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夏祭り、屋台と花火と、戦神ワルキューレ 上

「フランクフルト、二百五十円です。ありがとうございましたーー!」

 太陽が西に落ちて、満天の夜空が星を降らせても、暖まった空気が冷めきらない。

 ……そんな、ふわふわとたるい大気が首筋の汗を誘う商店街の一角で朱里の笑顔が舞う。

「鬼盛りポテトお待たせしましたーー!!」

 商店街全体に所狭しと並べられた屋台からは、肉やバターやソースやバナナ……数え切れない匂いが運ばれてくる。

「はーい、焼きおむすび少々お待ちくださーーい!」

 威勢のいい兄さんや無愛想なオッサンが、鉄板にさまざまな食材を敷いて客寄せをしている屋台に並んで、巫女袴に身を包んだ朱里と櫻花は電子レンジと揚げ台を持ち込んで奮闘していた。

「朱里、焼きおむすび!」

「はい! ありがとうございますー!」

 八月第二週土曜日はこの街でもっとも大きな祭りがある。神楽神社はこの祭りの本通りに一区画割り当てがあり、毎年出店をしていた。

「おみくじ入りつくね棒ですね? ありがとうございまーす!」

 詳細な説明がなかなかできないほどにご盛況であり、朱里も忙しいながらに少し楽しい。

「いやぁー、朱里が前に立つと売り上げすごいねー」

 櫻花が切れない客足に喜んでいる。顔貌かおかたちが抜群に整った朱里はまるで、真夏の夜、開け放った部屋に吊るしたハエ取り紙のように客を呼び寄せる。

「……例えが悪いし昭和すぎます……」

「あは、聞こえてた?」

「それにしてもなんで袴なんですか?」

「うん、それね」

 櫻花も、初めは普通の格好をして売っていたらしい。が、売り上げは芳しくない。

「浴衣着てみてもいまいちだったんだけど、袴にしてみたら、急に売り上げが伸びたのよ」

 嘘みたいな本当の話だ。ものめずらしいのかご利益があると踏んでか、これこそ萌えなのか、とにかく足を止める客がめっぽう増えて、以後そうしている。

「それはそうと、これはなんですか?」

 実は、売り物は食べ物だけではない。朱里の左手に握られているものは藁で編み上げられた人型の人形だ。

「え? 知らない? 藁人形だよ」

「藁人形って、あの、人を呪うやつですか……?」

「そうだよ」

「そんなものを売っていいんですかぁぁぁぁ!!!!」

 仮にも神に仕える巫女が売るものとは思えない。

 しかし櫻花はパタパタと手を振って「いーのいーの」と言った。

「実際、結構売れてるでしょ?」

「売れてますけど!」

 なぜか売れる。本当によくわからないが、なぜか売れる。

「もうね。売れるものを売ればいいのよ。どーせ藁人形に釘刺したって何の効果もないしね」

 ……身もフタもないことを言う櫻花。その時、仕切りの向こうから声がかかった。

「これくれる?」

「あ、はい、すみません! いらっしゃいませ!」

「これ」

「はい。聖書ですね? って、えええええええええええ!?」

 ギンッと櫻花へ目を剥く朱里。

「わたしたちは神道じゃないんですかぁぁぁぁぁ!!!!!」

「そうだよ」

「何で別の宗教の教本売ってるんですかぁぁぁぁ!!!!!」

「神道は寛容なのよ」

 なにせすべてのものに神が宿るという教えだ。別の宗教に別の神がいてもそれを否定する必要がない。

「そういう問題じゃなくて!」

「ん? ハムラビ法典とかも売ってるよ?」

「ちがぁぁぁぁぁう!!!」

 相変わらず価値観がズレまくって、まともな会話にならない。


 朱里と櫻花は七時には店を閉めて、通りへ繰り出した。

 藁人形とハムラビ法典が特に売れたおかげで、軍資金は潤沢にある。なぜハムラビ法典があんなに馬鹿売れするのか釈然としないが、祭りという特殊な状況の中で、財布の開き方もまた特殊なのだろう。

 深く考えないことにした朱里の、袋いっぱいに膨らんだわたがしを含んで口内でフワリと消える様を楽しむ姿は、すぐに祭囃子に溶けていった。

 櫻花が水風船のヨーヨーつりが異様にうまいとか、たこ焼き屋の親父の顔が聖徳太子の肖像画に激似だとか、祭りを楽しむ二人の話題は尽きることはない。

 昼間、散々に熱せられたアスファルトはいまだに熱を蓄え、歩行する者たちの足元にまとわりついているが、今日だけは室内のクーラーも負けてしまうほどの活気が往来を埋めている。

「……浴衣着たいならもっと普段から着ればいいのにねぇ」

 櫻花がつぶやく。確かに祭りで浴衣を着ているかなりの人数は、明らかに着慣れないことが素人目にもわかる。日本の伝統的な服装なのだから、祭りに限らず着ればいいのに。

「普段だと相当目立ちますからね」

「でも、朱里は今、緋袴ひばかまだよ?」

 巫女装束のことだ。もうめんどくさいので店を閉めてそのままの格好でうろうろしているわけだが、確かに目立っている。すれ違う若者たちが二度見するのは、なにも朱里が美人だからと言う理由だけではあるまい。

「櫻花さんと一緒じゃなきゃこんな格好しないです」

「でも、恥ずかしい?」

「いえ、別に」

 慣れてしまった。

「でしょ? 浴衣も同じだよ。着慣れていけば恥ずかしさなんてなくなるし」

 だいたいオシャレなんて、人と違う自分の個性を出すものでしょ?……櫻花が論陣を展開し始めると、多くの場合朱里は反論できなくなる。確かに祭りには浴衣、正月には振袖、卒業式には袴をと定める道理はなく、そういう格好が自分の願望の中にあるのなら、櫻花の発想もあながち突飛ではあるまい。

 皆がその発想を受け入れて、普段から気軽に着られる社会的風潮ができれば、あるいはそういう未来が来るかもしれない。


 二人はやがて河川敷に出た。お目当てはここだ。

 土手の傾斜に腰を下ろす場所を定めると、櫻花は懐からレジャーシートを取り出した。

「相変わらず何でも入ってますね」

「必要なものだけだよ」

 いつも思うのだが、彼女の懐の構造はどうなっているんだろう。平気で自分の身長の半分ほどもあるハリセンを懐から取り出すが、白衣をきっちりタイトに整えている彼女の姿を見ても、どこにそんなものが隠れているのかまったくわからない。

「入ってるもので一番大きいものってなんなんですか?」

「巫女の懐具合は、秘密の花園よ」

 ……よく意味が分からないが、教えてくれそうにはなさそうだ。そのうちグランドピアノとか取り出したら、その時こそ櫻花が人間でないことを疑おう……おぼろげに朱里は思っている。

 腰を下ろした土手のふもとには左から右へ……大きな川の流れがある。ちょうちんが等間隔に辺りを照らしており、ゆらゆらと川面に揺れる光の帯がその雄大さを教えてくれていた。

 喧騒に阻まれて、たゆたう流れの音はほとんど聞こえないが、さらさらと往く透明な水の合唱は、うだっている空気をすこしだけ押し流してくれているようにも見えて心地よい。

「夏の夜っていいよね」

 暑さに火照った身体をほのかに洗う風が夏の夜の魅力だと思う。外にぼぉっと腰を掛け、夢見心地で空を眺めていられるのも夏だけだ。

 朱里もうなずいたが、その上で言った。

「蚊を気にしなくてよければいいなって思います」

「あ、そうそう。蚊がいるよね」

 櫻花は懐から、すでに火がついていぶされている蚊取り線香とブリキの入れ物を取り出すとレジャーシートの上に置いた。

「ごめんごめん、わたしばっかり使ってたから忘れてたわ」

「まってまってまってまって!!」

「なによ」

「それ、もう火がついてるんですか!?」

「うん、だって火がついてないと意味ないでしょ」

「それが何で懐に入ってるんですかぁぁ!!!」

「いや、だからごめんって。あたしばっかり蚊除けしてたことは謝るよ」

「そういう問題じゃなくて!!」

「もぉぉ……細かいな平成世代。ガジガジ君でも食べてちょっと落ち着きなさいよ」

 彼女はそういうと、懐から氷を固めた包装つきのアイスを取り出して朱里に手渡した。

 取り出してみれば、ソーダ味の水色から冷気が見えるくらい、キンキンに冷えている。

「あなたの懐はどうなってるんですかぁぁぁぁぁ!!!!」

 朱里は叫ばずにはいられない。


 しかし、巨大な音にその声はさえぎられた。

 夜宵に弾ける破裂音。宇宙に繋がる漆黒に描かれた紅い円が水面みなもに反射して、彼女たちの会話を一瞬にして奪ったのである。

 祭りのメインイベントであった。紅の後には緑、黄色、青……説明が間に合わないほど立て続けに夜の闇に華が舞う。ほんの少し遅れてやってくる轟音が、肺を揺らすほどに強く空気を叩き貫いていけば、その圧倒的な迫力に心も揺さぶられた。

 空を彩る七色を、たえず流れる水鏡が映し出して、視界全体に夢のような光景が次々に広がっていく。テレビ画面は大きくなったけど、他の娯楽もたくさん増えたけれど、花火という芸術を夏の夜の開放感の中で呆然と見上げることのできる行為は、なににも変え難い夏の贅沢なのではないだろうか。

 空いっぱいに垂れ下がる黄金色の帯の一つ一つ、青や赤に弾ける輝きの一つ一つが、朱里と櫻花の眼球に一瞬美しい装飾を施して消える様に、彼女たちは感激が隠せなかった。

「あたしたちの舞を見る人たちもこれくらい感激してくれるといいね」

 美しさを追求するという意味では舞も花火も同じである。櫻花は巫女の仕事に命をかけているから、これだけ見入ってしまう花火というものと同じくらいの価値を、己の仕事に与えてやりたいと、真剣に思っている。


 花火も終わり、人の流れが花火の前とは逆方向となった。

「今から片付け大変だと思うけど」

 二人はまだ仕事がある。出店に戻らなければならないし、神楽神社にも行かなければならない。その後は二人で女子会でもしようという流れだ。

 途中、商店街脇の公園に差し掛かったとき、朱里は言った。

「櫻花さん、ちょっとトイレ行ってきていいですか?」

「そこの公衆トイレ?」

「はい」

「あぁ……」

 やけに納得する櫻花。

「え? なんです?」

「いやぁ、今回、もう原稿用紙が十枚を超えてるっていうのに朱里になんの不幸もないからおかしいと思ったのよ」

「なんですかそれ……」

「だって、公衆トイレ使うんでしょ? そんなのフラグに決まってんじゃない」

「フラグ?」

「今回の話はここからがメインだってことよ。たぶん朱里は今から痴漢とかに襲われる」

「ええええ!?」

「だって、そうじゃなかったから期待してる読者はどうするの?」

「どうもしません!!!」

 今回はきっと雰囲気を楽しむ回なのだ。夏という、うだる季節の清涼剤として、祭りの雰囲気を描いただけなのだと思う。朱里自身は癒されたし、たまにはこういうほのぼのした回があってもいいと思うのだ。思うのだってば。

「そう思うなら行っといで」

「ええええ……」

 そう言われるとものすごく怖い。

 しかし花火の時間は一時間。その前もずっとトイレに行ってなかった朱里は、このタイミングを逃したくなかった。

「櫻花さん、一緒に行きません?」

「えー、いいよ」

「わ、ありがとうございます!」

「え? 行かないよって意味での「いいよ」だよ」

「まぎらわしいです!!」

「だって、今から事件があるっていうのに、あたしが邪魔してどうするの」

「ちょ……もしかして、何かあっても助けてくれないんですか!?」

「助けると思うよ」

「頼りないーーーー!!!!」

「たぶん、ものすっっっっっごいきわどいところまで行ってから助けに行く」

「その前に助けてくださいっっっっ!!!」

「だって、みんなすっごいガッカリすると思うし……」

「……」

 朱里は公園をパスして歩き始めた。こうなれば神楽神社までガマンするしかない。が、櫻花の声がそれを追いかけた。

「コラコラ、往生際が悪いわよ」

「だっていやですもん!!」

「いや、もうね、フラグ立っちゃってるから、どこでトイレに行っても一緒だと思うよ」

「え……?」

 朱里が立ち止まる。

「どういうこと……?」

「すでにそういうアクティビティは用意されちゃってるってことだよ。たぶん、今からの展開は家のトイレでも同じことが起こる」

「えええええええ!!!!」

「運命というのはそういうものなのよ」

「いやだぁぁぁぁ!!!!」

「だから、せめてあたしがそばにいる今のほうがいいでしょ?」

「……」

 朱里の考えるポーズ……首が傾くクセにも余裕がない。

「わかりました。じゃあ櫻花さん、助けて! って言ったらすぐ踏み込んでくださいね!」

「『くまのちゅーやん』って叫んだら踏み込んであげる」

「なんでですかぁぁぁぁ!!!!」

「『助けて』なんて、ありきたりすぎるでしょ」

「そういう日本語だからしかたないんですっっ!!!」

「わかったわかった。早く行ってらっしゃい。まぁ、早期解決する方法なんて通用するわけないと思うけど」

「えええええええ!!!!!」

 ……なんだか、描いていてもかわいそうな朱里である。(筆者視点)

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