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第三十六話

 夜の森は、静かだ。

 風はある。葉も揺れている。


「……」


 気配が薄い。

 いないわけじゃない。だが、“いる感じ”がない。


 地面に視線を落とす。


 足跡。いくつか重なっている。

 向きも、間隔も。

 まるで同じものが、同じ動きをなぞったみたいに――揃っている


「……」


 その時、背後で気配が弾けた。

 振り向きざまに、斬る。

 手応えは、あった。

 だが――軽い。


「……?」


 倒れたそれは、少し遅れて影のように崩れる。

 血の匂いも、温度も、どこか薄い。


 視線を巡らせる。


 もう、気配はない。

 さっきまであったはずのものが、すっと消えている。


 森をもう一度見る。


「……気持ち悪い」


 それだけ呟いて、背を向ける。

 原因は分からない。

 ここに長くいる理由もない。


 足音だけが、森に残る。


 その後ろで。

 同じ間隔で並んだ足跡の上に、

 新しい一歩が――

 ぴたりと重なった。




 カーテンの隙間から入る朝の光は弱く、部屋の中はまだ静かだ。


「……」


 目を開ける。


 少しだけ、頭が重い。

 昨日、なんか変な夢を見てた気がする。

 内容は覚えていない。けれど――


「……」


 胸の奥に、なにか引っかかるものだけが残っていた。


 身体を起こす。

 視線が、自然と窓の方へ向く。

 そこに、二人いた。


 窓枠に軽く腰掛けるようにして、外を見ているリンネ。

 その横で、いつものフラスコを揺らしているシズク。


「……あ」


 少しだけ、息が漏れる。


「リンネさん。おかえりなさい」

「ああ」

「どうでした?」


 リンネは少しだけ視線を外に戻してから、答える。


「……わからない」

「わからない、ですか?」

「あれは、ヘヴィクムが関わってるとは思えない」


 ほんの少しだけ、眉が寄る。


「追えない。手段が減った」


 部屋に、静かな間が落ちる。


「ふむ」


 その空気を、軽く崩すように。

 シズクが、小さく笑った。


「そんなこともあろうかと思っての」


 フラスコを指で転がしながら、言う。


「妾も、ただこれを振っておったわけではない」


 懐から、何かを取り出す。

 円形の盤。中心には細い針があり、ゆっくりと揺れている。


「……それ、なんですか?」


 ミリスが身を乗り出す。


「簡単に言えば、探知器じゃな」


 シズクは軽く振ってみせる。


「“ヘヴィクム”の偏りに反応するよう調整してある」

「へえ……」


 ミリスは、じっとそれを見る。

 針は、ふらふらと揺れながら、どこか一定の方向を指している。


「まだ粗いが、何もないよりはマシじゃろう」


 シズクの声は軽い。

 だが、その目だけが、ほんのわずかに細められている。


「これで、ヘヴィクムさんに近づきましたね」


 その時、ほんの一瞬だけ、針が震えた。

 どこかへ傾きかけて、すぐに、元に戻る。


「……ほう」


 シズクの口元が、ゆっくりと歪む。

 ただ、静かに。

 楽しそうに、笑った。


「……どうしました?」


 ミリスが首を傾げる。

 シズクは何事もなかったように、フラスコを揺らす。


「いや、なんでもない。少し、面白くなってきただけじゃ」


 リンネは何も言わない。

 ただ一度だけ、コンパスの針を見る。

 それから、ミリスへと視線を移す。


「……行く、準備するぞ」

「はい」


 その表情は、いつも通り。

 ただ――コンパスの針が、ほんの一瞬だけ。

 また、かすかに震えた。

 シズクは、それを見て。

 ただ、わずかに目を細めた。




 宿の扉が、軽く軋んで開く。


 外はまだ朝の冷たさが残っていて、整備された道だけがまっすぐ伸びている。


「……」


 ミリスは一歩遅れて外に出る。


 先にリンネが歩き出していて、その少し後ろを、シズクが軽い足取りでついていく。


「……行くんですね」


 ミリスが小さく言うと、リンネは振り返りもせずに返した。


「もちろんだ」



 道は静かで、鳥の声だけがやけにはっきりしている。

 その途中だった。


「……っ」


 スライムが、道の真ん中に跳ね出してくる。

 反射でミリスの腕が動く。


「きゃっ!」


 乾いた衝撃音。スライムの体が潰れ、地面に広がる。


「……」


 潰れたそれを見下ろした瞬間、頭の奥で何かが小さく揺れる。


 もう少し

 もう少し、形がなくなるまで。

 もっと長く

 もっと丁寧に

 ぐちゃぐちゃにした方が――


「……違う」


 ただのスライムだ。

 そういうのじゃない。

 そう思おうとするのに、足は勝手に動く。

 残骸を踏む。

 ぐに、と嫌な感触が返ってくる。


「……」


 なのに、一瞬だけ。

 胸の奥が軽くなる。

 それが何なのか分からないまま、踏み続ける。


「何をしてる」


 リンネの声が、短く落ちる。


「……えっと」


 ミリスは足元から視線を外す。


「今の、スライムが……」

「……なるほど、大丈夫だったか?」

「は……はい、大丈夫です」


 数秒の沈黙のあと、リンネは前を向く。


「行くぞ」


 それだけ言って、再び歩き出した。


「なるほどのう……」


 シズクも、歩き出す。

 もう一度だけ足元を見る。

 潰れたスライムの残りは、もうほとんど道に吸い込まれていた。


 さっきの感覚だけが、少しだけ残っている。

 それはすぐに、歩くリズムの中に紛れていった。

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