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第三十八話

 門はすぐに見えた。

 石で組まれた簡素な造り。

 その前に、リンネとシズクが立っている。


「……」


 ミリスは一瞬だけ歩く速度を落とす。

 さっきまで、瓶に触れていたはずなのに、もう感触は思い出せなかった。


「遅かったな」

「……すみません」

「ふむ」


 シズクが、ちらりとこちらを見る。


「散歩にしては長かったのう」

「……少し、考え事を」


 嘘では、ない。


「そうか」


 それ以上追及しない。

 ただ、門の外へ視線を戻す。


「行くぞ」

「はい」


 足が動く。


 門をくぐる、その瞬間だけ。

 ほんの一瞬だけ、さっきの光景が頭に浮かぶ。


「……」


 ――もう一回やったら、どうなるんだろう

 その考えが、自然に浮かぶ。


「……ダメ、だったっけ?」


 その時。


「ほぉ」


 すぐ横で、シズクの声が落ちる。


「何が、じゃ?」

「……っ!」


 一瞬、言葉が詰まる。


「……いえ、なんでもない、です」


 ミリスは視線を逸らす。


「そうかの」


 それ以上は追ってこない。

 ただ、ほんのわずかに。

 楽しそうに、笑った。


 道はまた、まっすぐ伸びている。

 さっきと同じはずなのに、どこか違って見えた。


 ポケットの中の瓶が、重く感じた。


 門を出ると、人の気配はすぐに途切れ、風と、遠くの鳥の声だけが残る。

 シズクは立ち止まり、小さなコンパスを取り出した。

 針はふらふらと振れつつも、一方向を指している。


「……こっちだな」

「我ながら、便利なものを作ってしもうたの」


 シズクが軽く言う。


「迷う余地がない、というのもつまらんかったかの」

「そんなの、必要ない」


 リンネはそれだけ返し、歩き出す。

 ミリスは少し遅れてついていく。

 ポケットの中で、瓶がわずかに揺れる。

 さっきのが、一瞬だけ浮かぶ。

 ……消える。


「……ミリス」


 不意に、シズクの声。


「はい」


 シズクは前を向いたまま、ほんの少しだけ目を細める。


「さっきから、妙に落ち着いておるのう」

「……え?」

「いや、別に悪いことではないが」


 かすかに、息が漏れる。


「普通は、こういう静けさじゃと、余計なことを思い出すもんじゃがな」

「……え?」


 喉が、少しだけ詰まる。

 ――見てた?


 背中がひやりとする。

 いや、見られてないはずだ。

 誰も、いなかった。


「……なんのこと、ですか?」

「うむ」


 それ以上は続かない。

 ただ少し間を置いて、


「適応は、早い方が楽じゃがの」

「……っ!」


 指先に、さっきの冷たさがよみがえる。

 無意識に、ポケットの上から軽く押さえる。


「……なん、ですか」


 自分でも分かるくらい、不自然な声。


「さての。妾は何も言っておらぬわ」


 シズクは肩をすくめ、そのまま前を歩く。


「……」


 何も言えないまま、歩く。


 道は、最初のうちはただの延長だった。

 だが、そのうち、石畳は途中で土に変わり、さらにその先は踏み固められた獣道のようになる。

 風の音が、少しずつ薄くなる。


「……まだ、続くのか」

「角度は合っておる……はずじゃ」


 シズクはそう言いながら、歩調を崩さない。

 手元のコンパスは、最初よりもずっと落ち着いていた。


 その時だった。


「……」


 シズクの足が、一瞬だけ止まる。


「どうした」


 リンネが前を向いたまま言う。


「ふむ……」


 コンパスを見るでもなく、ただ空気を確かめるように目を細める。


「だいぶ、近いのう」

「何がだ」

「反応、じゃ」


 曖昧な言い方だ。ミリスはその横顔を見て、何も言えないまま歩き続ける。

 そして、次の瞬間。


「……っ」


 コンパスが、音もなく、跳ねる。


 回転、というより崩壊に近い。針が狂ったように回り続ける。


「え……」

「故障か」

「いや」


 シズクの声は、さっきより少しだけ低い。


「壊れた、というより……うむ、嫌な感じじゃな」


 針は止まらない。

 同じ速度で、同じ方向を持たないまま回り続けている。


「……嫌な感じ、って」


 ミリスが言いかけた瞬間。

 シズクは視線を上げた。


「こんなに近いなら、ここから先は地図の方が早いかのぉ」


 そう言って、紙を広げる。

 風は止んでいるはずなのに、その紙だけが妙に軽く揺れた。


「さっきまでの方角と、距離を見るに……」


 シズクの指が紙の上でふらふらと動き、一箇所で止まる。


『旧水路汚染跡(立入・使用不可)』

 そこには、そう記されている。


「そこか」


 迷いはない。

 シズクは地図を折っている。


「……あまり、好かん場所じゃな」


 その言い方だけが、やけに残った。


「そ、そこに行けば、本当にヘヴィクムさんがいるんですか?」

「ふむ、ほぼ確実に接触できるじゃろう」


 ――ヘヴィクムさんに、会う。

 恐怖は、もうどこにもなかった。ただ、心臓の鼓動だけが、耳に響いていた。

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