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1.辺境へ向かう馬車

 「君と夫婦生活をするつもりはない」


 結婚初夜、夫は私にそう告げた。

 その言葉に、私は自分が望まれた妻ではないという事実を突きつけられ、頭を殴られたような衝撃を受けた。




**



 「奥様、もうじき辺境伯領に入ります」


 護衛にそう言われて、私は馬車の窓から外を眺める。

 のどかな田舎道のその先に、重々しい暗い色の壁が見えた。ブラッドレイ辺境伯領の関所だ。


 王都を出てから十日が経つ。

 休憩や宿泊を挟んだとはいえ、長時間馬車に揺られ続ける旅に、私は辟易としていた。

 この長旅に終わりが見えた事にほっと息をつく。


 関所の兵士達は、私が乗っている馬車の紋を認めると、一斉に背筋を伸ばして敬礼した。

 その様子にようやく実感が湧いてくる。


 ——ああ、私は辺境伯夫人になったのね。


 ……もっとも、辺境伯様本人は、私を妻だと認めてくれなかったけれど。



 「辺境伯様の城塞には、日が暮れる頃には着くでしょう。もうしばらくの間ご辛抱を」

 

 ため息をついた私に、護衛が宥めるように声を掛けた。どうやら勘違いをさせてしまったみたい。

 申し訳なくなった私は、彼に向かって慌てて首を振った。


 関所で休憩を挟み、馬車は辺境伯の城を目指して出発した。

 遠くの高台に、塔のような建物がかすかに見える。

 あれが辺境伯の城塞なのだと護衛が教えてくれた。


 太陽の位置はまだ高い。

 日が暮れる頃に着くと言っていたから、もうしばらく掛かるだろう。

 馬車の単調な揺れに身を任せ、私はゆっくりと目を閉じた。



**


 ——私の母は、私が幼い頃に亡くなった。

 父は、私も母も愛する事はなく、愛人と異母妹を溺愛した。

 やがて、母が亡くなり、愛人と再婚した父が私を領地へと追いやったのも、自然な流れだろう。


 あの人達は王都で華やかに暮らし、私は領地でひっそりと暮らしていた。

 外聞を気にしてか、三年前のデビュタントには出させてもらえたけれど、それ以降はまた『いない者』扱い。

 

 実の家族にそのような扱いを受ければ、普通の令嬢なら悲しみに打ちひしがれてしまうだろう。

 けれども、私は悲嘆に暮れることなく生きてきた。

 私を踏みとどまらせていたのは、前世での記憶に他ならない。


 ——前世、私は日本という国で祖父母に育てられた。

 両親を早くに亡くした私を、彼らは確かに愛してくれていた。

 和菓子職人だった祖父のお菓子を食べながら、三人で団欒するひと時が何よりも好きだった。

 彼らのそばが私の居場所なんだと、安心していたのを覚えている。

 この記憶のお陰で、私は今まで耐える事ができたのだ。


 いずれ、私はこの領地からも追い出されるだろう。

 それでも、この記憶を救いにして生きていけるはず。



 ——けれど、その時は思っていたより早く訪れた。



 「ブラッドレイ辺境伯のもとへ嫁げ」


 珍しく領地に訪れた父が、私に告げた結婚話。

 なんでも、辺境伯が夜会で異母妹のロゼリアを見染めたらしく、縁談の申し出があったようだ。


 辺境伯家はうちより家格が上。とても名誉な事だけれど、ロゼリアはそれを拒否した。


 「そんな田舎に嫁ぐのなんて嫌よ!王都から離れてるし、いつ戦争に巻き込まれるかわからないじゃない!」


 ブラッドレイ辺境伯領は、国の防衛の要として東の隣国ヴァルディア帝国との国境を守ってきた。

 先代、先々代領主の代に帝国が戦争を仕掛けてきたけれど、いずれも辺境伯領で食い止めている。


 二十年前に停戦条約を結んでから戦争は起きてない。

 けれど、それは国同士の全面戦争がないだけで、非公式な挑発や越境は絶えない。常に緊張状態が続いている。


 それに、北のスノルド王国との国境付近では武装したならず者集団との小競り合いもあるという。


 辺境とは、常に危険と隣り合わせなのだ。

 

 「私も可愛い娘をそんな危険な場所に送るわけにはいかんのだ。妻も悲しむ」

 

 (私なら良いってことね……)


 この人にとって私はどうでもいい存在なのだ。

 悔しさに膝の上に置いた手を固く握り締める。


 「けれど、辺境伯様はロゼリアをお望みなのでしょう?違う人間が嫁いでは、不興を買ってしまいますわ」


 私が疑問を口にすると、父は顔を歪めて舌打ちをした。

 私が口答えしたと思ったのだろう。

 

 「『病弱』という事にした。その代わりにお前が嫁ぐと言ったら、むこうも了承してくれた」


 ——あの異母妹が、病弱?

 以前会った時の、肌艶よく健康的な体つきの彼女を思い浮かべ、私は首を傾げたくなった。


 それよりも、むこうが私でも良いと了承してくれた?

 一体どういう事なの。

 

 「……」

 

 辺境伯様が私でも良いと言ってくれている。

 それなら、こんな家に縛られるよりも、辺境伯家に居場所を見つけるのが良いのかもしれない。


 「承知しました。辺境伯閣下のもとへ嫁ぎます」

 

 こうして私は辺境伯様の妻となった。

 もしかしたら、辺境伯様と温かい家庭を築けるんじゃないかと淡い期待を抱いて。



 ——そして、現在。


 「君と夫婦生活をするつもりはない」


 そう夫から拒絶された私は、王都から一人、辺境伯領に来ている。


 この先、どうやって生きていこう……。


 先の見えない不安に憂鬱な気分になる。

 私は外の護衛に聞かれないよう、静かに息を吐いた。



 


 



次回更新は本日20時30分です。

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