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第六十五話

 宿へ着く頃には、空はもう赤かった。部屋へ入るなり、シズクが机の上の本をどかし始める。


「研究開始じゃ」


 机の上には紙束、薬瓶、よくわからない金属片まで置かれている。


「なんで、数日で宿の一室が研究室みたいになってるんだよ……」

「みたい、ではなく今は研究室じゃ」


 ミリスは椅子へ座らされる。


「え、えっと……ぼく何すれば」

「まず炎じゃ。あの青い炎をもう一度見せい」

「は、はい……!」


 ミリスは緊張した様子で、両手を前へ出す。だが、灯ったのは、いつもの小さな赤い炎だった。


「……む?」


 シズクが眉をひそめる。


「も、もう一回……!」


 ミリスはもっと集中して、炎を出し直す。


 ぽっ。


 やはり、赤い。


「うぅ……」


 三回目も四回目も、結果は変わらなかった。


「なんで……出ないんですか……」

「ふむ……」


 シズクが腕を組む。


「戦闘時の緊張状態による一時的変質か? 今が不可ならそれが……」


 リンネは壁にもたれながら、その様子を見ていた。


「いや、戦闘中だけじゃない」

「何?」


 シズクが振り向く。


「街歩いてた時、子供に炎見せてただろ」

「あ……」

「その時、一瞬だけ青くなってた」


 ミリスが少し目を瞬かせ、部屋が静かになる。

 シズクの手がピタリと止まる。


「……は? そ、その時は戦闘時ではないのか?」

「ただ子供に見せただけだ」

「なに……? なら見間違いでは――」

「いや。俺も見た」


 ミリスが慌てる。


「あ、あの時、なんでか全然わかんなくて……」

「無意識で、戦闘と……子供に、じゃと……! 何が条件じゃ……?」


 シズクは頭を抱え、ぶつぶつと呟きながら、紙へ何かを書き始める。


「戦闘、感情、精神集中、菌へ反応、魔力……いや違う。なら発生の共通点は何じゃ……?」


 そして今度は、リンネへ視線を向けた。


「それに、おぬしに至っては通常の変身すら理解できん。そんなのでさっきの現象の研究など、泳げもしない者が魔物の住む海へ飛び込むようなものじゃ」


 シズクはしばらく天井を見つめていたが、不意に目を閉じる。


「……前言撤回じゃ」

「な、なんですか?」

「毎日徹夜は疲れた。それにいくら考えても今は無理じゃ。寝る」

「えっ」


 ミリスが目を丸くする。


「寝るんですか!?」

「寝る」


 即答だった。

 リンネが呆れたように言う。


「やっぱ疲れてんじゃねえか……」

「未知が多すぎると脳も疲れるのじゃ……」


 シズクは机に額を押しつけたまま、ぴくりとも動かなかった。

 ミリスは困ったようにリンネを見る。


「……どうします?」

「放っとけ。下手につつくとまた徹夜が始まる。そんなことになったら次は何日後、いや、何年後に寝るかわからない」

「……聞こえておるぞ」


 机に突っ伏したまま、シズクが低く返した。

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