第6章 金髪のジェニー (揺れる恋心とすれ違う想い)
「――ねえ、駈くん……ちゃんと聞いてる?」
放課後のショッピングモール。
いつものストリートピアノの隣に並んで置かれたベンチで、私は少しだけ不満そうに、小さくほおを膨らませてみせた。
目の前に座る駈くんは、私の声にハッと驚いたように瞬きをし、それから申し訳なさそうに眉を下げて、困ったような苦笑いを浮かべる。
「あ、ごめん……天音ちゃん。今の、学校のテストの話、だっけ?」
「もう……全然聞いてないじゃない。現代文の漢字の小テストの話をしてたのよ?」
「はは……ごめんって。ちょっと、別のことを考えててさ」
そう言って困ったように目を細める駈くんの横顔は、相変わらずどこか憂いを帯びていて、見ているだけで私の胸の奥がキュッと締め付けられる。
あの日、彼が過去の呪縛から涙を流して解放されてからというもの、私たちの距離は以前とは比べものにならないほど近くなっていた。
学校が終わると自然に待ち合わせをして、一緒にモールへ来て、他愛のないおしゃべりをする。それが、内気で一人の世界に閉じこもりがちだった私にとって、夢のように温かい「当たり前の日常」になっていた。
けれど――近くなったからこそ、新たに生まれてしまった戸惑いもあった。
(……なんか最近の駈くん、私を見るとすぐに目を逸らしたり、急に優しく見つめてきたり……なんだか、変なの……)
ふと、私の意識が彼の整った横顔に釘付けになる。
少し伸びた黒髪、すっと通った鼻筋、そして笑ったときに優しく三日月のかたちになる目元。どこをとっても絵になるその姿に、近くを通りすがりの女子生徒たちがチラチラと視線を送ってくるたびに、なんだか少しだけ誇らしいような、同時に胸がざわついて落ち着かないような、複雑な気持ちになった。
(ほんと、どこかの物語に出てくる光源氏みたいなんだから……)
自分で心の中でこっそりツッコミを入れて、思わず自分の顔がカッと熱くなるのを必死に抑え込む。
優しくて、どこか影があって、周りの人を引きつけてやまない独特の雰囲気を纏っているものだから、学校でも女子の間で「あのストリートピアノを弾いている男の子、すごくカッコいいよね」という噂が少しずつ広がり始めていた。本人は相変わらず全く気づいていないみたいけれど。
「どうしたの、天音ちゃん? そんなにじっと俺の顔を見つめて……もしかして、顔になんかついてる?」
駈くんが不思議そうに首をかしげながら、ふっと顔を近づけてのぞき込んできた。
あまりの至近距離に、吸い込まれそうになるその瞳から慌てて目を逸らし、私はブンブンと首を横に振った。
「つ、ついてないっ! なんでもないから……!」
「変なの。……あ、そうだ」
駈くんは少し照れくさそうに視線を泳がせたあと、ふっと優しい笑みを浮かべてピアノの鍵盤へと向き直った。
「今日はさ、天音ちゃんにどうしても聴いてほしい曲があるんだ」
「え……? 何の曲、ですか?」
私の問いかけにはすぐに答えず、駈くんはふうっと小さく息を整えると、ゆっくりと優しい指先を鍵盤に落とした。
流れてきたのは、軽やかでありながら、どこか甘く切なさを孕んだ、優美で上品なメロディーだった。
――『金髪のジェニー』。
愛しい人を想う切なさと、温かな慈しみに満ちたフォスターの名曲。
駈くんの指先から紡がれる音は、以前のような暗さや痛みの影を完全に脱ぎ捨て、まるで目の前にいる大切な人に優しく語りかけるような、瑞々しい光に満ち溢れていた。
(……この曲、もしかして……私に……?)
音が紡がれるたび、胸の鼓動がうるさいほど大きくなっていく。
歌詞の意味を知っているからこそ、この曲を今の彼が選んでくれた意味を考えてしまい、耳の先まで真っ赤に染まるのが自分でも分かった。
――私は軽やかに歌う、懐かしきジェニーを……。
美しい旋律がモールの天井へと溶けていく。
演奏を終えた駈くんは、ゆっくりと鍵盤から手を離し、少しだけ緊張した、けれどまっすぐな面持ちでこちらを振り返った。夕暮れのあかね色の光が、彼の横顔を柔らかく縁取っている。
「……どうだった?」
少し掠れた声で、駈くんが尋ねる。
「うん……すごく、綺麗だった。なんだか、胸が締め付けられるみたいに……温かくて」
私の言葉に、駈くんはほっとしたように、けれどどこか切なそうな微笑みを浮かべた。
「よかった。この曲を練習してるとき、ずっと……天音ちゃんのことを考えてたんだ」
「――えっ」
予想もしていなかった直球の言葉に、心臓が跳ね上がり、呼吸が止まりそうになった。
駈くんはゆっくりと立ち上がり、私の目の前まで歩いてくると、少しだけためらうように、けれど真剣な瞳でじっと私を見つめた。
「あのさ、天音ちゃん。……俺、ずっと怖かったんだ。大切な人ができても、いつか突然いなくなっちまうって怯えてばかりで、自分の本当の気持ちにずっと蓋をしてた」
「駈くん……」
「でも、天音ちゃんが俺の暗闇を引っ張り出してくれて、一緒に泣いてくれて……その時から気づいてたんだよ。俺にとって、もう天音ちゃんは、ただの『友達』なんかじゃないってことに」
駈くんの声が、微かに震えていた。
光源氏のように周りを惹きつけてしまう彼が、今、たった一人の内気な女の子である私だけに向けた、不器用で真っ直ぐな想いをこうして言葉にしてくれている。その事実だけで、胸がいっぱいになって涙が出そうだった。
「俺は、もっと強くなりたい。天音ちゃんがいつまでも安心して隣にいられるような、そんな男になりたいんだ。だから……その、なんだ……」
言い淀みながらも、駈くんはぐっと拳を握りしめ、覚悟を決めたように私をまっすぐに見据えた。
「――俺のそばに、いてほしい。ずっと、一緒にいてくれますか」
その言葉は、まるで夕暮れの奇跡のように、私の心を温かく満たしていった。
すれ違っていた想いが重なり、恋心という名前の形ではっきりと結ばれる瞬間。
私は熱くなる目元を隠すことも忘れ、あふれ出しそうになる笑みを抑えきれなくなりながら、震える声で、けれど力強くうなずいた。
「うん……ずっと、一緒だよ、駈くん」
私の返事を聞いた瞬間、駈くんの顔にパァッと満面の笑みが咲いた。
それは10年前、お母さんのピアノを見上げていたときのような、そして私と出会って初めて見せてくれたような、世界で一番眩しくて優しい笑顔だった。
私たちは互いの距離を縮め、夕暮れのモールの中で、そっと震える手を重ね合わせた。
過去の哀しみから始まった物語は、今、確かな温もりを伴って、新しい未来へと歩み出そうとしていた。
駈は幼い頃に突然、元気だった母親を亡くしたので、母親への思慕は強いと思います。
私は恋愛には縁がないですが、今までの人生で、周囲を観ていて気づいたことは、女性にモテる男性はすごく母親想いなのでは?というところです。
どうでしょうか?




