第八十三話
その部屋の誰もが、地図を見つめていた。
「東へ部隊を出すべきです」
「いや、南街道の方が人の往来は多い」
「北部集落も無視できんぞ」
職員たちの議論が始まる。だが、結論は出ない。どこだって、重要だ。
「……」
リンネは黙って地図を見ていた。そして、顔を上げて言う。
「待て」
その一言で部屋が静かになる。
「何だ?」
「まだ間に合う場所を探せとは言った」
リンネは地図から目を離さないまま続ける。
「でも、この数だ。一つの村を救っている間にも、別の場所で感染は広がる」
その言葉に職員たちが顔を見合わせ、部屋の空気が少し変わる。
「これはここだけで解決できるような問題じゃない。王国全体を動かせ。じゃなきゃ、間に合わない」
誰も言葉を返せなかった。
そして、その時――
奥で話を聞いていた年長の職員が口を開く。
「……私も、そう思う」
周囲の視線が集まる。
「もうこれは、ここだけで抱えられる話じゃない」
その言葉が終わると、男は地図を丸め始めた。
「……騎士団にも話を通し、上にも報告する」
「な、本気ですか……!?」
一瞬、困惑の声が漏れたが、誰も反論できない。
「……ギルド本部に、緊急会議を要請する」
その言葉が発せられた瞬間。部屋の空気がさらに重くなった。
今までは調査だった。
だが今からは違う。
王国が動く、その時だった。
――ドンッ!
勢いよく扉が開かれる。
「失礼します!」
部屋の中に息をきらした兵士が入ってくる。
「何だ!?」
年長の職員が振り返ると、兵士は青い顔のまま報告した。嫌な予感が走る。
「王都西区で騒ぎが発生しました……!住民が一名、突然暴れ出したとのことです!」
その話を聞き、職員たちがざわめく。
「……それだけで飛び込んできたのか?」
一人の職員が疑問を口にするが、兵士は首を振る。
「いえ、その住民の全身には――黒い斑点が確認されています」
誰も喋らず、完全な沈黙が何秒か続く。
そして――
「……王都内か」
リンネの声だけが響く。それは驚きでも、焦りでもない。確認だった。
最悪の予想が、現実になったという確認。
「現場はどこだ」
「に、西区中央通りです……!」
「……急ぐぞ」
リンネは立ち上がる。
シズクも、ミリスも、部屋にいた職員たちも、もう誰も
――ヘヴィクムを噂話だとは思っていなかった。




