表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
60/91

第六十話

 宿へ戻る頃には、空はより赤く染まっていた。

 扉を開けると、食堂には数人いる程度で、朝みたいな騒がしさはなかった。


「こ、この後ってどうします……?」


 ミリスが階段の方を見ながら言う。リンネは少し止まり、言う。


「……シズクの様子、見に行くか」

「シズクさん、ですか」

「朝までずっと閉じこもってたしな。それに――」


 無理してる気がする。そこまでは、口には出さなかった。

 ミリスも少し不安そうに視線を落とす。


「……そう、ですね」


 二人は階段を上がる。

 廊下の窓から、赤い夕日が細く差し込んでいる。シズクの部屋の前まで来ると、中から微かに、また、音が聞こえた。

 リンネは小さく息を吐き、扉を軽く叩く。


 返事はなかった。

 でも、中の音は止まらない。


「……まだやってたのか」


 軋む扉を開けると、部屋は暗かった。カーテンは閉め切られ、机の上のランプだけが、薄暗く灯っていた。


 部屋の中へ入った瞬間。薬品の匂いと同時に、リンネは無意識に歯を少し食いしばっていた。


 シズクは机に向かい、紙に何かを書き込んでいる。


「ああ、おぬしら。戻ったか」

「……お前、何か食べたのか?」


 リンネは少し眉を寄せる。だが、シズクはそのまま即答する。


「多分食べたはずじゃ」

「た、多分って……」


 ミリスが目を見開く。リンネも、一瞬驚くが、そのまま続ける。


「今日、街でクッキー買ってきたんだ。一旦休んで食えよ」

「妾はいらん」


 シズクはまた、聞いてるのかすら怪しい速度で、声を変えずに返す。


「でも、このままだとお前が危険だ。それに何日も続けて、苦しいだろ」


 その瞬間。シズクの手が止まる。だが次の瞬間、鼻で笑った。


「勘違いするな」


 薬液が、試験管の中でゆっくり色を変える。


「おぬしの状態を見ておったら、面白い実験を思いついただけじゃ」

「……は?」

「菌と精神作用の連動。さらに反発物質の結合による変質反応。興味深いにも程がある」


 シズクは、また手を動かし、紙へ何かを書き込みながら続ける。


「未知が目の前にあれば調べる。それが妾のやりたいことじゃ。苦しいなんて、感じるわけないじゃろ」

「……」


 そこで初めて、シズクは少しだけリンネを見る。


「……まあ、副産物として、おぬしのあの力の復元にも繋がる可能性はあるがの」




 シズクの部屋を出る頃には、外はもうかなり暗くなっていた。


 廊下の窓から見える空には、もう赤色は残っていない。ミリスは、胸元でクッキーの袋を抱え直す。


「……今日、ありがとうございました」


 ミリスは小さく笑い、自分の部屋の扉を開ける。


「おやすみなさい」

「ああ。おやすみ」


 扉が閉まる。

 廊下には、また静けさだけが残った。


 リンネもゆっくりと、自分の部屋へ歩く。一人で歩く廊下は、さっきとは違うように感じた。


 少し歩き、部屋の前に着く。


 扉を開ける。中に入ると、すぐにベッドに座わった。その時。ふと腕に視線を向ける。そこには黒い線が、皮膚の下を這うように浮かび上がっていた。


「……?」


 だが、痛みがない。


 前は焼けるみたいな感覚や、腕の奥を何かが這い回るような感覚があったはずなのに――


 熱もなく、異常なはずなのに、痛くない。身体が、これをもう異常だと思っていないかのように。


 リンネはしばらく、その腕を見つめてから、袋に手を伸ばし、青い砂糖のクッキーを取り出す。

 甘い味が、ゆっくりと口の中に広がった。


 ――今日は、平和だった。

 それでも、腕の黒は消えない。


 リンネは、しばらくそれを見つめていた。

 薄暗い部屋の中で、妙に浮いて見える。

 不快はないのが、逆に不気味だった。


「……は」


 ベッドへ倒れ込んで目を閉じる。こんな時に、寝れるわけない。そう思ったが、意識はあっさりと沈んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ