猫の魔術は想定外
お屋敷の裏口からこっそり外を覗いてみると、ちょうどメイドが一人立っていた。
黒髪の似合う、凛とした雰囲気のメイドだ。大きなシーツとお仕着せが広い庭にたなびく中、どんよりと雲が広がる空を見上げている。
「もう……ついさっきまで良いお天気だったのに……」
メイドは誰にも聞こえないほど小さな声で、ぽつりと文句を垂れていた。
人間なら聞き取れないほどの微かな声だ。しかし、あいにく今の私は猫。人の身にくらべると段違いに耳が良く、少し離れたところの呟きさえ聞き取れてしまう。
(そうよね、この雲じゃあ……)
見上げた先には、今にも雨粒が落ちてきそうな雲。せっかく干したのに、これではすぐ取り込むことになってしまいそうだ。しかもこの量を一人で取り込むとなるとなかなかの重労働である。
私はおせっかいだと承知のうえで、メイドのいる裏庭へと飛びだした。
「あの、メイドさん。おはようございます」
「あ……! おはようございます、ロミナ様。私はシェリーと申します、以後お見知りおきを」
足元で話す猫相手に、シェリーさんはわざわざしゃがみこんで挨拶をした。喜怒哀楽を感じさせない顔からは表情が読めないが、多分いい人だ。猫の勘がそう言っている。
「私のこと、ご存知なのですか?」
「もちろんです。オルランド様に、お留守中のお世話を仰せつかっておりますから。なんなりとお申し付けください」
「ありがとうございます、シェリーさん」
折り目正しい彼女は、猫である私にもうやうやしくお辞儀をした。オルランド様が信頼して仕事を任せるくらいなのだから、きっと誰にでも礼儀正しく、真面目な人なのだろう。
「あの、今お困りでしたよね」
「ええ……雨が降りそうなのです。せっかく洗濯物を干したのですが、またやり直しになるかもしれませんね」
「私、乾かせますよ。やってみましょうか」
「えっ? ロミナ様が?」
つい、出しゃばってしまった。
見て見ぬふりは出来なかったのだ。
我がモントン家は魔術師の家系。なかでも、補助系魔術を得意とする一家だった。
攻撃力や防御力の強化、補助効果を付与、状態の変化など……お兄様が私を猫に変身させてしまった魔術なんて、その最たるところだ。すごいけど、思い出すだけでムカムカしてくる。
お兄様まではいかないものの、私も魔術学園では三年間、補助系魔術を学んできた。なので濡れた洗濯物を乾かすくらいは楽勝なのである。
「クラルス・ルミナ、フォルティス・イルミナ、ヴェントゥス――」
しかし術を唱え始めてからやっと、とある不安が頭をかすめた。
(そういえば、この肉球の手で魔術は発動するのかしら)
私は昨日、手のひらに傷を負った。そのせいで卒業試験の魔術は散々な結果に終わったのだ。
それほど、手の状態は魔術にとって重要なもの。このくらいの初級魔術、私だってモントン伯爵家の人間なのだからなんとかなるだろうとは思うけれど……なんせ今は猫。はたして、肉球で魔術が使いこなせるのだろうか。
そんなことを考えながら呪文を唱え続け、とりあえず肉球の上に光の玉を作り出す。
次第に、ピンク色の肉球が見慣れた光に照らされ始めた。よかった、猫の姿でも成功しそうだ。
ここまで出来たらあとは簡単。肉球から離れた光の玉を上空に浮かべたら、魔術を「えい!」と発動させる。
すると弾けた光の玉が淡い霧状となり、はらはらと洗濯物へと降りそそぎ――やがて陽だまりのような香りが、裏庭一帯に漂った。
「まあ……! なんて素晴らしい……!」
辺りに広がる光に、シェリーさんは感嘆の声をあげる。
かく言う私もびっくりした。
予想以上に良く出来過ぎているのだ。
(魔術が効き過ぎているような……?)
光と風の力を利用する初級魔術ではあるけれど、私程度の魔力ではこのような広範囲をカバー出来るはずが無かった。そのため何度か術をかけ直すつもりだったのに、なぜか一度で済んでしまっている。
(な、なぜ? 猫だから?)
兄に魔術をかけられたから? 猫の姿になったこの身体で、さらに魔術を使ったから……? でも、そんなことってあるのだろうか。
嬉しいけれど、戸惑いのほうが大きかった。
猫の身体、もしかしてすごいのかもしれない。
「ロミナ様、ありがとうございます!」
困惑する私の隣では、シェリーさんがわずかに口角を上げて微笑んでいる。
(笑ってくれた……!)
これは喜んでくれているのではないだろうか。大成功だ。シェリーさんの控えめな笑顔が、今の私にはとても嬉しい。
「お役に立てて良かったです。猫だと、お世話されるばかりで情けなくて」
「そんな……オルランド様はロミナ様のお世話も楽しまれているようですよ?」
「そのお世話が心臓に悪くて……あ!」
私は思いついてしまった。
シェリーと私、お互いにとって有意義な交換条件を。




