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失意の伯爵令嬢は、今日から猫になりました。  作者: 小桜


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8/19

俺じゃ駄目なの?


 空が夕焼けに近付くころ、登城していたオルランド様が帰ってきた。

 相変わらず立ち姿が美しく、僅かに疲れがにじむ表情さえ誰よりも麗しく――そして(わたし)に対する声が甘い。


「ただいま、ロミナ。お土産を買ってきたよ」

 

 オルランド様は、エントランスで出迎えた私を当たり前のように抱き上げる。そして鼻先が触れそうなほどの距離で微笑むと、その頬を私の額へ擦り寄せた。


(ひっ……!) 

 突然のことで言葉にならない。彼の頬ずりに抵抗すべく、私はジタバタと抵抗した。全力で頬にめり込んでいく肉球。しかしオルランド様は、なぜかそれすらも嬉しそう。


「お、おかえりなさいませ、オルランド様」

「ああ……ありがとう、癒される」

「癒される? 肉球が?」

「違うよ、ロミナがこうして出迎えてくれたことが嬉しいんだよ」


 頬をグイグイ押し返されながらも、オルランド様は幸せそうに笑っている。ちょっと怖……いけない、こんなふうに思っては。


「ロミナへのお土産に、魚の缶詰を買ってきたよ。すぐ食事にしよう。今日も俺が――」

「あっ、今日はもう食事を済ませてしまったのです」

「え?」


 オルランド様は明らかにショックを受けている。

 先程まで緩みっぱなしだったお顔から、急に笑顔が消えてしまった。魚缶の入った紙袋が、手から離れてポトリと落ちる。

 

「食事……ど、どうやって食べたの?」 

「シェリーさんに食べさせて頂いて」

「シェリーに……? なんで? シェリー、そこまでお世話しろとは言ってないけど」


 そんなに、(わたし)に餌をあげたかったのか。食い下がるオルランド様に、シェリーさんも眉を下げてしまった。


「今日、ロミナ様にはとてもお世話になりまして……『かわりにお願いがある』と仰られたので、それがお礼になるならばと、ご本人の希望に従ったまででございます」

「そんな、ロミナ」

「これからは私、シェリーさんに食事のお手伝いをして頂こうかな、なんて思っていて……」


 私は裏庭で洗濯物を乾かしたあとも、シェリーさんのために張り切った。魔術でお野菜を洗ったり、魔術で床のお掃除をしたり、魔術で探し物を探したり……ありとあらゆる魔術を駆使して、シェリーさんを手伝った。

 

 猫の私は魔力も強く、お仕事はあっという間に片付いた。するとシェリーさんから言ってくれたのだ、『なにかお礼をさせてください』と。


 私はそれに飛びついた。交換条件として『食事に困っているから、手伝って欲しい』とお願いしたら、彼女は快く了承してくれたのだった。


 心落ち着く食事だった。慈しむようなシェリーさんの眼差し、ほのぼのとした穏やかな会話。あんなに安らげる時間を過ごしたのは、猫となって初めてかもしれない。


 けれど、オルランド様は悔しげな顔をして私を見下ろしている。


「俺じゃ駄目なの?」

「駄目というわけではなくて……女同士の食事って楽しいものなのです。どうか、ご理解いただけると嬉しいのですが」

「俺とは、楽しくない?」 


 明らかにオルランド様は拗ねていた。

 というか、天下のオルランド様でも拗ねることがあるのか……猫ってすごいな。

 

 しょんぼりとした姿を見るのは心苦しいけれど、私もここで引くわけにはいかなかった。クルス侯爵家で、心の安寧を保つためにも。


「オルランド様との食事は、心臓に悪いのです。お食事は、もう少し慣れてからにして頂けると……」

「それって、俺相手だとドキドキするってこと?」

「え……、そ、そうかもしれません」


 ドキドキというか、あの心拍数は爆発へのカウントダウンのような気もする。

 しかし少し機嫌を持ち直したオルランド様は、やっと笑顔に戻ってくれた。


「じゃあ、ロミナに早く慣れて貰えるように……俺、努力するよ」

「努力?」

「明日から任務でまた少しだけ家を空けるけど、なるべく早く帰ってくるね。ロミナのために」


 任務……そういえば、昼間シェリーさんから教えてもらった。

 オルランド様が得意とするのは攻撃魔術。そのため、突如湧く魔物や猛獣の討伐に日夜駆り出されているらしい。


「任務が終わったと思ったら、息付く間もなくまた任務……嫌になるよ」

「魔物……今はそんなに多いのですか?」

「最近、少し増えてきたような気もするね。でも大丈夫だよ。すぐに片付けてくるからね」

 

 討伐は数日で終えるものもあれば、遠征となると数ヶ月戻ってこられないこともザラだという。オルランド様くらいの使い手ともなれば、任務は過酷を極めるのだろう。


「あの……あまり無理をされないで下さいね」

「ふふ、ありがとう」


 しばしの別れが辛いのか、オルランド様は少し切なげに微笑んだ。影のある瞳を見ていると、胸がキュッと痛くなる。

 ああ、本当に猫のことがお好きなのだわ……

 

(……今夜一緒に寝るくらいは頑張ろう。オルランド様の癒しになるのなら)


 

 私はその夜、覚悟を決めた。自らオルランド様の側へ近づき、その隣に寄り添ったのだ。

 想像どおり、オルランド様は顔を綻ばせ、ベッドに歓迎してくれた。しかしその破壊力は、私の虫けらのような覚悟などはるか上回っていて――


「ロミナ? もう寝たの? ロミナ……?」


 長い指が身体をなでる。何度も額にキスをする。

 耳元で優しく名前を囁かれただけで、神経が焼き切れそうになって……あの声はもう拷問だ。

 

(ごめんなさい、無理でした……)

 あっという間に意識が遠のいていく。オルランド様に慣れることなんてあるんだろうか――

 抱きしめられながらベッドへ入った私は、二度目の気絶を味わった。

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