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お忍び池の地鎮祭 上

 皐月の風に揺られて芽吹く若葉が、公園に注がれる木漏れ日を受けて輝いている。

 ゴールデンウィーク中はこの公園が祭りで華やぐ。丘一つ敷地になっている広い敷地に行楽客が集まり、出店からいい匂いがして、賑やかな雰囲気だ。

 しかしひとまずその浮かれた景色とは一線を画して歩く神楽神社の二人。今日は仕事で来ている。朱里の手には手水ちょうず桶が握られていた。

 とはいえ、ほっこりと暖かい五月の太陽と、風に乗って運ばれてくる春の息吹。現在は車も借りることができないせいで、どこにも行くことのできない朱里にとって、この風景は胸の透くような清涼感がある。

 隣を歩く櫻花も気持ちは同じだが、その"春の息吹"が鼻腔を刺激して、くしゃみがとまらない。

「絶対スギ花粉じゃないんだよね」

 スギ全盛といわれる三月ごろにはまるで症状が出ないのに、桜が散る頃になると、急に見えない悪魔にとり憑かれてしまう。彼女は袂からポケットティッシュを取り出し鼻に手をやりつつ、言った。

「この行事があたしにとって一番辛い……」

 ……そんな彼女の格好は、袴に水干、頭には立烏帽子、手には大幣おおぬさに玉串と、普段から見れば仰々しい姿である。

「なにをするんですか?」

 隣を歩く朱里は、いつもの巫女装束だ。ここが神職を兼ねている櫻花と、ただの見習い巫女である朱里との一線であった。

「地鎮祭ってわかる?」

「漢字は、地を、鎮める、祭りって書くんですか?」

「そうだね」

「じゃあ地を鎮めるお祭りです」

「……マンマダネ」

 まんまだね……としか言いようのないまんまさに、櫻花は半ば唖然とした。

「本来は、土地に新しい建物を建てる際に、その土地の神様にご挨拶するためのものなんだけど、今回はね……」

 櫻花は向こう側、この公園は大きいので見えてはいないが、とにかく中心の方を指差した。

「ここに、太古に神様が溺れたって言われている池があるのよ。あたしが毎年その池をお清めしてるってわけ」

 地鎮祭ではないのだが、代々行われてきた式次第が地鎮祭に似ているために、櫻花は「お忍び池の地鎮祭」と、小さな頃から呼んでいた。

「いろんな事をしてるんですね」

「そうよ。もっと尊敬してね」

「アルバイト代くれたら尊敬します」

「あたしはそんな、尊敬をお金で買うようなことなんてできないわ」

「へ……?」

 櫻花を見れば、相変わらず笑顔がまぶしい。

「いい? 朱里。人の徳というものは、お金なんていう価値観でどうこうできるもんじゃないの。日々善を尽くして積み重ねて、初めて備わる要素なのよ」

「は……はい」

 彼女が自然の理を説明するたび、朱里は圧倒される。

「……だから、お金を通さなければ尊敬ができないなら、まだまだあたしの精進が足りないってこと」

「まってまってまってまって」

 でも、その上で、いつもこんなパターンに丸め込まれている気がする朱里が反論した。

「尊敬とアルバイト代は話が別じゃないですか……?」

「そうよね?」

「はい」

「だから、アルバイト代くれたら尊敬するっていう話はおかしいよね?」

「あぁ……確かに……」

 釈然としないまま、首をかしげている朱里。そもそもなんの話をしていたんだったか……。

「まぁ、今回は市から報酬が出るからね。アンタにも出すよ」

「わ、ホントですか!?」

 そんなのにつられて、今までの話はすべて吹き飛んでしまう朱里の目が輝いた。

「ほら、朱里、あの池だよ。準備手伝って」

「はい!」


 池は直径が三十メートルほどの、結構大型なものだ。

 景観を損ねるのを承知でフェンスがぐるりと張り巡らされており、おかげで中は、決して踏み荒らされることのない、野草の天国になっている。

「しかし最近は池に外来種のカメなどをこっそり捨てていく人も多くて困っております」

 池の管理者である佐久間 象三ぞうさんは新任で、担当になったのは今年度。つまりほんの一ヶ月前のことらしい。

 <カメ捨てないで>のチラシを片手に、祭礼の内容とは関係ない話を、準備中の朱里と櫻花を追いかけながら延々している。

 その講釈がひと段落してようやく離れた時、櫻花が朱里の裾を、ついついと引いた。

「ねえ」

「はい」

「さっきの人さぁ、ずっと話しかけてきてたじゃん」

「はい」

 うっとうしかったですよね、という含みを持たせて相槌を打つ朱里。

 ……が、櫻花の反応は違っていた。

 少しだけはにかんで、柄にもなくもじもじしはじめる。

「あれってあたしに気があるのかな……」

「はぁ!?」

 つい、大声を上げてしまい、池の外の視線を感じて慌てるが、櫻花は構わない。

「なんていうか、佐久間さんって結構あたしの中でストライクなんだけど」

「もぅ……」

 朱里がため息を一つ。

 櫻花の悪い病気だ。彦星にフラれて以降、自分の好みの老人を見つけるたびにこうなる。朱里は諭すように言った。

「ぜったい、あっちは球を投げてもいないと思います」

「えーー、剛速球じゃん」

「そんなの投げたら腰が折れると思います」

「そこまで歳じゃないと思う」

「少なくとも年金はもらってます!」

 ついでに、医療費も一割負担となっている年齢だろう。

「ぜったい妻子もいます!!」

 というか、すでに死に別れているかもしれない。

「櫻花さんはもうちょっと現実を見つめてください!」

「いやぁ……あの少しかすれた声とか、萌える」

「……」

 ひょっとして今回の萌えのテーマはジジイ萌えを目指すつもりなんだろうか。

 確かに声はよい。三味線持って浪曲か何かを謡わせたら聴き惚れるかもしれない。容姿も、ビートルズが流行っていたころくらいまで時を戻せば、あるいはいい男だったかもしれない。

 しかしなににしても「恋をする」というより、「鯉の相手をする」方がしかるべき年齢である。

「ね、櫻花さん。せめて一緒に遊園地でジェットコースター乗れる人にしてください」

「わかった。あの人がジェットコースター乗れればいいんだよね!?」

「いえ、違くて……」

 会話の後も、道行く人々にチラシを配る少し猫背の老人に、しきりに目をやる櫻花がいる。

膝を上げずにベタベタ歩くせいで、少し起伏のある場所でつまづきかけているのが、何度か見受けられた。

「……きゅん……」

「きゅん……じゃ、なぁぁぁぁい!!!!」

 朱里は以後、櫻花の襟足を引っ張るようにして祭礼の準備を進めることになる。


 『お忍び池の地鎮祭』は、正午過ぎに始まった。

 市長を初めとする公園管理者、多くは市の職員が並び、目の前に広がる池を神籬ひもろぎとして、深く頭を下げる。

 その中心で大幣おおぬさを掲げて修祓しゅばつを行う櫻花の声。


 ~~ 高天原天津祝詞の太祝詞。持ち可かん呑んで祓い賜い清め賜う ~~


 ただひたすらに、腹から発せられる響きであるはずなのに、まるでその腹が宇宙であるかのように、計り知れない空気の震えとなって、辺りの草木を揺らしている。立礼りゅうれいをもって畏まっている朱里も、その圧倒的な雰囲気に身震いがした。

 生まれてからわき目も振らずに神道を歩んできた櫻花である。彼女が神事を行うたびに、朱里は住む世界の差を感じ、巫女袴を身につけていることすら恥ずかしくなってしまう。いつもの、気さくで天真爛漫で金にせこい(かなりせこい)櫻花を知っているだけに、彼女が本気を出した時のギャップがなおさら畏敬を誘った。


 祭礼はまず邪を祓い、神を呼び、供え物した後に祝詞を朗々と唱えて、参加者の心を神に献上し、神の御心を鎮めていただく……という流れに沿っている。

 その、つつがなく行われていた式が突如引き裂かれたようになったのは、その内、玉串奉奠たまぐしほうてんというプロセスの時であった。

 玉串という、榊の枝に紙垂しでを下げた神具の一つであり、人はそれに己の魂を預けて、神に奉納する。

 具体的には神の代行となっている櫻花が、管理担当者である象三に、玉串を授け、象三がそれを池神に奉奠(奉げる)という手順である。

 これには厳然たる作法があり、最大の集中を持って、すべての煩悩を消し去り、しめやかに行わなければならない。

 ……のだが、櫻花にとって、相手が麗しの君であることが災いした。そもそも心が騒がしい。しかも、玉串受け渡しの際、象三のプルプル震えて定まらない右手がつい……櫻花の指に触れてしまったのだ。

「ハッ……」

 その手に、電撃が走ったようになる櫻花。

 なにせ恋愛経験ゼロの櫻花である。指の先はたくさんの神経が通っているというが、その接触は、指の先に集まる数え切れない神経すべてに未知のトキメキを与え、腕を通って脳に達した。

「あ、すみません」

 象三は謝ったが、それで、櫻花は、我に返ってしまった。

「だってストライクの殿方に手を握られたんだよ!? しかたないでしょ!!」

 ……のちに彼女はそう弁解して、「握ってはいませんでした」と朱里に諭されてしまうわけだが、とにかく瞬間湯沸かし器の如く櫻花の心臓は大きく膨らみ、温かい血液が彼女の頬を赤く染めて、容量一杯に心を満してしまった。

 おかげで櫻花の身体を借りていた神は行き場をなくした。他の参加者の目にはつむじ風が巻いて池を揺らしたようにしか見えなかったが、櫻花は「やばい!」と叫びかけたほど動揺する。

 神を自分の身体から追い出してしまったのだ。

 反射的に象三から一歩身体を引いた。この事態はさすがに恋などとは言っていられない。

考えられる中で、最悪の大失態だった。

 池の方を見る。つられて、すべての目がそちらにいくと、その先でごぽごぽと湧き上がる何か。やがて水面がぐっと隆起し、何物かが飛び出してくる!

「みんな!! 下がって!!」

 櫻花は温泉が湧いたかのように空へと噴き上がる池の水の中から、緑色の平たい何かが落ちてきたのを見た。

 大きい。昭和生まれの櫻花には、それが一瞬、大怪獣『ガメラ』に見えた。

 そう、つまりその様相は、

「カメ!?」

 カメだった。このような大型のカメが、公共の場である公園に生息しているのも驚きだが、後ろから飛んできた象三の言葉に、場はなお混乱する。

「それは外来種ですよ!」

「外来種?」

 象三はさすが池の管理担当者だ。よく調べているらしい。皆の視線を集める中、彼は震える指でカメを指差した。

「飼い主が飼えなくなって捨てていくんです。大きな種ですから池の生態系を壊してしまいます」

 そりゃ捨てるだろう。説得力十分の巨体だ。あんなのを一般家庭で飼えるのは、地主か悪徳政治家か、大物芸能人か、ビルゲイツくらいだ。

 ……しかし、本当の驚愕は、次の言葉にあった。

「それは、カメに見えて実はエビです!!」

 ………………

 …………

「うそだぁぁぁ!!!!!!!」

 一同、総立ちでツッコミが来る。

 どう見たってカメだ。硬い甲羅と鱗に覆われた顔。その手爪が鋭く、ウミガメのようなヒレではないが、全国あまねくどこの生物学者を連れてきたって「これはカメだ」と認定するだろう。エビだというなら外来種というか、地球外生物だ。

 しかし、そこで市長が叫んだ。

「確かにシロアリはアリといわれながらアリではない! だからカメに見えるがカメではないカメもいるんだ!」

「ぉぉ……」

 その弁護には確かに説得力がある。場にいる者も一様にうなずいたが、しかし、真実はそんな知ったかぶりをさらに凌駕するものだった。

「いえ、カメはカメなんです」

「へ?」

 再び象三に集まる周囲の目。象三、齢七十六までの人生でここまで注目されたことがない。ややはにかみながら、まるで伝説の預言者の如く大声で言い切った。

「あれは、『カメに見えて実はエビ』という種類の、カメなんです!!!」

 ………………

 …………

「なにぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!」


 新種は発見者が名前をつけていいのは、どの世界も共通だ。

 『カメに見えて実はエビ』の発見者がどういう意図を持ってそのような名前をそのカメに授けたかは知らないが、なんだかカメにとってもエビにとっても迷惑な話だ。

 カメに見えて実はエビを背に、職員たちに講釈する象三。

「名前が面白いからといって飼おうとする日本人が持ちきれなくて、どんどんいろんな場所に捨てているのです!」

 幼生は三センチくらいだとか、結構カワイイだとか、かなりどうでもいいウンチクを並べ続ける象三だったが、そこにようやく、

「あの……いいですか……?」

 櫻花が申し訳なさそうに話に割って入った。

「カメでもエビでもいいんです」

「いいえ! カメです!!」

「はい、カメです。象三さんがいうならあたし、あれがトラって言っても信じますけど

……」

 しかし、いまはそれどころではない。

「ちょっと静かにしてもらってもいいですか? 今、あのカメには神様が宿っちゃってます」

 ………………

 …………

「えええええええ!!!!!!!」

 場は騒然。

「じゃあカメに見えて実はエビの神様ですね!!」

 象三が言えば、市長が反論した。

「いや、それをいうならカミツキガメ(神憑き亀)だろう!?」

「だめです! カミツキガメ(噛み付き亀)なら、すでに登録されています!」

 ……めまいがしそうな会話が止まらない。

「いやあの……別に名前はどうでもいいんですけど……」

 しどろもどろになっている櫻花。憧れの男性?を前に、いいたいことが言えないのだろう。

 市長が象三、櫻花を順に見て言った。

「とにかく、カメかカミかハッキリしてもらいたい!」

「カメです!!」

「カミです!!!!」

「あのーぅ……それどころじゃないと思います……」

 櫻花の裾を申し訳なさそうに引っ張る朱里の脇で、カメに見えて実はエビがようやく動き出そうとしている。


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