お忍び池の地鎮祭 下
「うごごごごごご」
と、カメに見えて実はエビは言った。
「なんていったんです?」
「わかるわけないじゃない」
朱里、櫻花が、泡を吐いているカメから、少しだけ後ずさって距離をとる。櫻花が周囲にいる者たちに避難指示を出せば、彼らはさらに離れて、二人と一匹の姿を見守った。
「うごごごごご」
「……ホントに神様宿ってるんですか……?」
「たぶん……」
確実なことはいえないが、可能性としては、櫻花がビスケットの前を通り過ぎた時そのビスケットがなくなっていたら、通り過ぎた時に食べた……という可能性と同じくらいの確率がある。
「たとえが微妙すぎてわかりません」
「九十九、五パーセント以上ってことよ!」
いまいち緊張感がないが、当のカメが微動だにせず「うごごご」としか言わないので、自然和やかな雰囲気が生まれてしまう。
とりあえず、埒が明かない。櫻花は袴が汚れるのも気にせずに池のほとりに膝をつけてかしこまった。
「池の神様でいらっしゃいますでしょうか」
「うごごごごごごご」
二メートルを越す大ガメは櫻花の話を聞いているのかいないのか、少なくとも興味なさげに空を見上げている。
三つ指を立て、平伏する櫻花と、初めから平伏した姿をしたカメに見えて実はエビ。……これで本当にただのカメだったら、ものすごい滑稽な図だ。
しかし櫻花は構わず続けた。
「このたびはあたしの未熟で多大なるご迷惑をおかけいたしました」
「うごごごご」
「つきましては、一度昇神の儀を執り行い、しかる後にもう一度降神の儀を執り行う旨ご了承仕りたき所存にございます」
「うごご……」
「うごご、じゃわかりません」
「……」
静寂。
かしこまったままの櫻花。それを心配そうに見つめる朱里。
次第に白けていく周囲の空気。
……馬鹿馬鹿しい。
オカルトに隙が見つかってしまった時、大部分の人間はそういう感情に支配されるものだ。
つまり、櫻花が次第にインチキ臭く見えてくるというわけだ。
市長の声が彼女の背中に後ろ指を差す。
「こんなものか……」
小娘が……という含みをありありと持たせ、軽侮のため息をついた。
呼応するようにゆっくりと立ち上がる櫻花。フワリとやわらかく振り返ると、
「力及ばずに申し訳ございません。正真正銘ただのカメですので、お確かめいただいてよろしいですか?」
「必要はないだろう」
外来種の駆除は担当職員にやらせる、と言い、きびすを返す。櫻花はその背中に声をかけた。
「あら、市長さんはカメが怖いのですか?」
「なにをいうか」
「この池は天保の時代からお清めが行われています。その間、神がお帰りになられたことを地域の代表様が確かめなかったことは基本的にはありません。ところが……」
あなたは今年市長になられたばかりなのでご存じないと思いますが……と一度断り、
「昭和の時代、一度だけそれを拒否した代表様がいらっしゃいました。その方がどうなったか……聞きたいですか?」
「……」
振り向かず、歩き出す市長。その姿を、櫻花はあざ笑う。
「まぁ……聞かないほうが、いいのかも……しれませんね」
ねっとりと、絡みつくようなその言葉……。市長はしばらく歩き続けたが、その呪縛に足を取られていくかのように歩調が弱まる。
やがてくるりと振り返ると櫻花の前に戻ってきた。
「カメを確かめればいいのか?」
「はい。そちらへどうぞ。カメの目を見て、神様を感じなければ、それで結構です」
「ふん……」
大股でカメに近づく市長。その裏で、水干をずらして懐に手を入れた櫻花が、ハリセンを取り出した。そして市長の前に躍り出で、カメに向かって振り下ろす。すると!
カメに見えて実はエビはまるで、ジェットがついたかのように市長に向かって飛び出したのである。
「うぎゃぁぁぁぁぁ!!!!」
衝突したカメにそのまま押し倒されてのしかかられる市長の悲鳴。しかしカメは構わず、くるりと振り返ると市長を下敷きにしたまま櫻花をにらみつけた。
「よう見破った。カメのふりをしておれば気付かぬと思ったが」
「人間も、修行をすればこんなものです」
「せっかく身体を手に入れたのだ。少し遊ばせろ」
「そういう一時のご乱心を律するのが、あたしたちの役目にございます」
「このカメは言うておる。人間は勝手に連れ去り、勝手に育て、勝手に捨て、勝手に殺すと……驕る人間に仕返しがしたいと……」
「それを指示しているのは、すべて池神様の下にいる男でございます」
「な! なにを!!」
市長はバタバタともがくが、カメに見えて実はエビが思った以上に重く、払いのけることができない。
「削ぐでも食らうでも好きになさいませ」
「ひぃぃぃぃ!! やめろ!! やめさせろ!!」
悲鳴を上げる市長に、冷ややかな目を送る櫻花。先ほどの彼の見下した態度に対する彼女の仕返しなのだろうが、その執念深さに気づいたところでもう遅かった。
結局、悲鳴を上げながら泡を吹いて失神する市長を尻目に、櫻花はカメに視線を戻す。
「しかし、それを終えたら元の場所に戻っていただきます」
「驕るなよ、人間」
「その力がないとお思いなら、お試し遊ばせあれ」
実際、神を凌駕する力は櫻花にはない。が、カメに憑依している状態では、神もその力は出し切れない。
にらみ合いが続く中、櫻花は朱里を呼んだ。
駆けてきた彼女に、櫻花は懐に手を入れ札を数枚取り出し、おもむろに朱里の胸に差し込んで、つぶやく。
「八掛けして」
「八掛け?」
「この池の外周にぐるっとお札を置いてくれればいいから。あたしはその間、池神様を食い止める」
「は、はい!」
が、その法術を、このカメに見えて実はエビというカメに憑依したカミも知っていた。
「八掛けか!」
叫ぶと同時に、カメの体が舞い上がった。
まるで打ち出された砲弾のように、巨体とは思えない速度で踏み込みを行い、朱里の背中を脅かす。
が、それを目で追いかける櫻花が、懐から三メートルを超える長さの注連縄を引っ張り出した。
ヘビのように波打ちながら飛び出す注連縄が櫻花の腕の中で踊り、カメに向かって伸びる。
「ぬぅ!?」
その速度が、カメの踏み込みを凌駕した。首元まで追いついた縄が分銅がついているかのように折れ曲がり、やがてぐるぐると絡みつく。
「お鎮まりくださいませ」
つまりは江戸時代の捕り物のように縄にがんじがらめになって地面に叩きつけられたカメだったが、しかし、その目に妖しい光が帯びる。
「この程度!!」
瞬間、周囲の空気が突如爆ぜた。
「きゃ!!」
弾ける縄。衝撃波が櫻花をも吹き飛ばし、彼女の身体が木の葉のように舞う。そして木の葉より重い彼女は放物線を描き、地面に叩きつけられた。
「おわぁ!!」
いや、叩きつけられなかった。
偶然、落下地点に象三がおり、彼を巻き込んだのだ。おかげで二人はもみ合いながら共に地面に転がって少し向こうの地面に止まる。
おかげで、櫻花に擦り傷以上の怪我はない。すぐに起き上がろうとしたが、そこでとんでもないことに気づいてしまった。
彼女は今、象三の胸に顔をうずめていたのである。
「あ……」
とろけてしまいそうだった。
くたびれた顎のライン、乾ききった首のしわ、骨ばった胸の感触、芳醇な香り漂う"華麗"臭。
どういう具合か、自分の左手と相手の右手が絡み合っている。
(ふわぁぁぁぁぁ……)
込みあがる魂の脈動に、心臓が圧迫されてしまうような苦しさを覚えもがく。なんとか息をしようと顔を上げた先に、彼の唇があった。
「大丈夫ですか!?」
その唇から発せられる、渋みがかった少々のかすれ声。彼女の指の股に絡んだ彼の指の感触……彼の体温が櫻花に伝って、もはや櫻花は身体を投げ打つしかない。
「(もう……好きにして……)」
「好きにして、じゃ、なぁぁぁぁぁい!!!!!」
そんな夢から叩き起こされるような、悲鳴じみた声が池の向こうから聞こえて我に返る。
「台詞にしてないとこツッコむなーーーーーーー!!!」
櫻花はがばっと顔を上げて朱里の声のしたほうに叫ぶが、視線の先に見えたのは、そんな平成少女に襲い掛かろうとしているカメの後姿であった。
「あぶない!!」
朱里も、櫻花の方を向いた時にカメに気づいたらしい。
「ひゃぁぁぁぁ!!!」
しかし彼女は何かできるわけでもなく、悲鳴を上げて腰を抜かしたようにへたり込んでしまう。
その上にカメがのしかかり、朱里は仰向けの格好のまま組み敷かれてしまった。
先ほど述べたがカメは二メートルを超える。重さも相当のものであり、胸にかかる圧力が彼女の肋骨を肺に押し込み、きしませた。
カメは彼女の右手に目を配す。札が四枚、握られている。
「八掛けが今の世にまで伝わっておるとはな……」
「く……ぅ……」
苦しい。思うように声が出ない。
「札を叩き折れ。そして神への非礼を詫びよ。さもないと……」
カメは体重の掛け方を変える。「ぅ……」と呻く朱里の目の前で、カメは生臭い声を上げた。
「さもないと、お前の上で卵を産むぞ」
「へ……?」
朱里、意外な言葉に一瞬苦しさを忘れる。
「それはそれは、大泣きしながら、卵を産むぞ」
ウミガメは月の夜に涙を流しながら卵を産むという。朱里の脳裏にそんな知識がよぎり、この巨大爬虫類に組み敷かれたまま、上から下からボトボトといろんなものが落とされる恐怖を感じた。
「ゃ……やめて……」
「ならば叩き折れ。言っておくが、このカメに見えて実はエビとやらの卵はすごいぞ」
「な……なにが……?」
「なんというか……すごい」
「なにがですかーーーー!!!」
苦しくても叫ばずにはいられない。なにがすごいというのだ。
「一度見たら、なんというか……ものすごいぞ。それを産み付けるというのだ!」
「やめてぇぇぇぇ!!!!!」
すごいのは臭いか?粘度か?……まさか寄生されたりするのか?
なににしても、すごいといわれて心地よいものが、一切想像できない。
バタバタともがく朱里。しかし、まるで漬物石のようにびくともしない。
「あ……でそう……」
「やーーーめーーーーてーーーーー!!!!」
必死の形相を浮かべる少女に構わず、カメは尾の付け根から破水した。
「おふ、特にすごいのが出そうだ」
「いやだぁぁぁぁ!!!!!!」
じわじわと濡れていく朱里の袴。それが生暖かくて、とにかく気持ち悪い。
まるで、その温度を通して直に肌に触れられているような感覚にすら襲われる。そのまま体内にまで染み込んで卵を産み落とされたらと思うと、気が気ではいられない。
ほとんど狂ったように身体をばたつかせ、カメに見えて実はエビに抵抗する朱里。しかし、すでにその緑色の体温は完全に袴に浸透していた。
しかしその時だった。
「はい、そこまで」
現れる櫻花。上下に重なった朱里とカメを見下ろしている。
「池神様。八掛けにて、お帰りいただきます」
「む!?」
カメは一瞬の驚愕の後、笑った。
できるわけがない。そもそも札は組み敷いた方の娘の手にあるのだから。
「小娘。八掛けの理を知らんな?」
「いいえ、存じております」
「馬鹿な。札はまだ半分、この娘の手の内にあるわ」
「ありますね」
「おのれ、神をおちょくっておるのか!?」
「確かに八掛け札の半分は、その巫女が所持しておりますが、御覧下さりませ」
櫻花は、大きく左手を振って、池の周りを見るよう促した。その手を追ったカメに見えて実はエビに憑依した神。目が、凍りつく。
ぐるりと池を取り囲んで、八角形の配置がなされた札が見えたのだ。
「八掛け札が一セットしかないとは、一言も申してはおりませぬ」
「なんとぉぉぉぉぉぉ!!!?」
「お帰りくださいませ。池神様」
櫻花は両手で複雑な印を結び、先ほど詠った祝詞のような深く、重い声をあげた。
「高天原天津神八掛けにて祓い賜う! 八掛けの儀、執り行いて御座候!」
瞬間、池を取り囲む八掛け札が光を放つ。その光同士が複雑に絡み合って巨大な光の網を作り出し、そのまま竜巻のように吹き上がって空の雲を突き抜けた。
カメの身体が弾かれたように上空に跳ね上がる。それはきりもみしながら、やがて池の中央に落ちて巨大な水柱を立てた。
後に残るは、夢のような瞬間を見た見物人たちの、キツネにつままれたような表情のみである。
「ごめんねぇ~~朱里。遅くなったよ~~」
仰向けのまま、半ば放心状態の朱里に、櫻花が両手を合わせて謝っている。
「いやね、ホントはもっと全然早く八掛け陣は作れたはずだったんだけどさ……佐久間さんが下にいたもんだからつい……しばらく堪能しちゃった。てへぺろ☆」
すぐに動き出すには、目の前に誘惑が多すぎた。意味がわかり、我に返る朱里。地面に張り付いていた上半身だけ何とか起こすと、とりあえず叫んだ。
「わたしが絶望のどん底にいた時、あなたはまぐわってたんですかぁぁぁ!!!!」
「うわ、下品。ただちょっと身体を保養してただけよ」
思い出すだに恍惚の表情を浮かべる櫻花。
「佐久間さんの口から漏れる正露丸の香り……お腹壊してたのかな。もうね、萌えまくりよ! きゅんきゅんよ! きゅんきゅん!!」
「きゅんきゅん、じゃ、なぁぁぁぁい!!!」
萌えには共感が必要らしい。が、そんな萌え、誰がわかってくれるというのだ。
「いやでもね、実際あれくらい人生達観してる年齢……いいと思うのよ」
櫻花が朱里の状況に構わず、その利点に指を折り始めた。
「まず、浮気の心配がほぼない。ほとんどケンカもない。医療費も安い。年金ももらえるから、タカられない」
「めちゃめちゃ怒られる幻想だと思います」
それより……と、朱里は言った。
「櫻花さんはまだ、ただのジジコンが失笑を買うだけだからいいです。わたしなんて出てくるたびにかわいそうです!!」
「あたしは失笑なんて買ってないわよ!」
「感想とかで多数決とってみてもいいです!!」
「間違いなく得票数0で、心が折れる提案はやめなさい」
「とにかく、わたしとか、すっごいやられ損な気がする!!」
だいたい、カメに馬乗りにされて体液まみれにされるシュチュエーションなんて、どの辺のヒトが萌えるというのだ。
「やられ損ねぇ……」
対して、櫻花がつぶやいた。
「まぁ……人生なんてそんなものじゃない?」
そしていきなり人生を語りだす。
「物語のキャラクターだってそうじゃない。殴られたり殺されたり……作者のペンの動き一つでまるでモノだよね。どんなに頑張ったって報われやしない」
「キャラクターと一緒にしないでください!」
「同じじゃない? さっきのアホ市長の態度見たでしょ? あたしが生まれてこの方ずっと神にこの身を奉げて修行してきた努力に気づきもしないで、インチキみたいな目で見るわけじゃん」
よほど癪に障ったのだろう。
ちなみに先ほど、"神の確認をしなかった代表が酷い目にあった"ようなことを言っていたが、実際は酷い目にあった代表などいない。ただひたすらに現市長の気を引くためにでっちあげたものだった。
まぁ、人生を賭けてきたものを鼻で笑われたら誰でも腹が立つことは間違いない。
しかしその上で、櫻花は知っている。
「自分の努力に気づいてもらえるなんてコトはほとんどないのよ」
「……」
「だから、人生なんてほとんどがやり損、やられ損なの。でもそれが人生なのよ」
「……はい……」
「人は、この世に徳を積む修行のために生を受けているの。人に認められるためじゃない。自分がかわいそうだと思う瞬間こそ、魂の磨き時なんだから、報われなくても、明日を見ようね」
「はい……」
「それでも困った時は、あたしが力になってあげるから」
「はい!」
「だから今回のも報酬はなしね」
「はい!!……え!?」
勢いで返事をして、思考がついてきて目玉が飛び出る朱里。
「どういうことですかぁぁ!!」
「今の話を聞いてなかったの!? 人生はほとんどがやられ損なのよ!!!」
「えええええーーーーーー!?」
「そしてこの話の一番のテーマは、アンタのかわいそう萌えなのよ!!!!!」
「絶対絶対、なにか萌えを勘違いしてると思いますーーーー!!」」
絶叫するしかない朱里の背中にもえる、皐月晴れ。
萌えを知らない作者から生まれたバイト巫女、朱里の苦難はまだまだ続きそうだ。




