第十四話
酒場につき、扉を開けると、酒場の中は異様な静けさに包まれていた。話し声も、グラスのぶつかる音も、ただの一つも聞こえない。
「な、なんですかこれ……」
床の上に、黒い斑点の浮かぶ病人たちが大勢、横たわっていた。汗で髪は濡れ、苦悶の表情を浮かべている。中には床を手で掻きながら呻いている者もいた。
俺はカウンターに歩み寄り、そこにいた店員に声をかける。
「いったい、ここで何があった?」
店長は少し俯き、唇を震わせた。
「……急に……さっきまで普通に飲んでたのに……!」
「なにか、倒れた人の共通点はないか?」
店員は少し考えて答える。
「共通点……みんなビールを飲んだことくらいだな……」
その時、ミリスが口を開く。
「じゃ、じゃあ、食中毒とかじゃ……」
「そんなはずはない。うちは仕入れた時に菌がないかをチェックするのがルールなんだ」
「……あ、そうだ……!」
「あのビールは仕入れた後、教会で清めを受けたんだ……!」
教会と言うワードが出てきた瞬間、二人は顔を見合わせた。
「リンネさん、やっぱり……」
「……教会、関係してる可能性は高いな」
俺は体を扉に向ける。
「教会……じゃない。その上にいる奴だ。教祖に会う」
ミリスが目を見開く。
「ま、待ってください……旅人の私たちが、いきなり教祖に会えるはずが……!」
俺は少し考え、答える。
「……確かに、普通にじゃ絶対に無理だ。だから、少し工夫をする」
ミリスが眉をひそめる。
「工夫って……?」
俺は視線を酒場の外、教会の方向に向けた。
「信者のフリをして、会うんだ」
ミリスは目を丸くする。
「えっ……信者の……?」
「教祖の信者のふりをすれば、面会の口実ができる。もちろん、教会側も俺たちの正体を完全には信じない。だから、疑われないように変装や振る舞いを整える必要がある」
ミリスは少し考え、息を呑む。
「……でも、そんな……」
「でも、口実を作るためならこれが一番いい」
ミリスはまだ迷ったように視線を落とす。
「……でも、その服、どこで……」
「教会の中で手に入れるのは無理だ。外にいる奴らから探すしかない」
「外に……?」
少しだけ間を置く。
「……離れた奴がいるはずだ。“信じて、やめた奴”がな」
ミリスは一度視線を落とし、考え込むように黙り込む。そして――ゆっくりと顔を上げた。
「……そんな人、本当にいるんですか……?」
「……見れば分かる」
酒場を出た後、街の空気はどこか重かった。人は多い。だが、誰も目を合わせようとしない。
俺は周囲を見渡しながら歩く。
「……本当に、そんな人が……?」
ミリスは不安そうに視線を揺らす。
「……教会が“あれ”を祝福と呼んでいるなら、絶対にいるはずだ」
そう言って、人気の少ない路地へと足を向ける。
――教会から離れた場所。
人の目を避けるような場所。
そういう場所だった。
しばらく歩いた、その時だった。
「……教会、か」
かすれた声が、路地の奥から聞こえた。
二人は足を止める。
視線を向けると、そこに一人の男が座り込んでいた。
服はくたびれ、目は充血し、その下には深い隈が刻まれている。
そして――その手には、握りしめられたままの白い布。
それは、オリオンが着ていたものと同じ、白い教会の服だった。
「……あんたら、教会に用があるのか」
男はゆっくりと顔を上げる。
その目には、怒りでも悲しみでもない、何かを諦めたような色が浮かんでいた。
少しだけ間を置き、口を開く。
「……ああ」
男は一瞬だけ黙り込む。
そして、ぽつりと呟いた。
「やめとけ」
「……?」
「俺も、そうだった」
その一言に、空気が少しだけ変わる。
「家族に、あの斑点が出た。祝福って言って毎日祈ったさ。言われた通りに」
男の指が、わずかに震える。
「でもな……死んだ」
ミリスの息が詰まる。
「日に日に弱っていって……ある日、急に……それで、教会に連れて行った。まだ、あきらめていなかったさ……」
男は乾いた笑みを浮かべた。
「だが結果は……“あれは試練だ。乗り越えられなかったなら、それまでの命だった”だとよ」
沈黙が落ちる。
遠くで風の音だけが響いた。
「……じゃあ、その服……」
ミリスが恐る恐る尋ねる。
男は手に持っていた白い服を見下ろし、ゆっくりと差し出した。
「もう、いらねえ……使うなら、持ってけ」
俺はそれを受け取りながら、男の目を見る。
「……いいのか」
「どうせ、信じる奴にしか意味はねえよ」
その言葉には、もう何の感情も乗っていなかった。
ただ、疲れきった現実だけがあった。
俺は短く頷く。
「……借りる」
ミリスも静かに頭を下げた。
二人はその場を後にする。
手の中の白い服は、思っていたよりも、ずっと重かった。




