1. 白い洋館
その白い洋館は、小学校の通学路にある空地に、一晩のうちに建ってしまったようなのです。
屋根も壁も窓枠も全部が真っ白で、磨き上げられた窓には、白いレースで編み上げたカーテンがかけられていました。
工事がいつ始まったのか、いつ終わったのか、誰がそこに住んでいるのか。知っている者は誰もいません。
洋館の玄関にある桐の木だけが、空地にもともと生えていた木でした。その桐の木は屋根を軽く越えるほど背が高く、見事な釣鐘型の薄紫色の花をたっぷりと咲かせていました。
けれども、玄関を出た場所に建てられた西洋風の街灯は、絵本の挿絵そのもので、洋館の佇まいは、平凡な住宅街にまったく不釣り合いなのでした。
だから、自然に小学生の間では、“白い洋館”は話題の的になっていたのです。
その館に二人の主がやってきたのは、
爽やかな5月の朝と、
まだ、肌寒い5月の夜。
実をいうと、館の窓に伸びる桐の枝に身を隠しながら、主たちも、もの珍しそうに、下校する小学生たちを眺めていたのです。
「スィートチョコをたっぷり溶かしたアーモンドチョコクッキー、果実の蜜をふんだんに生かしたアップルパイ、そして乳成分100パーセントのミルクティー。書庫で見つけたお菓子のレシピを上から順に作ってみたの。せっかく、上手く出来たのだから、あの子たちに、ご馳走したいわ」
「子供にお菓子? 冗談じゃない。そんな高カロリーのメニューで、太らせた子供を食べる趣味は持ち合わせていないよ」
「また、そんな事を言う。子供たちは可愛いわよ。特に笑った顔は素敵よ」
馬鹿げてる。子供は黒魔術の添え物か、魂を抜き取ると決まってる
信じられない。そんな言葉は白魔術の魔法書には有りもしない。
「あんたとは気があわない」
「お互い様だわ」
窓辺から、ぷいっと顔を背けた白いストールの女性。
テーブルに並んだお菓子の皿に、そっと銀の蓋をのせると、彼女は少しきつい口調で言いました。
「明日、学校が終わったら、私は、あの子たちをここに招いて、一緒にお菓子を食べるの。もう、決めたんだから、あなたは邪魔しないでね」
にゃあぁぁ
けだるそうな声をあげて、
窓から飛び降りたのは、夜のような瞳をもった漆黒の猫。
あの街灯に灯がともるまで、あんたは好きにすればいい。
でも、覚えておきなさい。夜が来たならば、
それは、私の時間なのだから。
* *
次の日の午後3時
水晶玉が学校帰りの子供たちの姿を映し出した時、白魔女の若草色の瞳が明るく輝きました。白魔女は、水晶玉に手をかざすと”白の呪文”を唱えました。
∞й∞ъ∞ю∞ ∞й∞ъ∞ю∞
このお話を読んでいる、あなたには、これは多分(多分ですが)読めないでしょう。
なぜって、これは、白魔女が、人と物を迎える時に使う”喜びの言葉”なのです。
さあ、お菓子をお皿に盛りつけましょう。
紅茶を温めなおしましょう。
“白の呪文”の効果は絶大で、この洋館の扉の前まで来た子供たちは、呼び鈴を鳴らさずにはおられなくなってしまったのです。
白魔女が、水晶玉で見ていた子供の名前は、風太と林子といって、小学4年生の双子の兄妹でした。
噂の白い洋館の前に来た時、林子が急に足を止めました。
「林子、どうしたの?」
そう問いかけたものの、すでに風太の視線は洋館の扉に釘付けになってしまっていました。
― 扉の呼び鈴を鳴らして。早く鳴らして ―
頭の中に呼びかけてくる柔らかな声。風太と林子はその声に引きつけられるかのように、白い洋館の扉に手を伸ばしました。
ところが、
「だめ!」
不意に後ろからかけられた声が、二人の足を止めたのです。
* *
口元をへの字に曲げた、小さな男の顔が水晶玉に映し出された時、白魔女は、えっと目をみはりました。
そんな事って……あの子には“白の呪文”が効かないの?
白魔女は、ため息をつくと、2階の部屋から大急ぎで階下に降りてゆきました。
* *
「だめだったら、だめ!その館に入っちゃ」
「お前、誰?」
風太は、突然、声をかけてきた子どもに眉をひそめました。けれども、どこかで見たことがある顔です。林子は多分、同じ小学校の下級生だと思いました。
「ちょっとよ。ちょっとだけ、中をのぞいてみるだけ」
ところが、林子が、男の子の手を、軽くふり払おうとした時、
「あら、かわいいお客さん。中へどうぞ。ちょうど、お菓子を焼いたところなの」
香ばしいお菓子の匂いと共に、白い洋館の扉がふわりと内側に開いたのです。
扉の向こうにいたのは白のストールを肩にかけた、映画に出てくるような綺麗な女の人でした。
結いあげた薄茶色の髪、若草色の瞳。通った鼻筋。外国の人? にしては話す言葉はよどみのない日本語で、少しもちぐはぐしたところがありません。風太は、扉の向こうの春風のような笑顔に目をやって、ぽうっと顔を赤らめました。
「さあ、どうぞ」
「だめっだっていうのに!」
けれども、引きとめる男の子を無視して、風太と林子は、吸い込まれるように、屋敷の中に入って行ってしまったのです。
「ぼうや、そんなに怖い顔をしないで。何も悪さをするわけじゃないわ。みんなと一緒にお菓子を食べたいだけ」
諌めるように、視線を向けてきた白魔女を、男の子がにらみつけました。
「僕の名前は、ぼうやじゃないやいっ!隼桐だよっ。 それより、おまえ、怪しいぞ。ゆうかい犯だろっ!」
さんざんな悪態をついてくる男の子に、白魔女は目を丸くしてしまいました。それから、鈴のような声で笑っていいました。
「隼桐くん、まず、その“への字”に曲げた口元を元にもどして、それから、館に入って。そうすれば、私は誘拐犯じゃないことが良くわかるから」
白魔女は、玄関でふんばっている男の子の手を引き、白い洋館の扉をそっと、音をたてずに閉じるのでした。
~ 続く ~




