第七十一話
また、沈黙が一瞬だけ落ちた。
「……これに乗って30分って、本気で言ってるんですよね」
ミリスの声は、さっきよりも少しだけ小さかった。
「ああ」
リンネは短く返す。
商人は、馬を落ち着かせようとしながら、まだ、バイクとリンネを交互に見ている。
「お前さん、正気か……?」
「俺は正気だ」
その即答が、逆に不安を煽っていた。シズクは一歩近づき、バイクの表面を指先で軽く叩いた。
「ふむ……内部構造がさっぱり分からんのぅ。それに、魔法の形跡も一切ない……」
リンネはため息をひとつ吐くと、後ろを軽く叩く。
「二人とも後ろだ。落ちないようにしがみついておけよ」
「落ちる前提なんですか!?」
ミリスが即座に突っ込む。
そして、シズクは懐から出した布を自分の口と鼻が隠れるように巻き、ミリスにも、それを強引に巻き付ける。
「走ってる時は、絶対にタイヤに触るなよ」
「は、はい……?」
リンネがバイクに跨ると、金属が軽く沈み、そして、次の瞬間。バイクの低い唸りが一段深くなる。
「……っ」
ミリスが後ろで息を呑む。
「し、シズクさん……これ、本当に大丈夫なんですか……?」
「妾に聞くな。妾も知らん」
「知らないんですか!?」
「そうじゃ。だからこそ、面白い」
リンネが前を見たまま言う。
「しっかり掴まれ」
「ど、どこをですか!?」
「俺か、後ろのフレームだ」
覚悟というより諦めに近い動きで、ミリスは必死に掴まる。だが、シズクは片手で軽く後部に触れただけだった。
「ふむ……なるほどのう」
「何がなるほどだ」
「いや、組み立て自体は何とか追いつくのじゃが、パーツが端から端までとことん見たことないものなんじゃ」
そんな分析を聞きながら、リンネは視線を前へ固定した。
「行くぞ」
次の瞬間
――地面が“置いていかれた”。
「――ぁっ!?」
ミリスの声は途中で風に裂け、視界が一気に引き伸ばされるように急激に流れた。
木々が“形”じゃなく“線”になる。
さっきまで見えていた馬車は、もう形を保っていない。
「なっ……なに、これ……!?」
ミリスは風圧に耐えて、絞るような声を出すが、その声すらも、バイクが置き去りにしているかのような感覚だった。
ミリスは、必死に掴まる手に力を込め、その横でシズクが小さく呟く。
「これは……なるほど、面白い」
「面白いで済ませるなよ……!」
リンネは何も言わず、ただ前を見てハンドルを握っている。その姿だけが、異常に静かだった。
時間の感覚が少しずつ狂う。さっきまで2日か3日くらいだった距離が、現実として崩壊していくのが分かる。
「……っ」
ミリスは目を開けているのがやっとだったが、閉じるのも怖く、必死に前を見る。
そして少しすると、空の色がわずかに変わり、森が途切れ
――遠くに、何かが見えた。
円をかき、中を囲っている巨大で、真っ黒な壁。今までに見た街のものとは、比べ物にならないくらい大きく、目だけを動かし、左右を見ても、前に映るのは壁だけだった。
「……あれって、王都……ですよね?」
リンネは一瞬だけアクセルを緩め。
「あの大きさだ、王都で間違いない」
それだけ言った。
次の瞬間、さらに速度が上がり、世界がもう一段、置き去りにされていった。




