俺じゃ駄目なの?
空が夕焼けに近付くころ、登城していたオルランド様が帰ってきた。
相変わらず立ち姿が美しく、僅かに疲れがにじむ表情さえ誰よりも麗しく――そして猫に対する声が甘い。
「ただいま、ロミナ。お土産を買ってきたよ」
オルランド様は、エントランスで出迎えた私を当たり前のように抱き上げる。そして鼻先が触れそうなほどの距離で微笑むと、その頬を私の額へ擦り寄せた。
(ひっ……!)
突然のことで言葉にならない。彼の頬ずりに抵抗すべく、私はジタバタと抵抗した。全力で頬にめり込んでいく肉球。しかしオルランド様は、なぜかそれすらも嬉しそう。
「お、おかえりなさいませ、オルランド様」
「ああ……ありがとう、癒される」
「癒される? 肉球が?」
「違うよ、ロミナがこうして出迎えてくれたことが嬉しいんだよ」
頬をグイグイ押し返されながらも、オルランド様は幸せそうに笑っている。ちょっと怖……いけない、こんなふうに思っては。
「ロミナへのお土産に、魚の缶詰を買ってきたよ。すぐ食事にしよう。今日も俺が――」
「あっ、今日はもう食事を済ませてしまったのです」
「え?」
オルランド様は明らかにショックを受けている。
先程まで緩みっぱなしだったお顔から、急に笑顔が消えてしまった。魚缶の入った紙袋が、手から離れてポトリと落ちる。
「食事……ど、どうやって食べたの?」
「シェリーさんに食べさせて頂いて」
「シェリーに……? なんで? シェリー、そこまでお世話しろとは言ってないけど」
そんなに、猫に餌をあげたかったのか。食い下がるオルランド様に、シェリーさんも眉を下げてしまった。
「今日、ロミナ様にはとてもお世話になりまして……『かわりにお願いがある』と仰られたので、それがお礼になるならばと、ご本人の希望に従ったまででございます」
「そんな、ロミナ」
「これからは私、シェリーさんに食事のお手伝いをして頂こうかな、なんて思っていて……」
私は裏庭で洗濯物を乾かしたあとも、シェリーさんのために張り切った。魔術でお野菜を洗ったり、魔術で床のお掃除をしたり、魔術で探し物を探したり……ありとあらゆる魔術を駆使して、シェリーさんを手伝った。
猫の私は魔力も強く、お仕事はあっという間に片付いた。するとシェリーさんから言ってくれたのだ、『なにかお礼をさせてください』と。
私はそれに飛びついた。交換条件として『食事に困っているから、手伝って欲しい』とお願いしたら、彼女は快く了承してくれたのだった。
心落ち着く食事だった。慈しむようなシェリーさんの眼差し、ほのぼのとした穏やかな会話。あんなに安らげる時間を過ごしたのは、猫となって初めてかもしれない。
けれど、オルランド様は悔しげな顔をして私を見下ろしている。
「俺じゃ駄目なの?」
「駄目というわけではなくて……女同士の食事って楽しいものなのです。どうか、ご理解いただけると嬉しいのですが」
「俺とは、楽しくない?」
明らかにオルランド様は拗ねていた。
というか、天下のオルランド様でも拗ねることがあるのか……猫ってすごいな。
しょんぼりとした姿を見るのは心苦しいけれど、私もここで引くわけにはいかなかった。クルス侯爵家で、心の安寧を保つためにも。
「オルランド様との食事は、心臓に悪いのです。お食事は、もう少し慣れてからにして頂けると……」
「それって、俺相手だとドキドキするってこと?」
「え……、そ、そうかもしれません」
ドキドキというか、あの心拍数は爆発へのカウントダウンのような気もする。
しかし少し機嫌を持ち直したオルランド様は、やっと笑顔に戻ってくれた。
「じゃあ、ロミナに早く慣れて貰えるように……俺、努力するよ」
「努力?」
「明日から任務でまた少しだけ家を空けるけど、なるべく早く帰ってくるね。ロミナのために」
任務……そういえば、昼間シェリーさんから教えてもらった。
オルランド様が得意とするのは攻撃魔術。そのため、突如湧く魔物や猛獣の討伐に日夜駆り出されているらしい。
「任務が終わったと思ったら、息付く間もなくまた任務……嫌になるよ」
「魔物……今はそんなに多いのですか?」
「最近、少し増えてきたような気もするね。でも大丈夫だよ。すぐに片付けてくるからね」
討伐は数日で終えるものもあれば、遠征となると数ヶ月戻ってこられないこともザラだという。オルランド様くらいの使い手ともなれば、任務は過酷を極めるのだろう。
「あの……あまり無理をされないで下さいね」
「ふふ、ありがとう」
しばしの別れが辛いのか、オルランド様は少し切なげに微笑んだ。影のある瞳を見ていると、胸がキュッと痛くなる。
ああ、本当に猫のことがお好きなのだわ……
(……今夜一緒に寝るくらいは頑張ろう。オルランド様の癒しになるのなら)
私はその夜、覚悟を決めた。自らオルランド様の側へ近づき、その隣に寄り添ったのだ。
想像どおり、オルランド様は顔を綻ばせ、ベッドに歓迎してくれた。しかしその破壊力は、私の虫けらのような覚悟などはるか上回っていて――
「ロミナ? もう寝たの? ロミナ……?」
長い指が身体をなでる。何度も額にキスをする。
耳元で優しく名前を囁かれただけで、神経が焼き切れそうになって……あの声はもう拷問だ。
(ごめんなさい、無理でした……)
あっという間に意識が遠のいていく。オルランド様に慣れることなんてあるんだろうか――
抱きしめられながらベッドへ入った私は、二度目の気絶を味わった。




