18.甘味と和解
その日、ダンヴェル伯爵はお忙しく、ようやくお会いできたのは、翌朝の食事の時間だった。
「閣下」
食堂を出た伯爵に声を掛ける。
立ち止まり、ゆっくりと振り向いた伯爵は訝しげに眉を寄せた。
「私に何か御用かな」
鋭い眼光に一瞬怯みそうになる。
どうにか堪えて、私は口を開いた。
「私の実家の者が、閣下に失礼な事をしたと聞きました」
「……」
「私の預かり知らぬところで、閣下にご不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません」
ゆっくりと頭を下げる。ダンヴェル伯爵はしばらく何も言わなかった。
やがて、
「……それはそれ。これはこれだ」
ぶっきらぼうにそう言った後、彼は咳払いをした。
「とはいえ、私も少々大人げなかったな」
そして、ふっと表情を和らげる。
「娘御まで警戒するなど。こちらこそ、すまなかった」
「そんな……」
「我らを迎え入れるにあたり、あなたが準備を采配してくれたと聞いた。お陰で皆過ごしやすいと喜んでいる。最終日までよろしく頼む」
ダンヴェル伯爵はそう言うと、私に背を向けて歩き出した。
ふと、伯爵の隣にいた旦那様と目が合う。
旦那様は穏やかに目を細めて私に頷いた。
——よかった。
伯爵が少しだけ心を開いてくださった気がする。
張り詰めていたものが緩み、私はゆっくり息を吐いた。
——ダンヴェル伯爵が血相を変えて私のもとへ駆け寄ってきたのは、翌日の夕方のことだった。
*
「——奥方!!」
伯爵のただならぬ様子に、私は思わず身構える。
「な、なんでしょうか閣下」
「今日の菓子……あれはなんだ!?」
菓子とは、訓練後に毎回差し入れているお菓子のことかしら。
そういえば、今日は餡子のペーストを挟んだ焼き菓子を初めて出したのだった。
「あ、お口に合いませんでしたか?申し訳ありま——」
「あの焼き菓子に挟んであった黒いペーストはなんだ!?」
伯爵が勢いよく私に詰め寄る。
しかし、怒っているわけではなさそうだ。
「あれは、ここの村で育てている豆を甘く煮て作ったペーストです」
「奥様がお考えになりました」
私と伯爵の間に割り込んだメイサが、誇らしげにそう付け加える。
「なんと!?」
伯爵が目を見開いた。
「あんな美味いものを、貴女が!?」
「領内では既に評判になっていますわ」
再びメイサが得意げにそう言うと、伯爵は「ううむ」と唸って腕組みをした。
「ああ……ああ、そうだろう。あのような甘味、評判にならない方がおかしい」
「あ、ありがとうございます」
他領の方にそう評価されるのは、とても嬉しい。
ふと、私はあることに気づき、伯爵に尋ねた。
「あの、閣下は甘いものがお好きなのですか?」
「うむ。……実は、甘味は大好物だ」
伯爵は照れくさそうに視線を逸らした。
「だから、訓練後の差し入れは楽しみにしておった。一昨年まではなかったからな。……奥方の提案だと聞いている」
「はい。以前、うちの兵士に差し入れをした際、『甘いものは訓練後の疲れが取れる』と喜んでもらえたので、今回の訓練でも取り入れてみました。」
「そうか。その者に感謝せねばならんな」
伯爵が声を上げて笑う。
こんなに笑っていらっしゃるのは初めて見たわ。
「お気に召して頂けて嬉しゅうございます。あの甘味ですが、よろしければ、お帰りの際にお持ち帰りになりますか?」
「良いのか!?」
伯爵がぱっと顔を輝かせて前のめりになる。
「ええ。他領の方に気に入って頂けたと知れば、村の者も喜ぶと思います」
「感謝する。家族も甘いものが好きだからな。いい土産になる」
嬉しそうに言った後、伯爵はふと目を細めて私を見つめた。
「やはり、貴女は父親とは違うのだな」
ぽつりと呟かれた言葉に、私は思わず伯爵を見つめ返した。
「辺境だと侮らず、領地のために特産を考え、我らにも心遣いを惜しまない」
静かにそう言うと、ゆっくりと私に頭を下げた。
「貴女の父親と同類と捉えていたこと、改めてお詫び申し上げる」
そして、顔を上げると、ふっと頬を緩めた。
「……我が息子にも、貴女のような方を迎えてもらいたいものだ」
「光栄でございます」
私は微笑んで頭を下げた。
伯爵の私への誤解が解け、最初の頃よりも距離が縮まったことが私は嬉しかった。
*
そして、一週間の合同訓練を終えて伯爵軍が帰還する日。
「奥方、世話になったな」
伯爵は私の手を握り穏やかに言った。
「土産も、帰ったら家族で頂こう」
「ええ。是非皆さんでお召し上がりください」
「——ほっほ。随分と打ち解けたのう」
おじい様が私たちを見て微笑んでいる。
「ふっ。良い方を領主夫人に迎えられましたな」
「そうじゃろう。のう?イーサン」
おじい様がニヤニヤしながら旦那様の方を見る。
旦那様は一瞬表情を固くしたけれど——。
「そうですね」
と、短く答えた。
本心かしら?
……だとしたら、嬉しいのだけれど。
——その時。
門の向こうが突然騒がしくなる。
馬に乗って駆け込んできたのは、ひどく憔悴した騎士だった。
「申し上げます!北のスノルド王国より、国境を越えて武装集団が侵入致しました!」
次回更新は
7月7日(火)20時です。




