第3話 靴屋のせがれ。
「な…何見てんだよ?」
俺が仕事するのを椅子に座ってじっと見ている女。すごく姿勢がいい。
靴を注文していて、今日は仮合わせの予定らしい。俺だってやろうと思えば合わせられるがオヤジに叱られるので、納品に行ったオヤジを、椅子に座って待っていてもらった。
「……」
「だ・か・ら!何見てんだ!」
「ああ、申し訳ございません。あなたは…この仕事を継がないと仰っていた割に、お上手だと思いまして。」
表情も変えずに、その女が言う。こげ茶の髪を三つ編みにして、化粧っ気もなくそばかすだらけだ。この前と似たような黒のワンピースを着て、これは職業柄すぐ目が行ってしまうが、靴もエナメルの黒の…上等な靴だ。
「ふん。こっちは5歳にもなんないうちから手伝わされてんだ。当たり前だろ?」
「でも…あなたには何かやりたいことがおありなんですよね?」
「……ああ」
「……」
調子が狂うな。母親も今日は留守だ。オヤジが帰るまで、こうしてる気か?
オヤジは出来上がった靴を必ず注文した人に履かせてから、微調整があれば手を入れるから…納品と言ってもさっさと靴を渡して帰って来るわけでもない。そんなことばっかりやっているから…儲かんないんだ。
「俺はな…こんなしけた靴屋じゃなくて、なんかデカい商売をするんだ。」
「まあ…そうなんですね」
たいして驚いてもいない口調で、その女がそう言った。
「そうだ。おれは15になったらこんなところを出て…。」
「具体的には、どのようなご商売を?」
「あ?まあ、デカい商売だよ!」
手を動かしながら、俺はその女に答える。
「…そうですか。あなた…字は読めますか?計算は?デカい商売というのが具体的にどのようなものかわかりかねますが…商人になるのでしたら、読み書き計算は出来た方がよろしいかと思います。」
「……」
きっちりと手を揃えて膝の上に置いたまま、ほんの少し首をかしげて女がそう言う。
変な女。でもその変な女の言うことも、まあ…間違ってはいない気がしないでもないが…こんな下町で読み書き計算がまともにできる奴なんか…
「はん!お前が教えてくれんのかよ?」
「え?」
「さっきから、偉そうなことばっかり言いやがって!じゃあ俺に読み書き計算をお前が教えてくれよ!!!」
まあ…八つ当たりのようなもんだ。小さい頃教会でシスターが読み書きを教えてくれていたが…店の手伝いもあったし…ろくに通わないで終わってしまった。履いてきた靴を見るからに、いいところのお嬢さんだろう。説教しやがって…。そう俺はその女にできもしない要望を言ってやった。
「ええ。よろしいですよ。では、明日から。午前10時から12時まででよろしいですか?」
「え?」
丁度良くオヤジが帰って来て…その女が注文していた靴の試作を履かせて、店内を歩かせる。艶消しの皮の、地味な黒の靴だ。
「当たるところはないですかね?」
「ええ。ぴったりです」
女は微笑む。
なんというか…作り物の…雑誌の表紙のモデルのような笑顔だな、と俺は思った。
***
驚いたことに…次の日から本当にその女が俺に勉強を教えに来た。ぴったり10時になるとやって来て、ぴったり12時に帰っていく。
読み、書きと、簡単な計算。
母親もオヤジも驚きながら見ていたが…この女は毎日来た。
勉強机なんてもんはないから、作業台の隅っこをちゃちゃっと片付けた。
俺は一月もすると、簡単な子供用の読本が読めるようになった。
計算も二けたまで出来た。
二か月目になると、その女がお古の雑誌を持ってきてくれるようになった。
この国、フールのファッション雑誌。
三か月目には帳簿の付け方を習った。
俺は…この女の持ってきてくれる雑誌が楽しみだった。母親と奪い合いながら見た。
なんて書いてあるか読んでよ?と言われて、母親にたどたどとではあるが読んでやった。
モデルが着ている服も驚きだったが、靴!斬新なデザインの靴!服の雰囲気に合わせた様々な靴!!!!
「私、今度、仕事を始めることになりまして、もうこれなくなります。」
と、女が言い出したのは、5か月目に入ってからのこと。それまで毎日のように10時かっきりには店を訪れていたんだ。ちょうど注文の靴も出来上がったところで、その女が今日はその靴を履いていた。
「トマさんには、私のおばさまに雑誌を届けて下さるように頼んでおきました。いい商人になって下さいませ」
そう言って俺に真新しい辞書を一冊手渡してきた。それから、いつもの黒のワンピースのスカートをつまんでその女がお辞儀をする。
「あ…ありがとうございました!デボラさん、いえ、先生!」
俺は慌てて席を立つと、といっても店の隅っこの皮を切る作業台の隅っこだが…デボラさんに深々と頭を下げた。
デボラさんは、ほんの少し驚いた顔をしたが、いつものように微笑んだ。
でもそれは、ほんのちょっとだけ…いつもより恥ずかしがっているように見えた気がした。




