第17話 叫ぶ。
「ねえねえ、マリユス?あれって、デボラ先生じゃないかしら?」
レストランの上の席で婚約者と食事をとっていたロゼールは、茶髪の男に引きずられるように入ってきた黄色のワンピースの女性を見て、マリユスに声をかけた。
「え?ああ…黒以外の服を着ている先生って…逆によくわかったね?ロゼール。」
「ええ。そりゃあ、私、先生が大好きなんですもの。」
「おやおや。やけちゃうね」
そんなことを話しながら、なんとなく気になってチラチラと階下を見る。
男は結構お酒を飲みながらよくしゃべっているようで…先生は…まあもともとそんなにおしゃべりじゃないけど。
「気になる?挨拶に行っておく?贈り物のお礼もまだでしょう?」
「あら。お手紙は出しましたわ。でも、素敵なステンドグラスのランプでしたわよね?」
そんなことを話しているうちに、二人は食事が終わって帰るようだ。来た時と同じように…なんというか…先生を引きずって店を出ていく男。
「やっぱり…行きましょう?なんだか、先生らしくないわ」
「そうだね。行ってみようか。でも、痴話げんかかもよ?」
そう言いながら店員を呼んだマリユスが伝票にサインをしている。
二人を追って急いで店を出ると、すぐわきの路地で、二人がもめているところだった。男の、酔ったからか、かなりの大声が聞こえる。
「はあ?俺の言うことが聞けないのか?」
「……」
「お前のことを好きになる奴なんて、どこにもいねえんだよ?な?わかるだろう?クロディーヌ?聞こえてんのか?俺とホテルにしけこもうぜ。くくくっ」
「……」
クロディーヌ?そう呼ばれている女性は、間違いなくデボラ先生、よね?
男は先生の右手を握ったまま離さない。
「だから俺の言うこと聞けって!このっ!」
男が手を振り上げた時、マリユスが間一髪止めに入ってくれた。
「なんだよ、てめえ」
男は相当酔っているんだろう。ろれつの回らないまま、腕を押さえたマリユスを睨んだが、焦点が合っていないようだ。
馬車が止まって人が降りてきた。何人か息を切らせて駆け寄ってきた。
「先生、大丈夫よ」
ガタガタと…怯える先生をロゼールは抱きしめる。
「あ?アルバンにも家庭教師協会にも言ってやってもいいんだぞ?お前は父親に見捨てられて、母親に殺されかけた生き残り、これから先だって、誰にも愛されないんだよ?可哀そうだねぇ…くくくっ。結局俺にすがるしかないんだよぉ」
男は…マリユスに腕をひねり上げられても、先生への攻撃をやめなかった。
「そんなことないわ!私は先生が大好きよ!」
ロゼールは男に向かって叫んだ。…今までこんなに大きな声を出したことがなかった。そう思って、なんだか…自分が誇らしかった。言えた。
「これから先?…お前に頼まなくても、僕が先生を守っていくから。心配しないでくれ」
私と男の間に割って入った青年が、そう言い切った。
「はあ?アルバン?…この女、お前は抱けんのか?背中が母親に虐待された鞭の跡だらけだってよ?がははっ。遊んだことないお坊ちゃんには無理無理。なえちゃうよ?」
バキッと音がして、青年が一発男を殴った。
「あ、ごめん。僕も、もう無理」
そう言ってマリユスが男の腕を離したと思ったら…ばぎっ、と男を殴った。血だらけの歯が何本か飛んで行った。
「てめえ…俺を誰だと…」
そう言いかけた男が、ひっ、とマリユスの顔を見て驚く。
「誰?ああ、うちの事務に見習いで入っているヤニック子爵家の…なんだっけ…アロイス?仕事はできないし、良くない噂は多いし…変な女は訪ねてくるし…おまえか?子爵にどうしてもと父が頼まれていたらしいけど、今日限りで首だ。それでいいか?」
「…え?」
おい、と、マリユスが侍従と護衛を呼んだ。
「今すぐヤニック子爵に家に来るように言ってくれ。何時になっても構わん。この跡取りならうちはもう付き合いはしないと言っておいてくれ。こいつは衛兵に引き渡して、迎えが来るまで出さないように言ってくれ。」
わっと歓声が上がる。そうよね…みんなも殴りたかったかもしれないけど、手を出すと後々面倒ですものね…。先生に手を出そうとした男が衛兵に引きずられていく。
ロゼールは先生をアルバンと呼ばれた青年に任せた。青年は持っていたコートで大事そうに包むようにして先生を抱きしめて、待たせた馬車で帰るようだ。ペコリとお辞儀をしてくれた。ご婦人も何人か駆けよっている。
それを見届けた後、私は右手の拳をさすっているマリユスの首にしがみついた。
「マリユスがいてくれてよかった。」
「ん?」
「うん。私の人生に、あなたがいてくれてよかった!私、あなたに何かあったら助けるよ?うんと大きな声を出して!」
***
トマは新聞を母親に読んでやっていた。
【ヤニック子爵嫡男アロイス、妹の家庭教師をしていた女性を恐喝、暴行で逮捕。女性の所有する遺産目当てだったと供述。男はこの女性に結婚を迫り、暴力と暴言で言うことを聞かせようとしたらしい。
ヤニック子爵家はこの男を廃嫡し、新しい次期当主は妹君に当たるリシュエンヌ嬢。】
「あらまあ、ジルもなかなかやるわね?」
「ああ。まだ雑用ばっかりやらされてるってこぼしてたけど、あいつには向いてんのかもねぇ。新聞社」
トマはカサリッと新聞を折り返して、経済欄を読む。ジルが新聞社で仕事を見つけてきたので、うちも新聞を取るようにした。結構なぜいたく品だが。夕方、ジルがうちで読み終わった新聞を持って商業学校に出かける。
作業台の脇の小さなテーブルでお茶を飲んでいたオヤジが笑う。
「そうだなあ…トマも、そろそろ嫁を貰ったらどうだ?八百屋のララちゃんあたりどうだ?」
「えええええ?」
「あら?明るくていい子ヨ?いいわね?八百屋のおかみさんに聞いてみようかしら?」
「ええ???」
うちは先生に貰って読んでいたファッション雑誌をまねて、隣にあった雑貨屋の小さい店舗を借りて、ショールーム、というのを開設した。靴の見本や、色見本、洋服やスカーフと色を合わせるなんて言うコーディネートも提案したりして。もちろんオーダーメードの靴は父が採寸するし、セミオーダーなら俺が合わせる。
店番はジルの母親。ジルとその二階に住んでいる。なんというか…商売上手な人だ。あのおばさんはそのうち、一番街辺りに店を出そうとか言いそうだ。
…先生は……まあ、アルバンに任せたんだ。何とかなるかな。
あの夜、アルバンに抱きかかえられるように馬車に乗り込んだデボラ先生に、
「俺も!俺もデボラ先生が好きだ!」と叫んだが、聞こえただろうか。
「俺も好きだ!先生!」
ジルも負けずに叫んでた。
明るい日差しと、家族のバカみたいに明るい話につられて笑いながら、トマはそれが眩しすぎて、泣きそうになる。




