2. 夜の足音
ミルクティーのいい香りと、甘くて口の中でとろけるチョコの味、そして、風通しのいい、気持ちのいい部屋。
魔法の力がなくたって、そんな場所に招かれてしまったのです。さすがの隼桐も、一時、休戦をしないわけにはゆきません。
ふんわりと過ぎてゆく、白魔女と子供たちの午後のひと時。
ところが、
「ふん、何を楽しげに! 本当に馬鹿げてる」
窓辺でその様子を眺めていた猫が、黒い吐息をだしました。
うるさくて、わがままで、何を考えてるかさっぱりわからない厄介な連中。おまけに頭が悪いくせに、変に敏感。
漆黒のその猫には、人間の子供ほど、勘にさわるものはありませんでした。
とっとと、夜がくればいい。そしたら、あいつらを根こそぎ飲み込んでやれるのに……
不満げに、白い洋館のリビングを見下ろした時、黒い猫は突然、笑いのようなかすれた声をだしました。
白い洋館の壁が少しずつ、ずれ始めている事に、黒猫は気づいてしまったのです。とろけるように崩れてゆく、窓枠と柱。あまりにも微妙なその動きは、ナメクジが草の上を這うように、ゆっくりとした速度でしたが。
「あの一番チビの子供。なかなか、おもしろい事をする」
そして、漆黒の猫はそそくさと窓辺から、外に向かって飛び降りるのでした。
* *
「だめよ! その紙をはがしてはっ!」
いつ、そこに潜りこんだのでしょう? ”白の呪文”を書いた護符を手に持った隼桐をテーブルの下に見つけると、白い魔女は大慌てで彼を自分の方へ引き寄せました。
護符に書かれているのは魔方陣を作るための呪文。それを剥がしてしまっては、この洋館を形作っている魔力の効力が消えてしまうわ。
よくよく見てみると、隼桐の手には、同じような護符が何枚も握られていました。
「この家、変だよ。あっちこっちの壁に、この気色の悪い字を書いた紙が、貼られてるんだ」
「だから、全部、剥がしたっていうの? 絶対に止めて! それは、この屋敷のお守りなんだから」
普通の子供には見えるはずがない魔方陣の護符。それをよくも、見極めたものだと、白い魔女はため息をもらしてしまいました。
その時、時計が午後4時の鐘を鳴らしました。
仕方がないわ。子供たちに気づかれないように外からもう一度、魔方陣を作り直しましょう。でも、術を完成するには、時間がかかるのよ。
けれども、楽しげな子供たちを、帰すにはまだ、少し早いような気がして白魔女は、
「私はちょっと用事があって出かけるけど、4時半になったら、あなたたちは帰りなさい。すぐに帰るから鍵は開けておくし、閉める必要もないから」
すっかり満腹で林子とトランプを始めていた風太は、ちょっと困った顔をしていいました。
「それで、大丈夫なの? 勝手にここで遊んでいてもまだ、いいの?」
「ええ。ただ、4時半には帰るのよ。時間は”絶対に”守ってね。私は途中で用事を抜けれないから、声をかけてあげる事ができないの」
一旦、魔法陣を組みだすと、白い魔女には外界の音も様子も何もかもが聞こえなくなります。それほど、その術には集中力が必要なのです。
多少無理をして、笑みを作ると、白い魔女は大急ぎで館から出てゆきました。
「あと、30分か。俺、さっきから、このでかくて、ふわふわのソファでごろんってなりたかったんだ!」
「私もっ。ちょっと遠慮してたけど、今、やっちゃおう!」
風太と林子は、リビングのソファに飛び込むように、転がり込みました。
「あっ、僕も僕も!」
隼桐も二人の中に割り込みました。三人は子猫のようにじゃれ合って、ソファの中ではねたり、飛んだり、転がったり。お互いの暖かさとソファのふわふわ感が、心地よくてたまりません。
けれども、午後6時。
白い洋館の前にある街灯に明かりが灯る頃、
4時半になったら、”絶対に”帰るのよ”
風太、林子、隼桐の3人の子供は、白魔女のその言いつけを守る事などすっかり忘れて、疲れ果て……
洋館のソファの中で、ぐっすりと眠り込んでしまったのです。
* *
まだ、肌寒い5月の夜が足音をひそめながら、白い洋館に近づいてきました。なぜだか、今日はいつもより日暮れが早いようで、外は午後6時にしては、暗すぎるように思えました。
空には月も星も出ていません。ただ、目を凝らして見ていると、洋館にそびえたつ桐の枝の間をぬって、レースの黒いショールを大きく広げながら空を横切る、黒魔女の姿がおぼろげに浮かんでくるのです。
“さあ、夜の時間。甘ったるいおしゃべりや、我慢できない馴れ合いを、全部闇に流してしまおう。ああ、それを考えるだけで、私は嬉しくてたまらない”
黒魔女は、氷のような微笑を浮かべると、ショールをつぼめて白い洋館の窓辺に降り立ちました。
~ 続く ~




