聖なる夜にこの腕で眠れ(2)
夜中だからと簡単な食事を用意したが、並べてみると結構豪華で、華やいだ気分になった。
特に真ん中のイチゴのショートケーキがクリスマスの雰囲気を高めていた。
「貸してみな」
ワインの栓と格闘していると横に座った巽に取り上げられた。
膝頭が触れて、恭介の心臓がドキンと跳ねあがる。ドキドキする胸を持て余しながら、恭介は巽の手元を眺めた。
慣れた手つきで、針金を外し、恭介の渡したタオルをあてて、巽はボンっと栓を抜く。
目の前に並べられたグラスに注がれた液体は、綺麗な細かい泡が絶え間なく上がってきて綺麗だ。
「よく売ってもらえたな、酒」
見惚れながらグラスに手を伸ばすと笑いをこらえたような顔で、巽が恭介を見つめていた。
憮然と恭介は巽を見返した。瞳が大きく、女顔の恭介は年齢より若く見られがちだ。巽はそれを揶揄していた。
「身分証見せましたから。まだ、20歳になりたてだから、仕方ないです」
拗ねたように言うとくっくっと笑われた。
「巽さんだって、あんまり人のこと言えないんじゃ……」
「残念ながら、身分証提示を求められたことはないんだ」
グラスを持っていない手で頭をぽんぽんと撫でられて、さらに恭介は気が沈む。完全に子供扱いだ。
やっぱり、保護者って感じだよな……。
哀しくなって、視線を巽から逸らそうとした途端、
「恭はかわいいからな」
ぽつりと告げられ、恭介は瞳を見開いた。言いながら細められた巽の瞳が揺れている。
巽が少し照れているような気がするのは気のせいだろうか。
それにしてもよりにも寄って、恭介が一番気にしている言葉で言わなくてもいいのに。
「からかうのはやめてください」
ムッとした口調で返すと巽は苦く笑って、肩をすくめた。
「褒めてるんだけどな」
「それ、褒め言葉じゃないでしょうが」
また笑いだした巽から視線を逸らして、恭介はグラスを手に取った。
巽もそれに倣う。
「乾杯しよう」
グラスを持ち上げて、巽はにっと笑った。
恭介が持ったグラスに軽く自分のグラスをあてる。澄んだ音が響いた。
「メリークリスマス、恭」
「メリークリスマス、巽さん……」
はぐらかされたような気がするが、巽の笑顔が眩しくて、恭介は目を細めた。
やっぱり、この人が好きだ。
男同士でと悩んだ時期もあった。ただの憧れなんじゃないかと。
月嶋や玲に触られたりべたべたされても平気だったから、実は男もいけるんじゃないかと思ったこともあった。
だが、そうではなかった。
他の奴に触られるのは鳥肌が立つ。絶対に嫌だ。この3人だけは例外なのだ。
この3人にしたって、全部、自分のモノだったらいいと思うのは巽だけだった。
巽が巽だから好きなのだ。性別とか年齢とかはどうでも良くて、巽だから好き。
恭介はそう思っている。その結論に達するまでずいぶんかかったが。
巽の笑った瞳から目が逸らせない。
このまま抱いてくれと、あなたが欲しいと言ったら、どうするだろう……?
自分の考えにありえないと思う。じっと瞳を見つめる。
もう、酔ったのかな。
酒に?
巽さんに?
「どうした?いつもより大人しいな」
伸びてきた手に髪をわしゃわしゃかき回されて、恭介は巽を下から睨みつける。
「やめてくださいって。ぐしゃぐしゃになるでしょうが」
手から逃れて、恭介は髪を手で直す。
「まったく……子供じゃないんだから」
恭介は皿のチーズに手を伸ばして口に放り込んだ。巽のせいで、妙に艶めいた空気が霧散した。
「巽さんを待ってたから、お腹がペコペコですよ」
自分の考えていたことに恥ずかしくなりながら、恭介はクラッカーもつまんだ。
「夕飯、食べなかったのか?」
ワインを喉に流し込んで、巽も皿に手を伸ばす。
「なんとなく、後でって思ってたんで。切って並べただけですけど、おいしいですね」
「ああ」
恥ずかしさをごまかそうとにっこり笑うと戸惑ったような光が巽の瞳に揺れた。
なんだろう?
一瞬、何かを感じた気がしたのに、掴む前に消えてしまう。
そのせいであいてしまった間が嫌で、慌てて思い出した別のことを口にした。
「そうだ。おめでとうございます」
案の定、話が見えない巽が怪訝そうな顔をする。
「何?」
「さっき、テレビで見てました、試合。今日も勝ちましたね。2点目のシュートすごかった。パスも絶妙でしたけど、あれに合わせられるのは巽さんだけですよ」
巽のシュートを思い出すと今でも鳥肌が立つ。ゴールを見据える瞳に囚われる。
「ニュースにも出てましたよ。入り口で待っていたファンの女の子、みんな巽さん目当てでしたよね」
巽が視線を外した。どうでもいいというように、黙って、オリーブをつまむと口に入れる。
「そう言えば、高校のダンスパーティでも囲まれてましたよね、女性に」
そんなことを言いたかったわけではないのに、口に出したらなんかだんだん、どうしていいかわからない投げやりな気持ちになってきて、恭介は言葉を継ぐ。
「もてますね。巽さん」
「恭介は?」
平坦な声で、巽は答えの代りに質問を返す。冷たい声音だった。瞳の色も沈んでいる気がする。
「お前もよく声かけられてただろう、試合の後に。誰かいるのか?目当てのオンナ」
いるわけない。好きなのは巽なんだから。
きりきりと恭介の心がまた悲鳴を上げる。
なんでそんなことを訊くんだ。
答えられずにチーズをつまむとその手首を横から伸びてきた巽の手に掴まれた。引っ張られて、巽の口元に近づけられると持っていたチーズをぱくりと食べられた。指まで口に入り、巽の舌が指に触れた。
びくんと身体が震える。
やめてくれ!
心が叫ぶ。
その気がないならこういうことはやめてほしい。ただの庇護欲ならほっておいてくれた方がましだ。
好きなのに。
あなたが欲しいのに。
俺を欲してくれればいいのに。
巽の行動がただの戯れだとわかっているのに、蓋をして忘れようとしている自分の中のどろどろした思いが溢れだして止められない。
恭介は瞳をぎゅっと閉じた。
この狂おしい感情を見られてしまわないように。
瞳に映った心が見えないように。
痛いくらい握られていた手首が唐突に離され、恭介の腕が力なくソファに落ちる。
「悪い。ふざけ過ぎた」
気落ちしたような声が聞こえた。
――どうして。
怒りに似た感情が恭介を突き動かした。
謝って欲しくない。そんなことを言って欲しいんじゃないんだ。
心で吹き荒れる感情に言葉は口をつかなかった。双眸を見開くと恭介は隣に座っている巽に飛びかかる。
「恭っ」
不意打ちだったこともあって、背中から巽がソファに仰向けに倒れた。
その両肩に体重を掛けて、上から恭介は巽を睨み据えた。
俺はあなたの何?
恋人?弟?
心の声は形を取る前に霧散し、目の前が白くなるような怒りだけが湧いてくる。
この荒れ狂うような感情をどうしていいかわからない。
どうしたいのかも……。
「恭……?」
巽の服を握りしめて、恭介は巽を睨みつける。
ひどい顔をしているだろう、きっと。
その考えが最後のまともな思考だったかもしれない。
瞳を合わせたまま、恭介は身体を前に倒した。巽の唇に噛みつくようなキスを贈る。
舌で唇を辿り、歯列を辿る。
「恭!」
肩を手で掴まれて押し戻された。
「やめろ」
絞り出すような声だった。苦しそうな表情で巽は恭を見る。
「俺の理性を試すな」
そんなもの試してない。俺はただ……。
ただ……。
……あなたの全てが欲しいだけなんだ。
俯いてしまった恭介の名を巽が呼んだ。
恭介は首を横に振る。黙って首を横に振り続けた。
「どうした?」
「……き……なんです」
呟きが口をついた。
混乱した感情はまだ渦を巻き、胸を圧迫している。
それでも、ただ一つ、間違いがないことだけが言葉になった。
「好き……なんです」
肩に置かれた手がびくんと震えるのを恭介は感じた。
「……好き……」
唯一、明らかな感情だけが外へと暴走し、それに対して、巽が動揺していることがさらにその感情を煽った。
「何度も伝えた。そうでしょう?」
肩に掴まれた手を両腕ではじくと恭介は巽のシャツの襟を両手で掴んだ。
「何度も何度も……。俺、巽さんの何?応えられないのに、側にいるのは何故?」
奥歯をぐっと噛みしめた。泣いてしまいそうだ。
クリスマスなのに。こんなことを言うつもりじゃないのに。
心がずくりと重くて、痛くて、中で裂けて血を流しているようだ。
「恭」
背に腕が回ってぐっと抱き締められた。
「……選ぶのか?俺を?」
何を言われているのかわからない。巽は何を言っているんだろう。
「選ぶって何?そんなのとっくに……。じゃあ、なんで4年も側にいたんです」
「思い出したわけじゃないんだな」
巽との会話はまったく噛み合わない。
「何を?」
「このまま俺のモノに……?」
「意味がわからない。巽さんは何も俺の質問に答えてないっ!」
叫んだ途端に腰を攫われ、唇を塞がれた。いままでにないほど乱暴で深く熱い口付け……。
「……んっ……」
舌が絡んで、しびれるほど吸われる。息ができずに頭の中が白く濁った。腰を抱く腕は痛いほどで、あわさった身体が熱い。
唇が離れても息が上がり、荒い息をつきながら、恭介は巽を見た。
どくんっ
心臓が跳ね上がる。
見たこともないほどの真剣な瞳。そこに浮かぶ獰猛な光……。
ピッチに立って、遠くゴールを睨み据えた時と同じ眼差し。
「お前は俺の一番で、全てだ。久遠の果てから……今も……」
睨み据えたまま囁かれた言葉は何よりも熱く、恭介の胸を直撃した。
「だが、それがお前にとっていいのか、俺にはわからない」
絞り出すような苦い響きを伴った声。
「それでも俺はお前の側を離れられない。誰にもやれない。俺は何度もお前を見つけて、愛さずにはいられない。」
巽が唇を噛みしめるのを恭介は見つめるしかできない。
魂の震えるような告白……。
「巽……さん」
「後悔するぞ」
「しない」
恭介は体重を巽にかけ、身体で巽の身体を押した。
バランスを崩して、再び、巽の身体がソファに倒れる。
「ここで決めてください。俺を突き放すなら今だ。そうじゃないなら……」
身体を抱え込まれて、いきなり巽は反転した。巽の上にのしかかっていたのに、今は組み敷かれている。
「突き放せるわけない。恭」
首筋に顔を埋めて、巽は恭介の首筋に唇を落とした。
シャツの裾から手を差し入れられ、恭介の肌を辿る。
「巽……さん」
「恭」
「いやだと言ってもやめてやれないから」
唇を耳につけて巽が囁く。
恭介は巽の頭を両手で包み込んで上げさせると、自分から唇を合わせた。絡めた舌が熱くて、夢見心地になる。
「言わない。後悔もしない。俺の望みは巽さんだから」
唇をつけたまま恭介は囁いた。
「バカだな。望みが低いよ」
くすりと笑うと巽の唇が恭介の唇を覆った。
――愛してる……。
囁かれた言葉は、恭介が本当に欲しかった巽の心……。
クリスマスに選んだ恭介の恋は4年後の聖夜に本物になった。
後悔なんかしない。
これからもずっとこの人の腕の中に。
肌を辿る指と唇の熱さに恭介は瞳を閉じた。
――メリークリスマス……
完
どうでしたでしょうか。
暗めに始まりましたが、一応、ハッピーエンドということで。
この話、過去編も書きためていますが、話が壮大になりすぎて、
終わらないのです。ごめんなさい。
なんとか、ここに出せるように頑張ります。
恭介と巽の話はまた、季節もので出せたらいいと思っています。
25歳くらいの二人を書きたいとは常々思っているんですけどね……。
感想などありましたら、よろしくお願いいたします。
やっぱり、反応があると書く気力が違うので。
よろしくです。
それでは、よい、クリスマスを!
I wish you a Merry Christmas and a happy new year!!