3. 聖王の止まり木
「風太、隼桐くんっ、起きてっ、大変っ! もう6時よ」
ソファの上で目を覚ました林子はあせって、時計に目をやりました。白魔女との約束では、日が暮れる前の4時半にはこの館を出るはずだったのです。
「早く帰ろう。あの女の人がもどってくる前に」
二人をせかしながら、林子は洋館の扉を開きました。
ところが、隼桐が、言うことを聞いてくれないのです。
「いやっ、僕はここから外に出るのは、絶対にいやっ!」
洋館の扉の外は、真っ暗でした。
それこそ、墨を流したような景色です。
暗い夜道を歩いている時、何かがこちらを眺めてる。
後ろをずっと誰かがついてくる。
みなさんは、そんなことを考えたことは、ありませんか。
いつの間にか、隼桐だけでなく、風太や林子も、同じ気持ちにとらわれてしまったのです。
黒魔女は、洋館の屋根から、怖がる3人の様子を、笑いを堪えながら眺めていました。
“もっと、もっと、不安になれ。洋館の外の闇を踏みしめろ。その1歩を踏み出した時、この黒魔女がお前たちを、闇の世界へさらってゆく”
* *
「もう、家に帰りたいのに……」
風太が、恐る恐る、玄関から外を覗いた時、雲間からほんの少しだけ、月が姿を現しました。
外にある街灯の光が、いきなり強く輝きだしたのはその時でした。すると、街灯の黒い影がすうっと長く、洋館の玄関の方に伸びてきたのです。
“その影を通って、早く、早く、こっちへ来て!”
風太、林子、隼桐の3人は、頭の中に響いてきた声に、目をぱちくりとさせました。
「今の声、だれ?」
3人は、街灯の下から、彼らをじっと見つめている白い猫に目をやりました。
まじりけのない真珠のような白、澄んだ若草色の瞳。それが、やけにはっきりと、闇の中に浮かびあがっています。
“その”街灯の影”の上を歩いて、早くこちらへいらっしゃい。月の光で作り出したその影だけが、ここでは安全。けれども、一歩たりとも、その影を外れてはならない。さもないと、黒魔女の世界に引きこまれてしまうから”
どきどきと3人の心臓は高鳴りました。やはり、この声は、街灯の下の白い猫のもののようです。
“早くしないと、月が雲の中に隠れてしまうわ。私の力は夜の時間は、とても弱い。だから、急いで、その道を渡って、こちらに来て!”
何が起こっているかは、さっぱり分かりませんでしたが、とまどっている場合ではありません。
「風太、先に行って!」
「ええっ」
でも、ここで勇気を出さなければ、家には帰れません。風太は、思いきって、街灯の影への第一歩を踏みだしました。そして、林子、隼桐がそのあとに続きました。
「そうっと……影から絶対に外れないように……そうっと」
胸が押しつぶされそうな重苦しい思いが、心にわきあがってきます。
夜ってこんなに怖いもの?
闇ってこんなに怖いもの?
やっとの思いで、街灯の下にたどり着いた時、風太と林子はほっとして、足の力が全部抜けてしまいました。
“良かった。あとはあのおチビさんだけね”
ところが、
「隼桐っ!!」
一番、後ろにいた隼桐が、転んでしまったのです。
街灯の影を大きく外れて、隼桐の体は闇の中に放り出されてしまいました。
“やった、やった! 白魔女に邪魔はされたけど、この子一人でも、連れてゆければ、それで上等!”
黒魔女は喜びいさんで、肩にかけたショールを大きく広げました。すると、闇はいっそう濃く深まり、唯一、明るく照っていた街灯の灯さえもが、消えてしまったのです。
痛そうに膝を押さえた隼桐は、顔をあげて、きっと空を睨めつけました。
薄紫色の月が、夜空にこうこうと、輝き出したのは、そのすぐ後でした。
「うっ、おっ、お前はっ!」
隼桐を今にも、闇にとりこもうしていた黒魔女は、一つ唸り声をあげると、くるりと体を回転させ、かき消すように姿を消してしまいました。
白い猫は、慌てて、隼桐の元へかけよりましたが、月の光に照らされた隼桐の影を見て、びくりと身をこわばらせました。
― 頭には大きな鶏冠、背には燕型の羽、クジャクのような長くて幾重にも分かれた尾 ―
“……そんな、あなたはどうして、こんな所にお隠れになっているのです?!”
ざわと洋館の玄関にある桐の木が、強い風で揺れました。
風の音にぴんと、白い猫が耳を立てると、桐の木から薄紫の花びらが、いくつもいくつも、くるくると舞いながら落ちてきました。
桐の木は、聖王と呼ばれる神鳥が、唯一、止まることができる木。
『鳳凰』……そんな方が、この地を守っていたの? ……そんな高貴な方が先においでになった場所に、私たちが棲みつけるわけがない。
”この空地に魔法陣を描いた時に、どうしても、あの桐の木だけは、除けることができなかった理由が今、分かった。あなたは、私たちより、ずっと前に、ここに住んでいたのですね”
隼桐は、後ずさる白い猫にあどけない笑顔を向けると、驚かせないように、そっと手を伸ばして、白い猫の頭を優しくなぜました。
明るい星が南の空に輝きだした時には、先ほどまでの息がつまるような闇夜は成りを潜め、辺りは、いつもの穏やかな5月の夜に戻っていました。
* *
風太と林子は、家々の明かりが灯る、住宅街の道をしっかりと手を繋いで歩いていました。
「変だなぁ、二人して同じ夢を見るなんて」
「きっと、あの洋館のソファで眠ってて、あわてて起きたからじゃないの」
風太と林子は、頭をかしげながら家路を急いでいましたが、
「でも、隼桐くんはどこへ行っちゃったんだろ。あの子と洋館でお菓子を食べたのは、本当だったよね」
「うん、ちょっと生意気だったけど、一緒に遊んで、面白い子だったなぁ」
けれども、もしかしたら、それも二人の夢だったのかもしれません。
「おい、やめろよ。歩けないじゃないか!」
風太と林子の足元で、白い猫がからみつくように、ぐるぐると廻っています。
それは、子どもたちを驚かせたお詫びに、彼らを家に着くまでは、しっかりと守ろうとしているようにも思えました。
* *
次の朝、白い洋館は、かき消すように、姿が見えなくなっていました。工事がいつ始まったのか、いつ終わったのか、知っている者は誰もいません。
ただ、空地にある桐の木だけが、そこから逃げていった住人を知っていたのです。
白い魔女と黒い魔女。そして ―白と黒の不思議な猫を―。
~ 完 ~




