23|十一回目にしてこんな終わり、アリ?
聖女に呼び出され、別荘の裏手にある、雪見の散策庭園でアタシたちは歩いていた。
けっこう寒い。冬用のコートと、ショートブーツを身につけている。今日ばかりはアタシも、ドレスの下に裏起毛の網タイツを履いていた。
「最近は私、王子ととても上手くいっていて」
「よかったですね」
アタシはにこやかに微笑んだ。
王妃とのお茶会のときより、彼女の皮肉的な発言は減っていた。
こうして庭園にアタシが呼び出されたのは初めてじゃなかった。そう、ループ上の確定イベントってやつ。
聖女はこのあと、斜面になった遊歩道の近くまで歩いていき、柵を繋ぐロープにつまずいて転ぶのだ。
今朝まで雪が溶けてきていたから、この寒さでロープの向こうは地面が凍っているだろう。山腹に沿った庭園は、冬は滑って危ないから立ち入り禁止になっている。
──彼女は、その危ういところでアタシに押されたと、嘘をついて騒ぐ予定なのだ。
といっても、これはアタシにはなんら影響はない。
少し吹雪いていたこともあってか、アタシが頑なに否定すると「聖女の証言だけでは」と言われて一旦は流される。代わりに聖女は、王子やラムズにさんざん心配されてイイ思いをする──というイベントになっている。
体調が悪いふりをして逃げてもよかったんだけど、最近の聖女はキナ臭いからな。どうせ大きな問題にはならないし、今更アタシの問題児伝説がひとつやふたつ増えたって痛くも痒くもない。今回は多少のご機嫌取りのためにも、コイツの好きにさせてやることにした。
……それから三十分。風も強いし早く帰りたいんだけど。転ぶんなら早くやってよ。
「シェリン様。お父様とは最近は仲がよろしいのですか?」
「まあ……ぼちぼちと言ったところですわね。忙しいようで、あまり話しておりませんの」
無難な答えを返しておいた。毎日一緒に寝てるよとか煽って、暴走する聖女を見れたら愉しそうだけど、今は怒らせないほうがいい気がする。
「では、こうして今日一緒に出かけられたこと、シェリン様も喜ばしいのではなくて?」
「そうね……。皆さんとお話できて楽しいですわ」
早く帰ろうよ〜。
少し離れたところに、護衛騎士や侍女が待機している。彼らもアタシと同じことを思っているのか、不安げに空を眺めている。
それから数分、風が一気に強まってしまった。大粒の雪が首筋に入り込み、頬を叩きつける風が痛い。山の天気は変わりやすいっていうもんね。
「エンジェリーナ様。帰りましょう?」
「私、どこかで手袋を落としたみたいで……。シェリン様もそのあたり、探してくださらない?」
そんなもんあとで探しなさいよ。というかメイドにやらせればいーだろ。
危ないと思ったのか、近衛騎士たちがこちらに近づいてきている気がする。風はさらに横殴りになって、既に足元が見えないくらい視界が白濁してきた。
「エンジェリーナ様、」
アタシが彼女の肩に触れようとすると、体を思いきり突き飛ばされた。
は?
足に何か引っ掛かり、体が冷たい雪原の上に落ちる。手をついて立ち上がろうとすると、妙な風がアタシの体を押しやり、さらに奥に滑り流された。
「ちょっと、」
腰を上げようとした瞬間に足がずるりと滑り、薄い雪の下の氷がアタシを更に下へと押し出した。
……うそ、でしょ。
柵のほうに手を伸ばすも、もう遅い。斜面になっていた地面は、アタシの体をみるみる下へ押し流した。手をつこうとするたびに鏡のような凍った地面で足が滑り、体が落ち、勢いで数メートルまた下ってしまう。
埋もれた石段に着いたと思ったら、腰が跳ねて体が横向きに叩き落とされる。
「ぁっ、ぃ゛ッッッッ」
袖口で地面を擦りつづけると、勢いが少し和らいだ。既に周囲は銀世界だ。吹雪の視界のせいで、どこに何メートル落ちたのかもわからない。
もう一度立ち上がろうと足を着きかけると、ブーツが氷の上を滑ってまた落ちた。腰を思い切り打ちつけ、背中を叩きつけられた衝動で胸が詰まった。起き上がれない。苦しい。
「……ぁ、はぁ、あ」
寒い、寒すぎる。地面が凍ってるせいで、立とうとすると滑っちゃう。這いつくばって登らなきゃ──。手をついて丘を登るたび、手袋が湿っていく。完全に濡れてしまうと手指がかじかんで力が入らなくなった。
なんでこうっ! 人間の体って不便なワケ!?
最悪、最悪、最悪。あの聖女、自分じゃなくてアタシを突き落としやがった。
どうしてまたループが変わってんの? 悪意どころか殺意? たかが平民上がりの聖女風情が! 死ね!
寒い、冷たい。雪が積もるたび、じわじわドレスを濡らして体が冷えていく。這って登ろうとしたせいで膝や靴は既にキンキンに冷たい。
雪で滑り落ちたときに使える黒魔術なんて持ってないよ……。
人を呪い殺せるものとか、自分の気配を消すもの、相手を尾けるもの、防御魔法や盗聴魔法を看破するための道具──。それに、普段と違う場所に行くこともあり、黒魔術の道具をドレスに隠していることがバレてもまずいし、最低限の準備しかしてこなかった。
しいていうなら爆破……? 誰かに居場所を知らせることはできるかも。でもこんな吹雪で……。
アタシは濡れてしまった手袋を外し、なんとか上に放り投げた。髪飾り、服の装飾、外せるものはすべて周囲に撒き散らす。
あ゛ぁぁぁぁぁ!
なんで誰も助けに来ないの? アタシ公爵令嬢なんだけど。聖女の次くらいには偉い身分なんだけど。とゆーか、聖女捕まれよ、アイツ風魔法使ってアタシを奥まで飛ばしたよな? アレ、殺す気だったよな?
寒すぎて体が動かない。吹雪もまだやまない。顔に雪が落ち、既に頬や唇が固まってしまっている。あちこちをぶつけながら滑ったせいで、体も痛い。最悪……アザできたらどうしてくれんの。白無垢のうるつやお肌だったのに。
最悪……寒いよ。寒い……痛い。
動けないよ……。
アタシは意を決して、よろよろと腕を動かし、胸の谷間から黒魔術の封紙や薬草を出した。カチコチの唇を僅かに動かし、掻き消えるような声で呪文を唱える。
ぼっと一瞬火がついて、紙も呪袋もみんな消えた。
──これでもう、助けは呼べない。なんの手もなくなった。
万が一誰かに助けられたら。そのときはきっとアタシは意識を失ってる。体を勝手に探られたら、黒魔術が使われるとバレて結局詰みだ。
だから…………もういい。
どうせ今役に立つ魔術はなかった。
あー……。
……何分経った?
えー……18分?
たったそれだけでこの有様……?
悪魔は時間を正確に測れるから……あー。そんなん今じゃなんの役にも立たねーな……。
一分、二分、少しづつ時間が過ぎていく。
意識が落ちそう。
寒い。
寒いよ。
眠いし……体の震えが止まんない。
吹き込んでくる冷たい風で体が冷たい。背中も……ドレスが濡れてきている。
……アタシの11回目の死、コレ?
パパと仲良くしすぎて聖女に恨まれて……今度は聖女に殺されんのか。そういう死に方もあんのね……やっぱこの家族、呪われてんなぁ……?
てゆーかラムズが早く助けにくればいいのに。王族の用意した騎士たちもいっぱいいたじゃん……。
あぁ、アタシ王妃に嫌われてるんだっけ……。この天気じゃ……見つけんのも大変だし……下手に探してもただ死ぬ人が増えるだけで終わりそうだもんね。王族が命を懸けて助ける理由なんて……ないかぁ…………。
アイツも早々に諦めて、「娘が……また……」とか悲劇のヒロインごっこで、聖女に慰めてもらうネタに使いそ……。聖女はますますやる気を出して、全面的にラムズにぞっこんになるってワケね……。
そっか……アタシ、まだ足りなかったんだ……。
聖女にはこのルートでも勝てないんだ……。
なんかプレゼントも渡してたもんなあ……。
もう……寒いよ。痛い。
ここまで頑張ったのに……また死ぬの?
あー…………。
……死にたくない。もう死にたくないよ。
……黒魔術の道具を捨てたときに、今回の死は受け入れたはずなのに。
誰か助けて。死にたくない。
……パパ。
……ほんとにだーれも助けに来ないのかよ! 特にあのエセ父! 王妃の前でも、聖女の前でも、どうでもいいって顔してたもんね。
アイツの娘への……〝愛〟なんて、そんなもんだ。手の届く範囲にあるから、人形みたいに愛玩していただけで……都合が悪くなったら手放される存在。アタシはまだそこまでの価値しかない。
愛ってサ、……いちばんしょーもなくて、不確かなモンだから。
そんなん当てにしたアタシが馬鹿だった。シェリンに執着しているのは間違いないけど……聖女がなんらかの要を握っているのは確かで…………そのほうが大切なのだ。
ああ、眠いな……。
次のループ、どうしよっかな…………。
✶
シェリンが斜面へ落ち見えなくなったのを確認すると、聖女は控えめに呟いた。
「シェリン様……?」
護衛騎士が荒れた風と戦いながら、ようやく近づいてくる。
「エンジェリーナ様。早く中に入りましょう。こんなに急に天候が荒れるなんて……」
もうひとりの騎士が周囲を見渡す。
「シェリン様はどこに?」
聖女はふるふると首を振って、上擦った声を漏らした。
「わからないの。吹雪のせいで視界が見えづらくなってしまって……この辺りにいるはずなの。さっき声が聞こえたから、転んでしまったのかも」
騎士たちは慌てて叫びはじめた。
「シェリン様! シェリン様!」
柵の向こうを覗こうとする騎士に、聖女は叫ぶ。
「下手に散ってはダメ! 近くにいるなら余計に見失ってしまいます! 近くにいるはずなの。さっきまでそばにいたのよ……!」
泣きそうな声で訴え動揺している聖女に、騎士が安心させるように力強く言った。
「大丈夫です。今新しく別の者たちもやって来ました」
騎士にしっかりと体を支えられ、聖女は建物の入口まで戻ってくる。不安そうにする王子に駆け寄り、青ざめた顔で言った。
「シェリン様が見つからないの。庭園内にいるはずですの。音がしたのは私の近くでしたの。ですから……」
「大丈夫だ、エンジェリーナ」
王子は再度護衛たちに声を荒らげた。
「まずは庭園内を探すんだ! 低木の影や石畳の脇も見ろ! きっと寒くて声が出せないんだ!」
騎士のひとりが屋敷の中に入ろうとするのを見て、聖女は慌てて呼び寄せた。
「あなた、どこに行くのですか? 早くシェリン様を……!」
「公爵様をお呼びしなければと思って」
「そうでしたわね。それならたしか……北東側のサロンにいたと聞いた気がするわ。ありがとう」
それから聖女は、別の騎士にも声をかけた。
「公爵様もお呼びしなくては! たしか北西側のサロンにいた気がするの……。お願いできる?」
しばらくして、王子が聖女に焦ったように尋ねた。
「公爵はまだか? シェリン嬢のことを誰か知らせに行ったのか?」
「もちろん行きましたわ……! この吹雪ですもの、シェリン様を探すための魔法の準備をされているのかも……。まだかしら」
「騎士に呼ばせよう」
「それでは行き違いになってしまいますわ! 先程呼びに行った方がいらしたの。きっともうすぐに来るはずです」
それから二十分後、やっと公爵が騒ぎを聞きつけてやってきた。聖女はまたしても、上擦った声で彼に縋った。
「ラヴァイエ公爵様。私がいながら……シェリン様を見失ってしまって、申し訳ありません。近くにいるはずなのです、見つからなくて……公爵様」
侍女が彼女をそっと支える。
「エンジェリーナ様。これ以上はお身体に触ります。どうか……」
公爵は近くにいた王子に、鋭く言った。
「なぜ見つからない? 何分探してる」
公爵はいつも王子には敬語を使っていたはずだ。だが有無を言わせぬ冷たい響きに、王子は慌てて口を開いた。
「二十分ほどです。視界が吹雪でぼやけておりますため、難航しており……」
「二十分?」
彼の青眼が冷たく細まった。
「なぜ俺を呼ぶのにこんな時間がかかった?」
近くの騎士が慌てて声を出す。
「みな動転していて……。公爵様が南棟のサロンにいらっしゃることがあとから発覚し。申し訳ございません!」
彼の冷えきった視線が騎士の頭上を流れる。
「全員下がらせろ」
「ですが」
「俺がやったほうが早い」
王子の指示で騎士たちが引き上げられ、建物のそばに戻る。公爵は宙を切るように手を振り仰いだ。途端、凄まじい暴風が庭園内を吹き抜け、地上1メートルより上の吹雪がそのまま消し飛ばされた。
曇っていた視界が一瞬にして晴れる。だが、そこにはシェリンらしき人影も埋もれたドレスも見当たらない。
「……あれか」
右奥の柵、ロープがよれている箇所を見つけ、公爵は足早に向かった。
足跡は消えているが、雪の積もり方も不自然だ。柵の外側に向かって滑ったように崩れている。
「閣下、シェリン様は……」
駆け寄った護衛騎士に、公爵は一言返した。
「おそらくここから落ちたんだ。庭園にはいない」
「この先は……斜面になっております。助けだすにはまずロープの準備をしませんと……」
「俺がこのまま行く」
公爵の近くまできていた聖女が、腕を震わせながら彼を引き止める。
「いけません、公爵様。公爵様に何かあっては……国も私も……。ここは騎士たちに任せて。公爵様、冷静な判断をお願いします」
隣の王子も頷いた。
「いくら公爵閣下の魔法が優れていても、この雪では探すのが難しいでしょう。皆で手分けして丘を降りていきます。ロープを使えば滑り落ちることはありません」
公爵は微笑を浮かべた。
「俺は凍死はしません。この通り、吹雪で倒れることもない」
彼が指を回すと、周囲の風の流れがねじれ、吹雪が公爵を避けるようにして曲がった。
「俺は一足先に下へ降ります」
そう言うと、公爵は柵の外へ踏み出した。聖女は思わずといったふうで声を荒らげる。
「公爵様! 公爵様! 約束をお忘れなのですか?」
「忘れていませんよ。何度も申し上げたとおりです。俺は体が凍りません、魔法で体温を調整しております。皆様の元には必ず戻ってまいります」
彼らは頷くしかなかった。聖女は密かに拳を握りしめ、憎々しげに唇を噛んだ。




