心臓が持ちません
結局、オルランド様の“あーん”によって、私は魚を一匹丸ごと食べてしまった。
むしろ、なぜ一瞬でも抗ったのか。
口の中でほろほろとほどける舌触り、焼くことにより凝縮された濃厚な旨み……猫になって食べる焼き魚が、こんなに美味しいものだなんて知らなかった。
一口食べたら止まらなくて、気が付けばスプーンが差し出されるたびに口を開けていた。完敗だった。
「ロミナ、おいしかった?」
「はい、とても……。ご馳走様でした」
「うん。可愛い。明日の朝も食べさせてあげるからね」
(あ、明日も……?)
私は戦慄した。受け止める自信がなかったからだ。
「明日からは自分で食べます。大丈夫ですから!」
「フォークとナイフ、使えないのに?」
「えっ」
「どうやって? お皿に口つけて食べるの?」
「ええと……」
しかしオルランド様は私が口を挟む隙もなく、“令嬢”としてのプライドを攻めてくる。
そんな風に言われたら、もう皿に口をつけるなんてことできない。オルランド様に食べさせていただくしかないじゃないか。
(私……ボス猫に殺されなくても、ここで倒れてしまうかもしれない……)
食事のたびにこんなことをされていては、きっと一ヶ月と持たずに心臓が爆発してしまう。オルランド様はよほど餌をあげるのが楽しかったと思われる。
(本当に、猫がお好きなのね)
こんなに機嫌のいいオルランド様は見たことがないもの。
今だって、食べ終えた食器をメイドに下げさせると、鼻歌まじりで私をひょいと抱き上げる。
頭上から降りそそぐオルランド様の鼻歌……なんてレアなんだろう。もしファンの皆が聴いたら、あまりの尊さに倒れてしまうんじゃないか。そういう私も気絶寸前のところをギリギリ耐えているところだ。
腕の中でゆらゆらと揺られながら、精神を保つために瞳を閉じる。
途端に鼻歌が子守歌のように作用して、どうしようもなく眠気が襲ってきた。つい先程までたっぷりと寝ていたはずなのに、猫の身体というものはおそろしい。まだまだいくらでも眠れてしまう。オルランド様の腕の中ということも、次第に忘れてしまうほど――
「おやすみ、ロミナ」
意識の途切れた私の額に、オルランド様がキスをおとす。そんなことも知らぬまま、私は深い眠りに落ちていったのだった。
「じゃあ俺は城に……本当は行きたくないけど、行ってくるね」
翌朝起きたら、オルランド様はすでにローブをまとい、身支度を終えていた。今日は登城する予定があるらしい。
オルランド様やお兄様が所属する魔術師団は、城壁の内側にあった。
魔術師達は、登城し指令室で任務を受け、それぞれ個々に与えられた任務を遂行する。それを終えると指令室に報告し、また新たな任務を受ける、基本はその繰り返しなのである。
オルランド様も先日受けた任務を完了し、今日はその報告に行かねばならないようだった。
魔術師の証であるローブをひるがえしながら颯爽と歩く姿は、猫であっても見とれてしまう。
(かっこいい……さすが皆のオルランド様……!)
「ロミナ、留守番をよろしくね。あぶないことはしちゃだめだよ。何か不便があったらメイドに伝えて。くれぐれも一人で外に出ないこと。約束して?」
「は、はい」
家を出る間際まで過保護だったオルランド様は、じいやに促されて渋々ながら家を出た。
そしてようやく、パタン……とエントランスの扉が閉まる。
「ふあああ……!」
なんて開放感! 世界が明るく見える!
やっと、オルランド様から解放された。
一気に緊張がとけて、床にへなへなと沈み込む。
たった一晩、猫として一緒にいただけ。なのに、もうへとへとに疲れてしまった。
今朝なんて、起きたらオルランド様の美しい寝顔が目の前にあったのだ。昨夜抱えられたまま寝てしまった私は、どうやらオルランド様と同じベッドで寝ていたらしい。
『ぎゃっ!』
寝顔を見た瞬間、私は飛び上がった。心臓が止まるかと思った。いや、確実に寿命が何年か縮んだに違いない。
なのにオルランド様は、及び腰の猫を『おはよう』と優しく抱きしめた。
まだまどろみの中にいる、オルランド様の甘ったるい声。暖かい胸。とろりとした眼差し……
『よし、寝よう』
私は二度寝した。自己防衛本能が働いたのだ。あのままオルランド様を浴びていては、とてもじゃないけど正気を保てなかった。
猫の身体は本当に便利で、そうと決めたらすぐに眠れた。そして二度目の眠りから目を覚ますと……オルランド様はローブを纏って、登城の準備をしていたわけだ。
助かった。これで僅かばかり心の平静を取り戻すことができる。
とりあえず、オルランド様がお留守の間はあの部屋に入らないことにしよう。何となく、オルランド様の残り香だけで気が狂いそうになるし……
となると、どこで過ごそうか私は悩んだ。
モントン伯爵家よりはるかに格式高い、クルス侯爵家のお屋敷。あまりに広くて、しばしウロウロとさまよった。
結局、どこも猫がいてはならない気がして……居場所のない私が辿り着いたのは、お屋敷の裏口だった。




