第五十七話
シズクの言葉が頭に浮かぶ。
“おぬしがいなければ成立せん世界など、最初から歪んでおる”
リンネは通りを見渡す。
すると、道の端で、小さな子供が泣きそうな顔で小さくなっているのを見つける。
そして、ゆっくりと近づいていく。
「り、リンネさん……?」
ミリスは、少し驚いたような顔になる。リンネは子供に近づくと、優しく声をかける。
「……どうしたんだ?」
「うぅ……ままが……いないのぉ……」
涙を堪えきれず、子供は袖で目を擦る。
リンネはしゃがみ込み、なるべく目線を合わせる。
「……はぐれたのか?」
「ひっく……わかんないぃ……」
上手く話せていない。焦って聞いても、余計泣くだけだろう。
「……とりあえず、誰か知ってそうなやつ探すか」
立ち上がり、子供の小さな手を引く。道のすぐ横には果物屋があった。木箱に赤や黄色の果物が並び、店主の女が値札を直している。
「いきなり悪い。この子の親、知らないか?」
店主は子供の顔を見る。
「んー……見覚えないねぇ。迷子かい?」
「多分そうだ」
「うーん……」
店主は通りを見回すが、首を振った。
「少なくとも、うちの周りじゃ見たことないかなぁ」
「……そうか。ありがとう」
リンネは小さく息を吐く。子供はまた目を拭っていた。
その時、リンネは少しだけ考えてから、子供へ視線を戻した。
「……好きなもんは?」
「……ぇ?」
「母親と、どこ行こうとしてたんだ」
子供は鼻をすすりながら、やがて、小さく口を開いた。
「おさかな……」
「魚?」
「あつあつで……きいろいの……」
リンネは眉を寄せる。
「……焼き魚か?」
「ちが……うぅ……」
子供はまた泣きそうになる。
リンネは困ったように頭を掻いた。
「なんだそれ……」
少し、考え込むがわからない。だが、その時。ミリスが小さく目を瞬かせた。
「あ……もしかして」
リンネが振り向く。
「たい焼き、じゃないですか? 黄色って、カスタードの……」
「あ……!」
リンネの中で、情報が繋がる。
「なあ、この辺でたい焼きを売ってる店あるか?」
果物屋の店主へ聞くと、店主は一瞬首を傾け、すぐに頷いた。
「たい焼き? ああ、それならそこの角だ。“まるふわ屋”って名前で、甘い香り出してる店だよ」
「……行くか」
リンネは子供の手を軽く引く。子供はまだ少し不安そうで、歩く速度は、遅かった。
通りを歩いていく。
広場を抜けると、甘い匂いが風に混ざって流れてきた。
「あっ……!」
子供が顔を上げる。
その視線の先には、小さな店があり、看板に大きな文字で『まるふわ屋』と書いてある。
鉄板の上で生地が焼ける音が響き、店の前には数人並んでいる。
「ここか」
リンネが近づくと、店主の男が顔を上げた。
「ん? どうした兄ちゃん……って、おや?」
男は子供を見ると、少し目を丸くする。
「この子の親、見たことあるか?」
「あるも何も、いつも来てるさ」
子供はその声を聞いて、少しだけ安心したように店主を見る。
「街の中で迷子だったんだ。見てないか?」
「今日はまだだなぁ……でも、多分探し回ってるぞ」
店主は鉄板を見ながら、すぐに続けた。
「この子なら、こっちで預かっとくよ。母親もまずここ探しに来るだろ」
リンネは少しだけ子供を見る。
「……大丈夫か?」
「うん……」
子供は小さく頷いた。
店主は笑いながら頭を掻く。
「ありがとな、兄ちゃん」
言葉を聞き、その場から少し離れる。ミリスも、後ろについて歩き出した。
しばらく二人で通りを歩く。
朝の光が石畳へ落ち、人々の影がゆっくり伸びていた。
「……見つかって、よかったですね」
ミリスが小さく言う。
「ああ」
リンネは前を向いたまま答える。
「……俺じゃなきゃ、できないことじゃなかった」
通りの向こうでは、商人が笑いながら荷物を運んで、誰かが呼び込みをして、子供が走っていく。
「でも。俺でも、解決できた」
ミリスは、その言葉を聞いて少しだけ目を開く。
リンネは曖昧に笑う。
戦ってない。
変身もしてない。
でも、助けられた。
そんな当たり前のことに、今さら気づいた。
そのあとも、リンネとミリスは街を歩いていた。
特に目的地はない。
ただ、人の流れに混ざるように歩いていく。
道の端では露店が並び、焼いた肉の匂いが漂っている。子供たちが集まって遊んでいる。
「……平和ですね」
ミリスが小さく呟く。
「まあ、これが普通だとは思うけどな」
その時――
「そこの兄ちゃん、ちょっと押してくれ!」
通りの横で、荷車に積まれた樽が石畳の段差に引っかかっていた。
ガタイのいい男が困った顔で押しているが、揺れるだけで止まっていた。
「……ここか?」
「やってくれるか!? そこでいい!」
荷車の後ろへ手をかける。
ぐ、と押すと、車輪が段差を越えた。
「助かった!」
その男は、豪快に笑う。
「ありがとな兄ちゃん! 見た目より力あるな!」
「……大したことじゃねえよ」
「ん……? あぁ、それじゃあな!」
リンネは苦笑しながら手を離す。男はまた荷車を引いて去っていった。
リンネは自分の手を見る。
力を入れたせいで、まだ少し赤かった。
でも、そのまますぐに歩くのを再開する。
街には、何も特別なものはない。それなのに、何か歩く理由がある気がした。
「あっ……」
しばらく歩いていると、ふとミリスの視線が、小さな店へ向いた。
ガラス越しに、様々な色のクッキーが、沢山並んでいる。
「……」
でも、ミリスはすぐに視線を逸らした。
リンネは、その横顔を見る。
「……入るか?」
「えっ」
ミリスは慌てたように首を振る。
「い、いや……ぼくは別に……行かなくても大丈夫ですよ?」
「……」
リンネは少しだけ考え、それから、言い直した。
「俺は、ちょっと気になった」
「えっ……」
「ミリスは、どうだ?」
ミリスは目を瞬かせる。少し迷ってから、小さく口を開いた。
「……じゃあ、行きます」
そのあと、申し訳なさそうに続ける。
「す、すみません……」
その顔を見て、リンネは一瞬だけ、わざとらしいくらい口角を上げた。
「美味いのあるといいな……!」
ミリスは、少しだけ目を丸くする。
それから、小さく笑った。




