19|ママ〜。もう一回蘇ってもらうね
最近はほんと、ヴォルガルの視線が鬱陶しくって。パパに「監視させんな」ってお願いしたのにな。
アイツ、勝手に行動してる? 主の言うことは聞けよもう……。てゆーかパパがちゃんと手網を握ってろよな?
ようやく時間を見つけ、〈魔の森〉の霊廟の前までやってくる。この前と同じく防御魔法円を解こうとして、さっと後ろを振り向いた。背筋が粟立った。
「シェリン」
宝飾のついた厚底のヒールが、湿った地面を踏んで近づいてくる。
「こんなところで何してる?」
……パパだ!
見つかった。尾けられてるのにも気づかなかった。
屋敷の庭には、こっそり塀を壊して抜け穴を作ってある。ただそれも、防御魔法を弄って術者に気づかれないようにしていたはずだ。
黒魔術のこと──バレるかも。
「ママたちのこと……昔のことが気になって……」
前に立った彼が足を入れ替え、銀髪が風に流れた。
「無理に思い出すなって言っただろ?」
「……ただ墓参りに行くだけだもん」
「入れねえだろ?」
「…………」
ラムズはただ真っ直ぐに言った。
「──でも、入れると思ったから来た」
そう、アタシは迷わず扉に手をかけようとしていた。ループで殺された〝公爵令嬢〟なシェリンなら、「魔法がかかってるとは思わなかった」で押し切れたかもしれない。でも今の有能ぶりが明かされてしまったアタシでは──もうそれじゃ通らない。
「パパから魔法学の本を貸してもらってるし、解くだけなら……できるかなって」
原理としては間違ってない。術を壊すのに必ずしも魔力は必要ない。……ただ、自分の魔力を流さずに魔法式を組み替えるという作業は、集中力も精度も段違いだ。今のアタシにできるかどうか──。
「じゃあやってみて」
特別、何かを咎めるような言い方でも、何かを疑ぐっているような声色でもない。なんの気もなしに提案してみただけ……そんな軽い口ぶりだった。
……でもそれがむしろ怖い。
塀を壊したこともたぶんバレてる。ここで霊廟の防御魔法を解けなかったら不自然だ。
……やるしかない。
アタシは意を決して扉の前に立った。指が触れる。
一度、黒魔術で構造を読んだ術式だ。完全に初見の魔法を解くよりはマシなはず──。
目を細め、空中をなぞる。見えない網目のような術式の列に、意識を潜らせていく。
並行思考をフル活用させて──蜘蛛の巣のように張り巡らされた魔法を、主である蜘蛛に気づかれないように、同時に少しずつ配置を入れ替え、ずらし、解いて──。冷や汗が首筋を伝う。風が髪を揺らし、目元を掠めていく。
やばっ、これじゃない。ここ弄ったら崩れちゃう……ええっと…………。
そして最後の節をずらしたとき、アタシが通れるくらいの穴が空いた。
「……解けた」
後ろから足音が聞こえる。わ、忘れてた。パパに見られてたんだった。
ラムズは軽く目を細めて、魔法が解れた部分に指をかけた。星屑がこぼれ落ちるように、残りの魔法がみるみる消えていく。
「シェリン」
い、いいんだよね? ちゃんと解けてよかったんだよね?
ラムズの冷たい指先が頬をなぞり、目を伏せていたアタシの顔をほんの少し上げさせた。
「俺が本を貸したのは半年前か。……それでここまでできるようになったのか」
狭まった視線は無機質で、何を考えているかわからない。
「お屋敷の防御魔法に穴を開けたのも……怒ってる?」
「ああ……。まあ、シェリンのことだからな」
指先がそのまま頬を軽く引っ張った。少し腰を曲げ、目を合わせた。
「もうちょっといい子にできないのか?」
「……え?」
「シェリンは、やっぱり魔力を飲ませたことをまだ怒ってるのか? それとも──」
アタシの態度が反抗的だと言いたい……のかもしれない。
「……だって。パパの説明は理解したけど、あれじゃあ……アタシの性格が変わったら愛せないってことでしょ? あの日アタシがパパに『くたばれ』って言う前は、こうして触れられることもなかったよ。今までと態度が違ってた」
「まあ、そうだな」
「だから……まだ許せてないのかも」
悪くない言い訳じゃないか? 普通の娘なら傷つくはずだ。
「記憶を取り戻したいのか?」
「……うん」
「性格が変わったら、俺が愛さなくなるかもしれないと知っていて?」
そこは自分で明言するんだ?
「……そうなの?」
「わからない。だから変わらないでほしい」
この返答自体が、もう既にクズだ。
「アタシは行くの。行くって決めた。別にただ……ママの棺桶に手を当てて考え事をするだけ。別に何も思い出さないかもしれないし……」
「じゃあここで待ってる」
「え、あ……数時間ずっと籠ってるかもだよ?」
「そんなに話したいことがあるのか?」
アタシは頬に触れていた冷たい指を掴み、そっと外した。
「パパが……アタシと一緒で悪いやつで嬉しいよ。でも、……一度アタシのことを見放した。だから……まだ完全には信用できないの」
一か八か──霊廟に入ることがバレちゃったんだから、今は正直に吐露したほうがいい。今までの傾向的に。裏でこそこそ動いて何かを企んでいると思われるよりよっぽどマシだ。
昨日の夜も抱きついて寝てたのに、今更こんなこと言って……怒られるかな。余計怪しまれる?
ラムズは顔を傾け、寂しい微笑を滲ませた。
「俺と仲良くしてたんじゃねえの?」
「……んー。パパと仲良くなりたい。そのために必要なことなの」
細い指先が顎を冷たく掬った。打って変わって、冷え冷えとした視線がただ瞳に落ちる。
「もう一度言って」
……ああ、嘘かどうか確かめられてる。
コイツは目を見ればわかるんだろう。だってたぶん、アタシよりずっと悪いやつだから。
「パパと仲良くなりたい。パパを信用できるようになりたいの」
彼は手を離した。
「そうだな、俺が悪かったな」曖昧に付け足した。「……いいよ。行ってきて」
そう言ってアタシの背中を押した。
……よかった。信じてくれた。
初めから嘘はついてない。今回のアタシは、ラムズを殺すつもりなんてない。このまま、愉しくて確実な生存ルートを掴みに行きたいだけだ。
アタシは後ろに冷たい気配を感じながらも、霊廟の地下へと降りていった。
今ここで死霊術を使うのは明らかにリスクがある。
ラムズに見つかったら、どこで黒魔術を学んだのか問いただされ、反旗を翻す気だとかって疑念を抱かれてもおかしくない。これまでのループでもそうだった。
今溺愛ルートに片足を突っ込んでいるとはいえ──どこまで許してくれるのか、まだよくわからない。
あれだけ仲良くしていても、アイツは、リスクがあると知ったら速攻で切り捨ててくるような冷酷な男だ。油断はできない。
……でも、過去は暴くしかない。今日これで殺されても、アタシはもう一度ここまで戻ってこれる。だからいい、今は後悔しない選択をする。
一応、外に声が漏れないように黒魔術で結界を張った。侵入を防ぐ気はない。ラムズならその程度の魔術、すぐに破っちゃうから。
前回の手順と同じように、イザベラの死体を魔法円に乗せて死霊術を使った。ぶくぶくと皮膚が蠢きながら、ぎこちなく腰を曲げて死体が起き上がる。潰れた眼窩と目が合った。
「まタあナた!」
ゆるゆると手を振った。
「はぁい。この前途中で終わっちゃったからさ〜。これで最後にするから♡」
イザベラの死体は、ボロボロの歯を剥き出しにして唸った。はいはい、んなことされても全然怖くないって。
アタシは自分の魔法円の中で胡座をかき、伸ばした爪でコツコツと冷たい床を叩いた。
「じゃ、早速。ママが死んだ原因は何?」
「あの男よ! あたりまぇ。でしョ!?」
「パパ?」
「そ、ウよ!」
あら〜。早々にパパの悪逆具合がバレちゃいましたけど? あ、今更か。
「病死って聞いたけど、魔法で殺されたの?」
彼女は憎々しげに頷く。と言っても、頭蓋がずるっと体のほうに落ちただけだ。
「まず口を……効けなく、されたワ。彼のせいだ、って、言えないようにね。次に手足が……だんだん動かなくなッた」
「えげつね〜。それで?」
「三ヶ月、以上……苦しミ続けたわ。医者は、リリンを失っタ、心労のせい、と」
「なんで殺されたの? おまえの不注意でリリンが死んだから怒ってたんじゃない?」
「違ゥ! アイツ。初めは『よかった』ト、言った! 私のリリンが死んで、よかっ、た。と!」
ふーん?
「でもあの事故、以降。お前は、私に話しかけて。いただろウ? それで彼は、シェリンが変わッた理由ヲ、私のせイにした!」
アタシは視線を上げ、さらに問いかけた。
「なんであんなシェリンに固執してんの? パパは、シェリンのこともリリンのことも愛してたの?」
「知らないワよッ! リリンは私の子なの! あんタはただの卵! 人間なんカじゃないッ!」
ん? 卵ってナニ? 少なくとも「シェリンのお顔、卵型でかわいいね〜」って話ではないっぽい。
「卵として産まれたってコト〜?」
「そウよ。卵をアイツが孵したの。魔力ヲ注いデ……」
〝孵した〟。
この体、卵から産まれたの? 珍しすぎるでしょ。亜人は人間とほぼ体の構造は変わってないんだから、フツーに子供を作れるはずなのにな〜。
「んじゃ、あとは記憶見せてもらうね〜。幼いシェリンのことも知りたいし」
アタシが黒魔術に追加の術式を書き入れると、死体がびくりと跳ねた。頭を抱えて体を丸め、喉の奥から汚い呻き声を上げる。
一歩魔法円のほうに近づき、彼女の頭を両手で挟んだ。呪文がひとつひとつ繋がっていくたび、視界が切り替わっていく────。
「お前のせいであれはシェリンじゃなくなった。魔力ももう飲めない」
底冷えする声。寒々と見下される視線にがくがくと体が震える。
イザベラは命の危険を覚え、床に這いつくばって彼の足元に縋った。
「……殺さないでください。お願いします、公爵様。娘が必要でしたら、もう一度協力しますわ。お願いします……!」
「一度しか作れねえんだ。やっと相性のいい人間を見つけたのに。……お前は用済みだ。これ以上シェリンが人間に似たら困る」
冷たい指先がイザベラの唇を押し開き、無理やり薬液が流し込まれる。全身が熱で焼けるように軋んだ。
「……そもそも、お前が目を離してリリンたちを溺れさせたのが悪いんだ。責任は取れよ。な?」
青く光る眼が嗤った。
そこから、一気に古い記憶へ遡った。
シェリンは卵から産まれた。初めは掌に乗るほどの大きさで、艶のない黒色だった。深い井戸の底のような色。冷たくて気味が悪く、イザベラはまとも見られなかった。
「でも私たちの子供は……? ラムズ、私の子供はやっぱりできませんの?」
自分はただ血を提供しただけだ。卵を錬成したのも、卵を孵すために魔力を与えるのも、すべてこの男が行うという。
「俺は特別な吸血鬼なんだ。これ以外に子供は作れない。結婚する前にそう説明しただろ?」
シェリンの出生の秘密を周知するわけにはいかないと、イザベラは契約魔法を結ばされ、メイドひとりを連れて離れで過ごすことになっていた。シェリンが孵るまで、偽物の妊婦として生きるのだ。
メイドには「お母様になれますよ。孵った子を愛してあげましょう」と何度も励まされてきたが、ただ卵から孵るのを待つだけだ。初めに血を渡しただけで……いったいこれの何が母親か。
たしかに、すべての条件を呑んで彼と共になることを選んだ。……でも、神は見捨てないでくれると思った! 見目のいい男に愛され、貴族に取り立てられ、贅沢な暮らし、最後は愛情深い家族が待っていると思った……幸せになれるはずだったのに!
だが数ヶ月後、イザベラは一人の赤子を身籠る。ラムズには何度も不貞を疑われたが、誓ってそんな事実はない。
晴れて本物の妊婦になったおかげで離れから屋敷に戻され、周りの使用人にも甲斐甲斐しく世話をされた。
これは私の娘。愛するラムズと私の──。神に何度も願ったおかげ、これは奇跡の子だ。
シェリンとリリンが産まれたのはほとんど同時だった。ラムズの計らいで、どちらもイザベラの腹の中から産まれたことにされた。
シェリンのほうが姉、リリンが妹。
だが双子と言うには、恐ろしくすべてが違っていた。
シェリンはラムズによく似た銀髪を持ち、光に当たるとプラチナのように光る、星を編んで作った絹糸のような髪だった。
肌は真珠のように白く透きとおって、くすみの影すらない。人間離れした鮮やかな青眼に、長くカールした銀の睫毛。磨きぬかれた氷のような顔立ち、長く華奢な手脚。
疑いようもなくラムズの血を分けた子供、いや、ラムズがひとりで作った人形だとさえ噂された。
一方でリリンは、母親に似ていた。同じく、母親がひとりで産んだ子供──そんなふうに見られた。
くすんだ茶髪に黒い瞳。くりっとした目がかわいらしいとイザベラは思った。でもごく普通の……どこにでもいる娘。
そして成長すればするほど……リリンは〝ただの人間〟だと思い知った。
イザベラの記憶は次話にも続きます→




