第九十三話
その日の昼過ぎ、王都の中心通りはいつも通りの喧騒に戻りつつあった。リンネたちは、その街をゆっくりと歩いていた。
――あれから、結局何もわからないまま時間だけが過ぎてゆく。
ヘヴィクムの意図はなんだったのか。
ただ実験した死体を捨てただけだったのか。
混乱させたいから意味のない行動をしたのか。
いくら考えても、納得できるような答えを思いつきはしなかった。
「……おい、おぬし」
振り返ると、シズクは立ち止まっていた。その視線の先、掲示板の前では、少しだけ人だかりができていた。
「……また、何か騒ぎかのぉ」
軽く言いながら、3人は近づいていく。だが、その内容を見て、3人の表情が、すぐに固まる。
「……これって」
掲示板に貼られていたのは、診療所からの注意喚起だった。
『発熱症状の患者について』
よくある内容だ。普通なら、誰も気に留めない類のもの。だが、そこに並ぶ症状の一部が、妙に引っかかった。
「高熱、皮膚の痒み、軽い思考混濁……」
シズクが目を細める。
「ただの風邪の割には、やけに多いの……」
リンネは掲示板を見上げたまま、動かなかった。
違和感は、症状そのものじゃない。
“並び方”だ。
症状だけを見たらあまりにも普通すぎる。あまりにも、紛れている。
感染した時の高熱、皮膚への影響、そして、思考の混乱。
「……行くぞ」
短く言うと、リンネは踵を返した。
「どこへじゃ?」
「異変報告場だ」
その一言で、二人の空気も変わる。シズクは、肩をすくめて言う。
「また、面倒な予感しかしないの」
3人は、掲示板をもう一度だけよく見てから、歩き出した。
異変報告場は、すでに昼の忙しさの真っ只中だった。
「次! 北区、発熱三件!」
「診療所へ回せ!」
「症状は!?」
書類が飛び交い、職員たちは目を回しながら仕分けをしている。
「……やはり、忙しいか」
シズクが小さく呟いた。
その時。ミリスの視線が一つの机に止まった。そこには報告書の入った箱がいくつも積まれている。
「……これ」
その声を聞き、シズクが箱の中を覗き込む。
「昨日見たやつと同じ症状じゃな」
リンネは何も言わず、箱の一つを開けた。中には報告書が詰まっている。
発熱。倦怠感。軽い意識の乱れ。
さっきの掲示板と同じ。だが、目を通していくうちに、ミリスの表情が変わる。
「……あれ」
「どうしたんじゃ」
「この、風邪の報告書……『常識について記憶の混乱(軽)』って――」
だが、その言葉を言い終える前に別の机から職員の声が飛び、ミリスの言葉を遮った。
「追加です! 北西街道の件、未発症者も複数確認!」
「……え?」
空気が一瞬止まる。
「現場にいたのに、何も出てない人がいます!」
「逆に、現場にいなかったのに症状が出ている例も……!」
ざわり、と場の温度が下がる。リンネはゆっくりと目を閉じた。
「……あの死体は、そう言う意図……いや、だとしても……」
小さく漏れた声に、ミリスが振り返る。
「り、リンネさん?」
リンネは箱の中の書類を見下ろしたまま言う。
「……基準が全部バラバラだ」
シズクが息を呑む。
「……つまり、どういうことじゃ」
リンネは短く答えた。
「分からない」
その言葉に、部屋の音がやけに大きく感じられた。
リンネは、箱を閉じる。
「……一度、整理だ」
「……え?」
「症状、場所、時間、接触。それ以外も、関係なさそうなことも全部だ」
視線を上げる。
「それで、まだ説明できないなら」
そこで一拍置いて、続ける。
「……それが一番危ない」
ミリスが息を呑む。シズクも何も言わなかった。
ただ、嫌な静けさだけが残っていた。




