第五十二話
街から少し歩いたところにある畑と森の境目で、人々が慌ただしく動いている。土が荒れ、柵は半ば壊れていた。
「数は……十前後だ! まだ増えてない!」
誰かの声が飛び、その向こうで、ゴブリンの低い唸り声が重なる。
「……異常はなしじゃな」
「ぼく、役に立てますかね……?」
「無理に戦おうとせんでいい。混乱するだけじゃ」
シズクはそう言いながら、懐に手を入れ、薬瓶を取り出そうとして――
「おい! そっちから囲め!」
前線の鋼の鎧を着た兵の叫び。
その言葉で、一気に武器を構え前線を上げる。
シズクの表情がわずかに歪む。さっきまで視界にいたゴブリンが、人に遮られる。
「……邪魔じゃな」
小さく吐き捨てる。薬を投げる軌道に、どうしても人が入ってしまう。
ゴブリンが飛びかかるたびに、人が前に出て押し返す。連携はあるが、綺麗ではない。
ミリスはその隙間で、ただ立ち尽くしていた。少し離れたところで、指先に炎を灯す。
「……ここに来た意味、あったのかな」
シズクは別の位置へ移動しようとして、また人にぶつかる。だがその一瞬で、投薬のタイミングは潰れる。
「戦場というより……人の塊じゃ」
投げようとするたびに誰かが前に出る。
二人とも、何もできていない。
戦いは、少しずつ終わっていく。時間が経つにつれゴブリンは押し返され、ついに最後の一体が倒れた。
「終わったぞー!」
誰かが叫ぶ。
「……よかった、です……よね」
ミリスは肩の力を抜いて小さく言う。
シズクはただ、薬瓶をゆっくり戻す。
「……何もできん戦は、嫌いじゃ」
それだけだった。
その声は、勝利の空気に全く混ざらないまま、地面に落ちた。
宿の部屋の中に、木の床の軋む音だけがやけに響いた。
「……戻ったぞ」
シズクが短く言う。ミリスも頷く。
「どうだった?」
リンネはベッドに横たわりながら、すぐに目を向け、言う。
でも、二人は一瞬だけ黙る。ミリスが先に口を開いた。
「……誰も、死んでません」
それだけ言って、少し視線を落とす。シズクも続ける。
「ヘヴィクムの影響はなかった。ただのゴブリンの群れじゃ」
「……そうか」
リンネは小さく息を吐いた。安心というより、確認に近い反応だった。
「怪我人は?」
その一言で、空気が変わる。ミリスの指先が一瞬止まる。
「……えっと」
シズクも、ほんのわずかだけ視線を逸らす。
「軽傷はおったが……致命はない」
リンネの目が細くなる。その“間”が、答えになってしまっていた。
「……なら、俺が――」
「おぬしの役割は何じゃ」
シズクの声が鋭く切り込む。
「……は?」
「街のお助け係か? この街は元々、おぬしなしで回っておる」
「……だが、怪我は」
「だが、ではない。おぬしがいなければ成立せん世界など、最初から歪んでおる」
ミリスはその横で、何も言えないまま唇を噛んでいた。リンネは少しだけ目を伏せる。
「……じゃあ、俺は何なんだよ」
「休め」
シズクは視線を逸らし、続ける。
「そんな状態で、ただのゴブリンを倒すのに変身するのか? ヘヴィクムを放ったまま、街の怪我を少しでも減らそうと言うのか?」
その言葉に、リンネの拳が少しだけ握られる。
「……納得いかねぇ」
小さく、吐き捨てるように言う。シズクはそれ以上何も言わなかった。
ただ静かに立っているだけだった。




