第十九話 「ドクター」
御者席で馬を操り荷台を引くその人は、若い女の人だった。澄んだ海のように青い髪に同色の瞳が目を奪う。歳は僕よりも幾らか上だろう。堂々たる態度が、大人びた妖艶さを醸し出している。
さて。その名乗りを聞いて僕は、大層驚いていた。
医者、という職業自体は勿論知っている。
が、この異世界において存在するとは初耳だ。何せ、大体の怪我も病気も、街にある神殿に駆け込めばお布施と引き換えに治して貰えるのだから。専門的に学んでいるわけではないから一般教養程度の知識しかなくあまり詳しいとはいえないが、認識に間違いはない。となれば、医者と名乗る彼女はどんな仕事をしているのだろう?
「って、あれ? 僕の名前……」
ふと、自分の名前が呼ばれた事に気づく。当たり前だけど自己紹介なんてしていないし、名札がわりになるようなものも身につけていない。
「……いや、キミはそこそこの有名人だろう。知識人なら知らない方が無理がある。貴族としてナインハイト家の跡取りであり、騎士として『三百人斬り』という伝説も残している。騎士を辞めたとは聞いていたが、まさかあんな所で死にかけているとはね」
面白いこともあるものだ、とドクターがくつくつと笑う。僕としてはなにも面白くはないが……
「……で、まぁ死にかけていた訳だから医者として最低限の処置はさせてもらった訳だ。そこの女の子も煩かったしな」
「ちょ……ちょっと! 別に言わなくてもいいでしょ!?」
あ、と。そこで、僕の関心が改めてその少女に戻る。
あの危機的状況では見た目なんて気にする暇もなかったが、改めて見ると凄く可愛い。焔のように靡く紅い長髪に、赤茶色の大きな瞳がキラキラと輝く。尖って横に長い耳は、彼女がエルフである事を示している。見た目は僕と同じくらいの歳に見えるが、その十倍二十倍はあり得るという事だ。それに身体は僕よりも一回りは小さいが、『白金』ということは僕よりも遥かに強いに違いないから侮れない。
「えっと……ありがとう」
始めに口をついて出た台詞は、お礼だった。僕は死ぬ寸前だったし、助けてくれてありがとうという気持ちも勿論あったが、それ以上に強い気持ちが僕にその言葉を言わせたのだった。
即ち──生きていてくれて、ありがとう、と。
「……お、お礼を言うのはこっちの方じゃない……私こそ助かったわよ、ふん!」
怒ったように口を尖らせてそっぽを向く少女。もしかして、早々に嫌われただろうか……まだ名前も聞いてないのに。
でも、そうだとしたら──助かるな、と、思った。何せ僕は彼女に対して合わせる顔もないのだから。
「っと……ところで、ドクターさんが僕の傷を治してくれたんですか?」
「如何にも。まぁ、抉れた腹はともかく、それと一緒に持っていかれた腹部の繊維は勘弁してくれ。そこは専門外だ」
「いえ、そんな……ありがとうございます。医者、何ですよね。神官ではなく」
「あぁ。まぁ神官同様魔法も用いるが、大半を自分の腕で治す。傷は消毒してやるし、病気には薬を処方する。神官とは違うさ。現に、君の傷も外科手術でなんとかしたしな。欠損した部位の補修は魔法を用いさせて貰ったが」
成る程。神官とは違い魔法だけに頼る事をしない。そして多分、教会に仕えずフリーで人々を治すのが彼女のスタイルであり、彼女にとっての医者の定義なのだ。
「その件に関して、是非謝礼をしたいと思うんですが」
「あぁ。それは勿論受け取るよ。医者とて、慈善事業ではないからね。丁度ガルムエントに向かっているから、今度其方の家に赴かせてもらおうと思う。だが、その前に一ついいか?」
指をピンと一本立てて、ドクターが神妙な顔で切り出した。
「君の振るっていたあの剣は……木々の一切を触れずして切り裂いたあの光る剣は、なんだ?」
──────。
瞬間、頭の中を幾つもの思考がが駆け巡った。話すべきか。そうでないか、と。
「──勿論、これは強制じゃない。助けた恩を着せてみるわけでもない。ただの私の好奇心だ。ただ、聞かせてもらえたとして、誰にも言わないことは確約しよう。誇りにかけて。命に代えて、だ」
「……わかりました。話します」
ドクターのその言葉を聞いた時、僕の中から悩みが消えた。そこまで言われて話さないというのは彼女の誇りを軽んじる事になる。自分を救ってくれた人に対する態度ではない。それにこの力に救われた少女にも、知る権利はあると思ったから。
ふぅ、と息を吐いて。俺は虚空に手を伸ばし、一言。唱えた。
「──再構築」




