第11話 オカン。
秋口になって、ジルは父親の事務室に呼ばれた。
日曜日は授業がないので部屋で新聞を読んでいたジルは、事務室の来客用の椅子に座るように言われた。
ここのところすっかり太った父親は、特に悪びれた感じでもなく切り出した。金糸の刺繍の入っているベストの金ボタンがきつそうだな、そんなことを考えながらジルは向かい合って座った父親を見ていた。
「ジル。今年いっぱいでお父さんはお母さんと離婚することになった。」
「……」
「これも、お前のためなんだよ?お前の姉は平民に嫁いでしまったが、夫婦そろって呼び戻してうちで使ってやってもいい。」
「……」
「お前は貴族に、男爵子息になるんだよ?うふふっ」
嬉しそうに父親の大きな腹が揺れる。
「俺は、オカンとこの家を出るよ」
「…は?」
聞き取れなかったのか、聞く気がなかったのか…父親が聞き直すので、もう一度言った。
「俺はオカンと一緒にこの家を出る。俺は貴族にはならない。」
「は?お前ひとりでどうやって暮らしていく気だ?散々贅沢をしてきて、いまさら貧乏暮らしができると思っているのか?」
怒っているのだろう。顔を真っ赤にしたオヤジが、俺の胸ぐらをつかむ。
「貴族になれるって言ってるんだぞ?誰にもバカにされない、これからも贅沢三昧できる。綺麗なご令嬢とも結婚できる。…ジル、お前いったい何が不満だ?あ?」
「俺は働きながら商業学校に行くことにした。オカンを養いながら暮らすよ。」
「は?貴族学院はどうするつもりだ?俺は、お前のためを思ってだな!!!」
「頼んでねえよ」
俺がそう言うと、怒ったオヤジの手に力が入って、首元が締め付けられる。来ると思ったが…頬を平手で打たれた。オヤジの指にはめられた金の指輪が当たって、頬が切れた。
俺はそれでも、オヤジの怒った顔から目をそらさない。
「俺はさあ、オヤジ…オヤジを尊敬してたんだ。俺と姉ちゃんのために朝から晩までオカンと働いて、どんどん店を大きくしてさあ…。俺もやってみたいんだ。オヤジみたいに一から。」
「……」
「だから、俺は貴族令息、というのにはならねえ。それは、オカンを捨ててまで俺が欲しい物じゃないから。」
「……」
体が持ち上がるほど掴まれた胸元が、ふっと自由になる。
「…勝手にしろ…」
そう言って、自分の机に戻ったオヤジに、
「俺、もう少し勉強したいから、年内は家庭教師の先生に教わってもいいかな?」
「…勝手にしろ…」
もう一度オヤジは、同じことを言った。
「ありがとう…ございます」
俺は頭を下げて、父の事務所を出た。
***
休み明けに先生に、昨日あったことを話すと…もっと驚くとか?生活はどうするのだとか?貴族になった方がいいとか?そんなことは一切なくて…
「それでは、小論文の練習も始めましょう」
そう言った。




