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第六十九話

 出発してから、一日が過ぎた。最初は整備されていた街道は、進んで行くと段々と分岐が増え、三人は森に入っていく。森の中には村どころか、人の気配すら感じなかった。


「この辺でいいか」


 空が赤く染まり始めた頃、リンネは、足元草の生い茂った平坦な場所で歩くのを止めた。


「えっ……? もう休むんですか?」


 ミリスが空を見上げる。その視界に映った空は、まだ完全には暗くなっていなかった。


「ああ。王都まではだいぶかかるんだ。急いでも仕方ない」


 リンネはそう言いながら周囲を見回した。


「ふむ。では、寝床じゃな」


 そう言って、手を前に出すと、淡い光が揺れ――

 次の瞬間。大きな布が地面へ被さるように現れ、その上に畳まれた布が3枚出てくる。


 ミリスが目を丸くする。


「出てくる時もこうなんですね……」


 だが、布は思ったより簡素だった。大きい布は柔らかいが、そこまで厚くはなく、土の形が足に伝わるくらいだった。

 そして、その上にある厚手の布は、広げてみると身長と同じくらいで、決して大きいとは言えなかった。


「……テントとかはないのか?」


 リンネが聞くと、シズクはすぐに答える。


「そんなものはない」

「収納できるんじゃなかったのか」

「妾は不必要なものは持たぬ」

「……あの部屋の床に雑に散らばった紙よりは必要じゃないのか?」

「今は使わんかもしれんが、もしかするといつかゴミ箱を漁ってでもみたくなるかもしれんじゃろ。そうならないようにしておるのじゃ」


 シズクが当然のように言うと、ミリスが小さく笑う。


「その性格を、普通の荷物にも使えないんですかね……」

「妾を何だと思っておる。研究者じゃぞ。研究に関わるものを重要と思うのは当然じゃろ」

「極端なんだよ」


 その後、三人で簡単な食事を済ませる。


 それは、ただの保存食だった。美味しくはないが空腹は満たされる。そして、夜が深くなっていき、草が風に揺れる音だけが聞こえていた。

 ミリスは布にくるまりながら空を見る。


「静かですね」

「街とは違うからの」


 シズクは横になったまま答えた。リンネは布の中で、静かに手を握り、すぐに手を開く。


「……」


 王都まで、まだ遠い。


 この先には、まだ何も知らない人たちがいる。

 この先には、何も起こっていない街がある。

 

 そしてこの先には、ヘヴィクムも――


 夜の向こうには、何も見えなかった。

 そんな中、風が静かに吹き、草原が揺れた。

 

 旅の最初の夜は、静かにふけていった。

 



 旅は三日目の朝を迎えていた。


 あの後も、ずっと人の気配のない中を歩き続けた。

 夜の冷え込みがまだ残る中、森の縁に近い草地で遠くの木々の間から鳥の声が小さく聞こえた。

 街道と呼べるものはもう曖昧で、土の上に人が通った跡があるだけだった。


 昼になっても景色はあまり変わらない。


 木々の間を抜け、時々小さな川を越え、また森に戻る。その繰り返しだった。


 会話も減っていく。静けさが増えていく。


 それが三日目というものだった。


「……あの、リンネさん」


 昼を少し過ぎた頃、ミリスがふと足を止めた。


「なんだ?」

「もっと速く進む方法って、ないんですか?」


 リンネもシズクも、一瞬だけ歩みを止め、風が葉を揺らす音だけが残った。


「あるには、ある」

「あるんですか!?」


 その答えに、ミリスの声が少しだけ跳ねる。


「じゃあ、それ使えば……!」

「今は無理だ」


 その言葉で空気が少しだけ重くなる。


「え……どうしてですか?」


 ミリスは不思議そうに首をかしげた。

 リンネは少しだけ黙る。森の奥の方を見たまま、言葉を選ぶように息を吐いた。


「……今の状態だと、長くは持たない」

「状態?」


 シズクが目を細める。


「ああ、おぬしの“あれ”か」

「ああ」


 リンネは短く答えた。


「完全じゃない。まだ不安定だ」


 ミリスは少しだけ困った顔をする。


「でも、少しでも早く行けるなら……」

「だから“あるにはある”って言った」


 リンネは視線を落としたまま続ける。


「それにあれは、ただの移動手段じゃない。戦うためのものだ」


 その言葉に、シズクがわずかに興味を示した。


「戦うための移動……?」

「そういう言い方が正しいのかは知らないが」


 リンネは一歩前に出る。そして、手を軽く握った。

 空気が一瞬だけ歪み、次の瞬間。森の静けさの中に、見たこともない機械が現れた。

 前後についた黒い車輪。蒼と白の装甲。金属でできているはずなのに、生き物のような存在感。


 地面に触れた瞬間、わずかに土が沈む。


「……っ」


 ミリスが息を呑む。


「何……これ……!?」


 シズクは珍しく黙っていた。ただ、その目だけが興味深そうに大きくなる。

 リンネはその横に立ったまま、短く言った。


「俺の“乗り物”だ」

「乗り物?」

「バイクってやつだ」

「ば、いく……?」


 リンネは少しだけ息を吐いた。


「こっちの世界にはないか」

「少なくとも、見たことはないのう」


 シズクが一歩近づく。


「それは、魔道具か?」

「似たようなものだ」


 リンネがバイクに手を置くと、わずかに機械が低く唸るような音を立てた。


「ただし、今は長くは使えない」


 ミリスが不安そうに見る。


「壊れてるんですか?」

「壊れてるっていうより……制限がある」


 言葉を選びながら、リンネは続けた。


「長時間は無理だ。無理に使うと――とにかく、ダメだ」


 シズクが小さく笑う。


「面倒な代物じゃな」

「だから普段は使わない」


 リンネはバイクから手を離す。それはまるで、剣を鞘に戻すような動作だった。


「戦う時のためだ」


 森の風が少し強くなる。

 ミリスはその機械とリンネを交互に見て、小さく息を吐いた。


「……じゃあ、やっぱり歩くしかないんですかね」

「ああ」


 リンネはすぐに答えた。


「その方が確実だ」

「なら行くぞ。おぬしをいちいち研究してたら、来世を使っても足りぬわ」


 リンネは、バイクに手をかざし、消すように再び“しまった”。


 森の静けさが戻る。


 旅はまだ三日目。

 王都までは、遠い。

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