第8話 夢を見るということ。
「ねえねえねえ、先生って、恋人はいるの?」
アリーヌは父がわざわざ頼んだ礼儀作法の先生にお茶の時間に聞いてみた。
年は自分とそう変わらないだろう。落ち着いているけど。
「……恋人?ですか?」
昨日から屋敷に住み込んでいるデボラさんという先生は、黒のワンピースに踵の低い黒の靴。こげ茶の髪を後ろで三つ編みにして…一言で言うと、地味。
上品な仕草で…ソーサーにカップを戻した。手を緩く組んで、膝に乗せると、ほんの少し首を傾げた。
「いませんね」
そう言った。
「恋を、したいと思ったことはあるでしょう?」
そう私が前のめりになって聞くと、
「…無いですね」
表情も変えずに先生はそう答えた。…無いんだ。
私は子爵家の娘だ。今、15歳。来年になったらどっかの誰かと婚約させられるに違いない。それで、そのまま嫁に出されるんだ。そのための礼儀作法の先生だし。
貴族ってそういうものだと、お兄様が言っていた。お兄様もお父様が決めた方と16歳で婚約した。今のお義姉様だ。
一度だけ、お兄様に聞いてみたことがある。それは…恋とか?愛とかに変わるものなの?と。
「そうだなあ。長く一緒にいるから、情はあるよ?」
そう言っていた。情、か。分かりにくい。
分かりにくいけど、私たち兄妹を置いて家を出て行ってしまった母には、その情、ですらなかったということか。なるほどね。
「じゃあ、独身主義者、ってやつなの?」
そう聞くと、先生は不思議そうな顔で私を見て、100点満点の微笑みを浮かべた。
…答える気、無いんだ。
まあ、いいか。
普通のおうちなら、娘には母親が礼儀作法を教えるなり、時期が来たら先生を頼むものらしいが、仕事に忙しい父は全く失念していたらしい。お義姉様に指摘されて、あわてて礼儀作法の家庭教師を頼んだ。だから、私的には今まではのびのびと暮らしてこれたわけだ。
「先生、私、実は小説家を目指してるんです。」
「まあ。そうですか」
思い切り話を替えたが…表情一つ変えず、たいして驚いてもいない先生がそう言った。
「最近書いた力作があるんです!ぜひ、読んで感想をください!」
勉強用の机の引き出しから、自分で書いた原稿用紙50枚になる小説を取り出して、先生に押し付ける。初・読者!
*****
午前中は一般的な教養の勉強をして、午後からは立ち居振る舞いや、もちろん歩き方、ダンス、食事マナーと続く。夕食後は貴族名鑑を読む。
アリーヌは正直驚いた。なに?普通の貴族令嬢って…こんな窮屈な生活を送っているの?そこに、お茶会の準備や、帳簿の管理まで組み込まれる。
デボラ先生は…私とそう年が違わないわよね?なんでこんなに何でもできるのよ!!
「そうですか?」
私の絶叫は…声に出ていたらしい。
そうそう、先生から私の書いた大・恋愛小説が返ってきた。
今まで読み漁った恋愛小説と、私の妄想の合体した力作である。
「誤字脱字はすべて訂正いたしました。」
いや…校正を頼んだわけではなかったつもりだが…
「で?どうでしたか?先生!」
「え?」
そう言ったまま…先生はしばらく黙り込んだ。
「最後に…何もかも捨てて恋人のもとに走る。目的のためになにもかも捨てる、というのはなかなか勇気がいりそうだと、そう思いました。主人公はそれでも手に入れたいものがあったのですね。」
「……」
私的には、力を入れて書いたそれまでの恋人同士の駆け引き、とか、恋敵との攻防、とか…そっちかと思っていた。
でも…先生が丁寧に読んでくれたことはよくわかった。




