第十七話
街を離れて、しばらく。
舗装もされていない土の道を、二人で歩く。
風は穏やかで、どこか拍子抜けするほど静かだった。
「……これから、どこへ向かうんですか」
隣を歩くミリスが、控えめに口を開く。
俺は少しだけ視線を上げる。
「近くの都市に向かう。レグナスに影響があったなら、その近くにも広がっている可能性が高い」
「……ヘヴィクムの手がかり、ですね」
「ああ……正直、どこにいるかはわからない。だから、しらみ潰しだ」
ミリスは少しだけ困ったように笑う。
「地道、ですね……」
「そういうもんだ」
それ以上の言葉は続かなかった。
しばらく、ただ足音だけが続く。
――やがて
視界の先に、街が見えてきた。
広がる外壁と、その内側に並ぶ建物。
そして、至る所に大きな畑が広がっている。
レグナスほどの威圧感はない。
だが、それでも十分に“大きな街”だ。
門には、大きく『クロプ』と刻まれている。
「クロプ……」
ミリスが静かに言う。
そして、門をくぐる。
――その瞬間。
わずかに、空気が変わった気がした。
思わず、足を止める。
「……?」
ミリスが不思議そうにこちらを見る。
「どうかしましたか」
「……いや」
首を振る。
通りには、人がいる。
活気があり、声が飛び交っている。
露店には野菜や果物が並び、子どもが笑いながら走り抜ける。
どこにでもある、平和な光景。
黒い斑点も、ない。
咳き込む者も、いない。
ミリスが、ほっと息をついた。
「……普通、ですね」
「ああ」
俺も、周囲を見回す。
違和感はない。
あの街のような、歪みも。
空気の重さも、感じられない。
「……もしかして」
ミリスが、少しだけ明るい声を出す。
「ここは、まだ……ヘヴィクムが来てないのかもしれません」
その言葉に、俺は少しだけ考える。
「……かもな」
そう答えながらも。
胸の奥に、わずかな引っかかりが残る。
「……情報を集める。宿も確保したい」
「わかりました」
ミリスは素直に頷いた。
二人は、そのまま人の流れに紛れて歩き出す。
賑わいはある。声も、笑いも、確かにあるはずなのに。
――どこか、薄い。そんな気がする。
俺は視線を横に流す。
建物の隙間から、畑が見える。
街の中に点在するそれは、どれも広い。
だが――
足を止める。
「……?」
ミリスが振り返る。
「どうかしましたか」
「……あれ」
ミリスも視線を向ける。
そこにあったのは、畑。
広さだけなら十分だ。
土も整えられている。
しかし――
「……少ないですね」
植えられている作物が、あまりにも少ない。
まばらに、点々とあるだけ。
本来なら、もっと密に植えられていてもおかしくないはずだ。
「収穫の時期、じゃないんでしょうか……」
「……いや」
首を振る。
それにしては、不自然すぎる。
畑は手入れされている。
放置されているわけじゃない。
それなのに、植えられていない。
視線を上げる。
他の畑も、同じだった。
広いだけで、中身が薄い。
妙な違和感が、じわじわと広がる。
その時だった。
「あの、すみません!」
背後から、声が飛んできた。
振り返る。
クワを持ち、土のついた服を着た男が、こちらに駆け寄ってくる。
年はそこそこ上だが、どこか疲れた顔をしている。
「旅の方、ですよね?」
「ああ」
「もしよければ……少し、話を聞いてもらえませんか」
男は、どこか言いづらそうに言葉を選ぶ。
その目には、はっきりと焦りが浮かんでいた。
「最近……畑が、おかしいんです」
ミリスと目が合う。
さっきの違和感が、形を持ち始める。
男は、周囲を気にするように声を潜めた。
「作物が……育たないんです。それだけじゃない」
ごくり、と唾を飲み込む。
「夜になると、畑が荒らされるんです」
風が、わずかに吹く。
さっきまで穏やかだったはずの空気が、少しだけ冷たく感じた。
「……魔物か?」
俺の問いに、男はゆっくりと頷く。
「ええ、でも……普通の魔物じゃ、ないんです」
ミリスが首を傾げる。
「普通の魔物じゃない……?」
「畑を荒らしているのは巨大なトンボの魔物、グラフライです。本来は……畑を荒らす動物を退治してくれる、いい魔物だったんです。この街は……グラフライと共存していた。でも、ここ最近、急に畑を荒らすようになって……まるで、別の生き物みたいに」
その話に俺とミリスは息を呑む。
「リンネさん、これって……」
「……確証はないが……ヘヴィクムの可能性が高いな」
ミリスの表情が、わずかに強張る。
その様子を見て、男が戸惑ったように口を開く。
「……あの、その“ヘヴィクム”というのは……?」
俺は一瞬だけ言葉を止める。
どう説明するか、考える。
「……一種の“原因”で、生き物を変質させる」
それだけ告げる。
男の顔色が、わずかに青ざめた。
「じゃあ……あのグラフライも……」
「可能性の話だ……だが、このまま放置すれば被害は広がる」
男は、ぐっと歯を食いしばった。
そして――
「……あの」
意を決したように、顔を上げる。
「お二人は……戦える方、ですよね?」
「ああ」
男は深く頭を下げた。
「お願いします……グラフライを、殺していただけませんか」
空気が、わずかに張り詰める。
「このままじゃ、畑が全部やられてしまう……俺たちだけじゃ、どうにもならないんです」
必死だった。
声を荒げているわけじゃないのに、伝わってくる。追い詰められているのが、はっきりとわかる。
ミリスが、少しだけ不安そうに口を開く。
「でも……元は、畑を守っていた魔物なんですよね……」
男は、苦しそうに頷く。
「……わかっています。できることなら……こんなこと、頼みたくない」
言葉を詰まらせる。
「でももう、限界なんです。今のグラフライは、もう……俺たちの知ってるグラフライじゃない」
男の声は、かすかに震えていた。
その言葉が、やけに重く響く。
しばらく、誰も口を開かなかった。
まばらに植えられた作物が、小さく揺れた。
ミリスが、ゆっくりと口を開く。
「……リンネさん」
その声には、迷いが滲んでいた。
俺は、少しだけ目を閉じる。
――守っていたものが、壊れる。
その原因が、ヘヴィクムだとしたら。
放っておく理由は、ない。
目を開く。
「……引き受ける」
ミリスがこちらを見る。
少し驚いたような、でもどこか納得したような表情だった。
男は、一瞬言葉を失い――
やがて、深く頭を下げる。
「……ありがとう、ございます……!」
その声には、安堵と、わずかな罪悪感が混じっていた。
視線を外し、畑の方を見る。
「出る時間は」
男が顔を上げる。
「夜です……日が落ちて、しばらくしてから」
「……わかりました。それまでに、準備を整えましょう」
一度だけ、畑を見渡す。
広いだけで、空いた場所の多い土地。
――何かが、削られているような感覚。
「……行くぞ」




