、実の祖父と思って接してくれるとありがたい」
そう言って私に手を差し出す。恐る恐る手を伸ばして触れると、大きな掌に静かに包み込まれた。
長年剣を振ってきた大きな手は、節くれ立ってゴツゴツしていた。
「ところで、イーサンの姿が見えんようだが……」
握手を交わした後、アーロン様が周りを見渡す。
「旦那様は訓練があり王都に残られました。こちらへ参ったのは私だけです」
「……なんだと?」
アーロン様の低い声が静かに響いた。
次の瞬間——。
「新妻を一人で来させただと!?あの馬鹿孫め!」
怒りも露わにそう叫んだ。その声はビリビリと空気を震わせて響き渡り、私は思わず身をすくめた。使用人達は慣れているのか平静を保っている。
「大旦那様、奥様が怯えていらっしゃいます」
年配の使用人に窘められ、アーロン様は我に返って咳払いをする。
「おお、すまん」
気まずさからなのか、顎の髭を撫でながら私に謝罪をした。
「それは心細かっただろう。無事に辿り着いて、本当に良かった」
私の肩に手を置いて穏やかに微笑む。
その顔に、前世の祖父の笑顔が重なった。
顔立ちは全然違うけれど、私を思いやってくれるその言葉に胸の奥が熱くなる。
「あ、ありがとうございます」
「……お前さん、泣いているのか」
アーロン様に言われて、頬に涙が伝っているのに気づく。
「あ……申し訳ありません」
止まらない涙に戸惑い謝罪をすると、アーロン様は優しい眼差しで私を見つめた。
「気にせんでいい。今日はもう休みなさい。ヘレナ!メイサ!」
「はい」
アーロン様に呼ばれ、ふくよかな中年の女性と、暗い茶色の髪の若い女性が前に出た。
「侍女頭のヘレナと、お前さん付きの侍女のメイサだ」
「よろしくお願いいたします」
アーロン様の紹介に、二人は丁寧にお辞儀をした。
「アンジェリーナを部屋に案内するように」
「かしこまりました。奥様、どうぞこちらへ」
ヘレナがにこやかに私を促す。
私の後ろを、メイサが私の荷物を持って続いた。
案内された部屋は、二階の南側奥だった。
壁紙や絨毯は柔らかい色で揃えられ、ベッドや家具も落ち着いた色合いで、心地よい空間になっていた。
「私は湯浴みの支度をして参ります」
部屋に着くと、ヘレナがそう言って退室した。
「奥様、お荷物はこれだけでしょうか」
荷物を運んでくれたメイサが私に尋ねた。
無理もない。私の荷物は鞄一つだけだった。
嫁入りの荷物にしては、あまりにも少ない。
「はい。厳選してきたので……」
我ながら苦しい言い訳をする。
辺境伯家から支度金を頂いているはずなのに、結婚のための衣服を新調させてもらえなかった。
仕方なく、妹のお古から派手すぎず、流行に左右されないデザインのものを選んでサイズ直しをした。
『厳選した』というのも、あながち間違いではない。
「さようでございますか。こちらの衣類は、クローゼットにお掛けしてもよろしいですか?」
「ええ」
メイサがクローゼットの扉を開けると、そこにはドレスが数着掛けられていた。
「このドレスは……」
「奥様がいらっしゃるのに合わせてご用意したものです。お気に召していただけると良いのですが」
「素敵です。ありがとうございます」
私が持ってきた服を並べるのが申し訳ないくらい、立派なドレスだった。
居た堪れない気持ちになり、思わず下を向いた。
「奥様?」
衣類を入れ終わったメイサに声をかけられ、私ははっと我に返った。
「あっ……ごめんなさい、ぼうっとしていて」
「随分とお疲れのご様子ですね」
メイサが気遣うような眼差しで言った。
その時、ドアがノックされ、ヘレナが入ってきた。
「奥様、湯浴みの用意が整いました。ご案内いたします」
部屋を出るとき、ふと足を止める。
出入りするのとは別のドアがあったからだ。
「このドアの向こうは旦那様のお部屋です」
夫婦の部屋が続き部屋になっているのは、よくあることだ。
「そう……ですか」
——この先、このドアが開かれることはないわね。
私はそれだけ言うと、ドアから視線を逸らし、また歩き始めた。
次回更新は
5月31日(日) 20時です。
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