表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

44/45

第四十四話

 黒い霧は、静かに収束していく。

 ミリスは、手のひらを閉じた。


「……問題ありません」


 その声に迷いはない。ヘヴィクムはわずかに視線を動かし、短く言った。


「行くぞ」


 ミリスは首を傾ける。


「……どこへですか?」

「観測は、一旦終わりだ。次は実験と容器の確保だ」


 意味を理解するのに、時間はかからない。


「……了解しました」


 そう言うと、ヘヴィクムの足元から、黒い菌が静かに広がる。液体のようでいて、形を持たないそれは、床に円を描くように広がり、ミリスの足に触れると止まった。


「移動する。容器の元が生息する場へ」


 ヘヴィクムの声と同時に、空間が沈む。

 視界が歪み、次の瞬間、草原にいた。ほんの少し先の方には、街がある。


 人の声や、馬車の音など、無数の動きや音が、無秩序に重なっている。


「……」


 ミリスの視線だけが、ゆっくりと動く。


 人の流れ。

 歩行速度のばらつき。

 意味のない立ち止まり。

 重複し、無利益な行動。

 全てが、見える。


「……気持ち悪い」


 ぽつりと、零れる。

 ヘヴィクムはそれを聞いて、否定しない。


「その通りだ。だが、菌の成長環境としては優れている。無駄をなくして、内部から正せ」

「……はい」


 ミリスは、そのまま歩き出し、街に入る。

 すると、いきなり大剣を背負った大きい男が声をかけてくる。


「こんにちは! この街へようこそ。良ければ案内しようか?」

「結構です」


 迷いはない。会話は、最小限の伝達以外、不必要だ。やはり、今の状態は非効率だ。


 迷いなく歩き続け、ピタリと足を止める。


 そこは、掲示板がある、街の中央。人の密度が最も高い位置。

 そこで、手を開く。


「解放」


 黒い霧が、音もなく広がる。

 風もないのに、均一に、正確に。

 触れた瞬間、変化が起きる。


 走っていた人が、足を止める。

 笑い声が、途切れる。


 倒れるわけじゃない。

 苦しむわけでもない。

 ミリスは、それを観察する。


「無駄が大幅に減りました」


 その時、勝手に霧は広がり始めていた。

 街を静寂が包む。だが、それは止まったわけではない。最適化され、必要のない会話や音がなくなっただけだ。


「……こっちの方が、綺麗」


 その時だった。


「いきなりどうしたんだよ! おい!」


 振り返ると、そこにいたのはさっきの男だった。


「お前! 何をした! こんなことしていいと思うのか!?」


 ミリスの動きが、一瞬、止まる。

 その光景を、見ている。


「……それは」


 言葉が、わずかに遅れる。


「……非効率」


 そう結論づける。

 次の瞬間、霧が男を包んでいた。

 男の声が消えた街は、驚くほど静かだった。


「……」


 ミリスは、何も言わない。ただ、もう一度、すべてが整っている周囲を見る。


「……良好」


 そう判断する。

 その判断に、迷いはない。

 ……ない、はず。


「問題……ない、です」


 黒い霧が、さらに深くなる。

 より効率的に。

 より正確に。

 それが正しく、一番美しいはずだ。




 雨はもう止んでいた。

 リンネは、一歩踏み出すたびに、地面の感触がわずかに遅れて追いかけてくるのを感じていた。


「……」


 あの“歪み”は、まだ見えている。けれど、曖昧だ。近づいているのか、遠ざかっているのかすら分からない。


「歩幅を変えるな。変えれば、外れる」

「外れるって……何からだよ」

「歪みの“直線”じゃ」


 それ以上説明しない。ただ、淡々と歩く速度を保っている。数歩ごとに、世界の輪郭がわずかに揺れる。木々の位置がずれ、音が一瞬遅れて届く。


「……これ、普通じゃないだろ」

「今さらか」


 風の音が一瞬だけ消えた。

その時、森が薄れ、石畳が現れる。土の匂いが消え、人の気配だけが増える。


「……街だ」


 リンネは無意識に呟いた。

 だが、街は“普通の街”ではなかった。

 人は、いる。歩いている。会話もしている。それなのに、どこかが噛み合っていない。

 まるで全員が、同じ設計図で動いているみたいだった。


「……気持ち悪い」

「学園と、似ておるな」


 シズクの声が落ちる。その言葉で、リンネの胸の奥がわずかに締まる。


「学園……」


 記憶が引っかかる。言葉が言葉じゃなくなり、誰かが“正しい“に揃えられていく光景。


「……あれと、同じなのか」

「似ておる。いや、より丁寧じゃな」


 シズクは街を見渡す。


「今回は規模も、深度も違う」


 リンネは一歩踏み出す。その瞬間、すれ違った人が笑った。だが、笑っているはずなのに、何も感じられない。


「なあ、お前ら……」

「要件はなんですか」


 振り向きもしないまま返事が来る。


「な……要件?」

「不要と判断しました」


 流れるようにその人は、そのまま歩き出した。呼吸の間隔すら揃っているように感じ、無意識に一歩引いた。


「言葉が意味として届いておらぬ。あの時よりも進行しておる」

「じゃあ……どうなってんだよこれ」


 リンネの声は少しだけ荒くなる。


「また、ヘヴィクムの仕業か……?」

「その可能性が高いじゃろうな」

「いくら菌でも……本当に、人間なのか……?」


 足音だけが、規則的に重なり、どこか揃っている。


「……」


 リンネは、わずかに眉を寄せる。


 なにかがおかしい。さっきまで感じていたものが、薄れている。周りを慎重に見渡す。

 一箇所だけ、揃っていない。


「……あそこ」


 リンネの指は、街の中央に向いていた。そこだけ、人の流れの中に、ぽっかりと空白があった。


 誰も、近づかない。


 避けているわけでもないのに、自然と流れが歪んでいる。


「……空いてる、のか?」

「違う」

「“避けさせられておる”」


 シズクの声が低くなる。

 リンネの喉が、わずかに鳴る。


 一歩、近づくと、整っていたはずの静寂に、微かな“揺らぎ”が混じる。


 そして、そこに、“いた”。


 その場所だけ、霧とも影とも言えぬようなものが、静かに地面に広がっている。

 その中心に、二つの影。


 ミリスは、こちらを見ていない。

 ただ、周囲を観察している。


「……予想より早いな」


 その隣で、ヘヴィクムが笑いながら呟く。


「外部からの侵入個体……二名」


 ミリスが、淡々と告げる。


 初めて、視線が合う。その瞬間、リンネの背筋に冷たいものが走った。

 ――視線が、前とは別物だった。本当に生きているのか疑いたくなるような目。


「……排除しますか?」

「いや」


 ヘヴィクムは、わずかに首を振る。


「観察対象として価値があるからな。少し、楽しんでから殺す」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ