第八十四話
異変報告場を飛び出したリンネたちは、西区中央通りへ向かっていた。本来なら、王都内は人で賑わうような時間帯だ。
だが今日は違っていた。
「通れ! 道を空けろ!」
兵士の声が響き、人々が慌てて脇へ避けていく。
「何があったんだ?」
「また異変か?」
不安そうな声があちこちから聞こえるが構わず走り続け、やがて。
「見えてきました!」
先導していた兵士が叫んだ。その通りには大勢の人だかりができていた。
「皆、下がれ! 近付くな!」
衛兵たちが必死に人々を押し返している。そして、その中心にいたのは、一人の男だった。
「なんでだよ!! 俺はおかしくねぇだろ!?」
男は地面の上で、立ちあがろうとして倒れることを繰り返していた。
その全身には黒い斑点がぽつぽつと浮いていた。目は血走り、焦点も合っていない。
それを見た瞬間。
「……」
3人の背中に、冷たいものが走った。
「抑えろ! 囲んで動かすな!」
衛兵が数人がかりで押さえつけている。だが男は異常な力で暴れ続けていた。
「離せ!! ヘヴィクムさんはもうすぐなんだ!」
その言葉を聞いた瞬間。周囲のざわめきが強まる。
「ヘヴィクム……?」
「何を言ってるんだ?」
「おかしくなったのか……?」
一般人たちは意味が分からない。
だが――リンネたちだけは理解していた。
「やっぱりか」
シズクは低く呟き、ミリスも思わず拳を握る。
村の男と全て一致している。
「暴れている奴の家族はいるか」
「は、はい!?」
リンネが聞くと、すぐに若い衛兵が答える。
「そ、それならあちらに……」
視線の先には、中年の女性と少女がいた。どちらも、泣いている。
「昨日まで普通だったんです……!」
女性が震える声で言った。
「朝も元気だったんです!」
「おとうさんが……」
少女も涙を流している。
「急に苦しみ始めて……その後、変なことを言い出して……」
リンネは静かに聞いていた。
「黒い斑点はいつからだ」
「昼頃です……」
女性は答える。
「最初は腕だけだったんです」
その言葉に、リンネの表情がさらに険しくなった。
「……やっぱりか」
「何がじゃ?」
シズクが尋ねると、リンネは男を見ながら答える。
「今まででも、感染したら黒い斑点はすぐに出ていた。でも――精神は、少しずつ侵食していったはずだ」
「それって……」
一瞬だけ男に視線を向けて、ミリスは声を出す。その声は、震えていた。
「……菌自体が、変化しているかもしれない」
誰も言葉を返せなかった。
村が消え、王都にも感染者が現れ、そして今。
――感染速度まで変化しているかもしれない。
まるで、何かが本格的に動き始めたように。
そしてその時。リンネの視界の端に何かが映る。
「……?」
誰も気付いていなかった。
だがリンネだけは見ていた。
通りの向こう。建物の屋根の上の、夕日の逆光の中。
黒い霧のようなものが、一瞬だけ屋根の上から崩れるように散っていた。顔を向けた時。もうそこには何もなく、ただ夕日だけが光っていた。
「――っ」
他の人は男を見ており、気づいていない。だが、リンネだけは、すでに確信していた。
――あいつは、もう近くだと。




