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第四十七話

 ヘヴィクムは、しばらく何も言わず、ただ、ミリスを見ていた。


「……そのような不安定なものに、今さら従うか」


 黒い霧が、ゆっくりとヘヴィクムの足元を侵食していく。


「やはり、どこまで行っても人類は人類か」


 空気が軋む。


 リンネは、その背中を見ながら、ゆっくりと右手を持ち上げた。指先が震える。菌に侵された装甲の隙間から、黒い霧が漏れている。


「……リンネ」


 シズクの声が、後ろから響く。だが、リンネは止まらない。

 リンネの手から、灰色の光が滲む。


「……ソーラーソード」


 掠れた声と共に、光が伸びた。だが、その剣も、濁った灰色。その光の中には、無数の黒い斑点が浮かび、刃の内側を、生き物みたいに、ゆっくりと、這い回っている。


「……っ」


 剣を握るたび、手の中へ何かが入り込んでくる感覚がある。脈打つみたいに。それでも、リンネは剣先を持ち上げ、ヘヴィクムへ向ける。


「……それで来るのか?」


 ヘヴィクムの声は、少しだけ早かった。リンネは、肩で息をしながら笑う。


「いいぜ」


 一歩、踏み出すと、また、ぐしゃりと石畳が黒く、沈んだ。剣先の黒い斑点が、一斉に脈打つ。


「また相打ちでもいい……今度は、終わらせる」


 その瞬間。ヘヴィクムの足が、半歩だけ、後ろに滑った。黒い霧が、膨れ上がり、震える。


「……貴様は、死ぬという意味をわかってるのか」

「ああ。一度、経験したからな」


 リンネは、剣を握る。握った部分の装甲が、じわりと黒く侵食され、冷たい感触が手に染みる。


「死ぬより、お前を逃す方が怖い」


 その後ろで、ミリスが震える。


「どうして……そこまでして、戦えるんですか」


 リンネは少しだけ黙ってから、前を向いたまま言う。


「知らねえよ」


 呼吸が乱れる。

 それでも、剣先は下がらない。


「……それこそ、そう思ったからだ」


 その瞬間、空気が変わった。

 黒い菌が剣から逆流するように広がり、同時に、体内のどこかで別の熱が暴れ始めていた。

 太陽の力と、菌の力が、無理やり同じ器に押し込まれ、拒絶し合いながら増幅していく。


「……っ、ぐ……」


 リンネの喉から、音にならない声が漏れた。バイザーの奥の光が揺れる。視線から色が消えていく。石畳の境界が崩れ、世界の輪郭が壊れる。


「リンネ!」


 シズクの声が飛ぶ。だが、それは届かない。リンネが一歩踏み出しただけで地面が消える。

 破壊でも腐食でもない。ただ“無くなる”。

 黒い菌が体から滲み、一瞬で焼かれたように粉になり空に散る。そのたびに空間が軋み、音が遅れて崩れていく。


「……なんだ、これは」


 ヘヴィクムが初めて、ほんの僅かに声を落とした。


「太陽と菌の力の同時存在……交わらず、成立しない」


 その言葉の途中で、リンネが一瞬で、消えた。次の瞬間、ヘヴィクムの目の前に“歪み”が現れる。

 灰色の光と黒い菌が絡みついた腕が、空気を壊しながら殴りかかる。ヘヴィクムは半身で避ける。


 地面が、遅れて爆ぜた。


「っ……」


 リンネは止まらない。剣を構えるでもなく、戦う形でもなく、ただ襲う。


「分析は難しいか……ならば、処理する」


 ヘヴィクムが一歩踏み込み、指先が開く。黒い菌が空間に拡がった瞬間――


 その菌が、焼けた。灰すら、残らない。


「消えないだと……?」


 リンネの内部で、何かがさらに膨れ上がる。

 ヘヴィクムが一歩下がる。


「これは、単に合わさったのではない……進化というべきか……今は、撤退する」


 黒い霧が収束し、霧と共にヘヴィクムの姿が薄れて、消えた。

 その瞬間、リンネの動きが止まった。


「……ぁ……待て!」


 リンネの叫び声と共に、光と菌が同時に暴れる。その瞬間、リンネの手がベルトへ伸びた。


「……やめろ」


 誰に向けたのかも分からない、リンネの掠れた声。次の瞬間。リンネはベルトを殴った。世界が一瞬、無音になった。


 次の瞬間、衝撃が街を走る。光でも菌でもない。“境界そのもの”が弾けた。黒と白が混ざらずに分離し、空間を裂いて外へ逃げるように広がる。


「……っ!」


 シズクは咄嗟に距離を取るが、視線は動かさない。やがて光が収束していく。


 やがて、灰が落ちるように、光が消える。

 そこに立っていたのは

 ――リンネだった。


 ただ、息をしているだけの“人間”。


「まだ……“いる”のか……?」


 シズクの声は震え、恐怖が混じっている。

 だが、ミリスは爆風の残りがまだ空気を揺らしている中で、走る。


「……!」


 音もなく、リンネの横にしゃがむ。地面に手をつき、呼吸を確認するように見つめる。


「生きて……ます」


 淡々とした声。けれど、その指先は僅かに止まっていた。


 また菌が、暴走するかもしれない。

 まだ菌は、なくなってないかもしれない。


 確かに、怖い。


 でも、足を動かした。

 迷わず、隣に行けた。


「今のあなたは……もう、人間に見えます」


 さっきまでの音が、嘘みたいに遠く感じた。

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