祈願祭、助手アルバイト、……20万!? 下
翌日も晴れていて、神楽神社は桜色の化粧が今日も美しい。
ちなみに花見客に境内を開放しないのが櫻花の方針のようで、レジャーシートも見当たらなければ夜桜を見上げるように照らすライトもない。散らかす花見客や喧騒を知らない桜の並木は、無垢な美しさを醸していた。
今、その桜の風景に立っている男は、そのようなさわやかさとはおおよそ無縁そうな、怖いというか、なんとなく気味の悪い男だ。
骨ばった馬面。四角い眼鏡の奥がサングラスであるかのようによく見えず、何を考えているのかわからない。顔が縦に長いだけに口をあけると大きそうで、噛み付かれたら首を切断しても離れそうにない、魁偉な人相をしている。
櫻花は隣の朱里を指し示して正面にいるその男に紹介した。
「今回の助手を務める朱里です。至らない点もあると思いますがよろしくお願いいたします」
「ム」
モアイ像のようにたたずんだままだった男が、ぜんまいで動いているかのようにギリギリとゆっくり朱里の方を見る。
「皐月神社の祖師谷泰三さんよ。挨拶して」
「あ……ごめんなさい。朱里です。よろしくお願いいたします」
その異様な雰囲気に圧倒され、しばらく声も出さなかった朱里だが、ふと我に返ったようにぺこりと頭を下げた。
「ム、かわいいね」
「うちの秘蔵っ子ですから」
微笑む櫻花。泰三は相変わらずカラクリ人形のようなぎこちなさで朱里に握手を求め、言った。
「心配、いらないよ。僕には、妻子が、いるからね……」
「は、はぃ……」
何の心配だろう。……考える間もなく、櫻花は神社の外へと歩き出した。
「車までお見送りいたしますね。一応朱里も運転できますけど、どうされます?」
「僕が、運転、するよ」
「はい、そのほうがいい気もします」
朱里は運転が荒いから……と笑えば、泰三も不気味に愛想笑いをした。
「僕が、運転した方が、かわいい子を、さらってる感じがして、興奮、するしね」
「へ?」
「冗談、だよ」
……冗談を言うようには見えない大柄の馬面に、朱里はやや身をこわばらせた。
その時、宮司の懐から着信音が鳴って、彼の注意が別に逸れる。
「あ、ちょっと、待ってて。先に、車で、待ってて、いいよ」
それで、一度彼女たちは解放された。
「櫻花さぁぁぁん……」
神社では珍しい、朱里の私服姿である。肩がリボンになっている、Vネックが大きめのワンピースで、ベビーピンクのインナーにスカートのアイスブルーが春の淡さを凝縮しているかのようだ。少し童顔の朱里には似合いすぎて、値踏みをするように瞳を動かした櫻花は朱里が何か言うより先につぶやいた。
「やっちゃったね朱里」
「え?」
「……アンタ、全身にハチミツ塗りたくってクモの巣に飛び込むようなもんだよ」
「だってぇ……」
お出かけとあらばおしゃれしてしまうのは若い女子の性だろう。
「あの人、やばい人ですか……?」
「うん」
なんというか、祖師谷という男は容姿や言動はもとより、その雰囲気が底知れず不気味なのだ。
「あの人の助手に、一泊二十万つく理由が分かったでしょ?」
「早く言ってくださいよぉぉ……」
「アンタねえ、何の理由もなしにそんな額がつくって思ってる方が甘いわよ」
まぁ、その通り。
「皐月神社の宮司っていったら相当権威ある人なんだけどね。不気味すぎてなかなか神職仲間でも溶け込めなくて」
だから、前日になっても助手の巫女が決まらなかった。
「あの人のこと、全部聞いたら仕事請けた?」
「……たぶん怖くなったと思います」
「ホラ、大成功」
「はめられたーーーーーーー!!!」
最近、櫻花のウィンクが、朱里には怖くてたまらない。
「まぁ、怖いっていっても帰ってこなかった巫女は一人もいないから大丈夫。GOOD YEAR!」
「それをいうならGOOD LUCK! ですーーー!!!」
朱里の声が 空しく響く 光のどけき 春の日に……。
名古屋へ向かう車は程なく高速道路に乗った。
その間、二人は無言でフロントガラスの向こうを見つめている。特に朱里は、まるで護送車に載せられた犯罪者のような思いつめた表情を浮かべている。
しかもこの男、よく分からないことに高速に乗る前に立ち寄ったコンビニでおもむろにコンドームを買っている。レジに二人で並んだ時の店員の視線が、朱里には痛かった。
そして車内はまだ無言。
カーステレオからは、世代が違うことが証明される、聞いたこともない歌がずっと流れている。
~~ 愛しさが止まらない 美しい君がまぶしすぎて ~~
「知らない、ね? こんな歌は……」
泰三がポツリと声を上げ、ほんの一瞬の間を経て朱里がそれに気づき泡を食った。
「あ、はい! ちょっと知らない歌です!」
「だろうね。僕がまだ、君の歳くらいに、発売された歌、だからね」
どれくらい前なのだろう。彼の歳が分からないので連想できないが、朱里には彼の話題に対して話を掘り下げる勇気がない。
「美しい君に、ぴったりの歌、だよ」
「……ありがとうございます」
……そしてまた車内の会話は途切れ、歌のみとなった。
~~ 君を僕は愛したんだ。だからいいよね 食べてしまっても、君のすべて
たとえ出来心だとしても……ただ隣に座る君があまりにおいしそうで…… 僕はもはや腹をすかせた狼さ ~~
「(な……なにこの歌……)」
恋の歌というのはやや誇張表現とストーカーじみた歌詞が含まれることはあるから、こういう歌もあるのだろう。が、隣に座る男を感じながら聴くこの歌詞は別の意味で重い。
~~ 今日こそ逃がさない。たとえ犯罪者になっても もう僕は君を離さない 君を食べつくすなら僕はどんなことでもするよ。それくらい君は愛しくかわいい小鳥だから…… ~~
「ウム」
泰三はうなずく。
「聞けば聞くほど、二人に、ぴったりの歌、だね」
「誰と誰の二人ですかぁぁーーーーーー!!!」
……と、櫻花の前では大きな声も出せようものだが、見ず知らずの宮司の前で、朱里はただ「は、はぁ……」と小さくなるばかりだ。
相変わらず静かな車内。泰三はふと、口を開いた。
「妻子のいる僕が、君と二人きりで名古屋!!」
なぜか大声。そしてしばしの静寂……。そして、泰三は言った。
「不倫旅行だね。これはまるで」
「アハハハ」
朱里の笑いはカラッカラに乾いている。ひょっとしたら冗談を言って場を和まそうとしてくれているのかもしれないが、笑えないので頼むから黙っててほしい。
「不倫……しようかな……」
発言一つ一つが怖い。
「アハ……ハ……。祖師谷さんも冗談とか言うんですね」
「僕は、結構、冗談、するんだよ」
「……」
……せめて笑える冗談にしてほしい。
すがる思いで愛想笑いを続ける朱里。それは彼女の社交性なのか二十万のためなのか……はたまは眠れる獅子?を起こさないようにするためなのか分からないが、必死に笑っていることは間違いなかった。
その矢先に運転席に発生する重低音。
「あ、失礼」
数秒の間を置いて朱里まで到達する泰三の体内の臭い。彼はまた、ポツリと口を開いた。
「今、臭った?」
「え……あ、いえ……大丈夫でうs」
朱里のうろたえが言葉に出ると、泰三はニコリともせずに、
「臭いって、小さな粒子の、集まり、なんだよ。君に届いたなら、僕の腸が作った粒子が、君の肺に届いたって、事でうれしかった、んだけど、残念だね」
(もう助けて……)
一日二十万の仕事の恐ろしさを、今さらながらに噛み締める朱里であった。
肉食獣の檻に入れられたウサギのような心持ちの朱里。カーステレオからはなぜか朱里もよく知る『グルーングルーン』という童謡が流れてきている。
~~ あの時僕は言ったね 君を腕に抱き きつくヤバい時こそ 逃げちゃいけない と ~~
(逃げたい……)
この世にもし願いをかなえてくれる二十二世紀猫型ロボットがいるのなら、明後日までタイムワープさせてほしい……。
思いつつ、すぐさま気を取り直す。
……それで骨の髄までしゃぶられてたら、えらいことだ……。
とにかく自分の身は自分で守らなければならない。逃げてしまった方がいいのだろうか。
とはいえ、ここは高速道路の真っ只中だ。ジェームスボンドじゃあるまいし、時速百キロの中を車外脱出する勇気も能力もありはしない。そもそも気持ち悪いという理由だけで仕事を投げ出すわけには行かなかった。
実際はホテルにつけば、自室の部屋の鍵を徹底的に閉めておけば間違いないだろう。
大丈夫、大丈夫……。
……葛藤にひっくり返りまくってる朱里の脳みそに直通している耳に、その時また彼の声が聞こえてきた。
「そういえば、経費を、節約するために、ホテルは、一室しか、取ってないから」
「へ!?」
声が、脳天から飛び出す。
「一室!?」
「うむ」
男と女が一室!?それも、この男と!?
「えと、えと! それは、わたしがこの車で寝るってことですか?」
「いやいや、ダブルで取ってあるから、大丈夫」
「大丈夫じゃ、なぁぁぁぁい!!!!」
そう叫びたいが言い出だせない。怖い。
「でも……でも、でも……」
「心配、いらないよ」
「ぇぇ……」
生まれてこの方、これ以上に心配な「心配いらない」をもらったことがあるだろうか。
「夜は、僕が、この世に生きる喜びと、悲しみを、ゆっくり、教えてあげるから」
「グルーングルーンの歌詞怖いですーー!!」
「冗談、だよ」
「……」
もはや絶句するしかない。
その後、二人はするするとホテルまで着いてしまった。
逃げる余裕?……あったんだろうか。走り出せば逃げられるんだろうか。朱里は、そんなことを考えながら、今、ホテルのロビーにいる。
「あのーぅ……」
声を出すこともはばかられそうな静かなロビーで、やっと彼女はようやく一つ、嘘を思いつく。
「実はわたし、名古屋に友達がいて、今日今から会うことになってるんです」
「ム」
「遅くなっちゃうと思いますけど、気にせずにいてください。明日には絶対に間に合うように帰ってきます」
カプセルホテルかなにかなら今から、自分の財布の持ち金でも何とかなるだろう。
「いやいや、明日のために、ミーティング、するから、いなきゃ、ダメだよ」
「あべし……」
「友達は、残念だけど、仕事が、優先だよ」
いきなりもっともらしいことを言う宮司。しかしこの男と同室は、あまりに抵抗がある。
でもどうしたらいいのか……分からないまま、朱里はとうとう同じ部屋に押し込められてしまった。
「お茶、飲む?」
部屋は和室だ。畳張りの中央のテーブルで、急須と茶筅を手に取った泰三が手馴れた手つきで茶を淹れはじめた。
その所作には無駄がないだけでなく迫力があり、名匠が茶会の席でその技を披露しているかのようですさまじい。朱里は今日初めて、良い方の意味で息を呑んだ。
「どうぞ」
「あ……ありがとうございます」
テーブルの向こうにいる朱里がおずおずと湯呑を受ける。しかしこれを飲むには作法がいるように錯覚して、しばらく動くことができなかった。
「おかわりが、いるなら、言ってね」
「はい」
気が張っていたせいかやけに喉が渇いた。湯呑に口をつけた朱里は、その見事な湯加減に身体を潤しつつ、湯呑を再び彼の方へ追いやる。
「では、お願いします」
「うむ。今度は、睡眠薬を、入れないで、あげるからね」
「ええええーー!?」
「冗談、だよ」
「冗談はもういいですーーー!!」
本音の出る朱里。部屋がしばらく静寂に包まれ……。
……突如、馬面がバカッと口を開いた。
「じゃあ冗談はやめよう!!」
大声。
「ひゃ!!」
彼はおもむろに自分の持ってきたかばんを開けて中身を取り出していく。
蝋燭、ロープ、ガムテープ、変な棒、変な輪っか、変なクリップ……
朱里では説明がつきづらい、"変な"ものをつぎづぎと畳に放り出して、クワッっと立ち上がる。
「本題に入るよ朱里さん!!!」
「ひゃぁぁぁ!!!」
その迫力に腰を地面につけたままバタバタバタと後ずさる。
だが、彼は、シータを追うムスカの如く、悠然とそれを追った。
やっとのことで立ち上がり、出入り口に走る朱里。
「知っているかい? 祈願祭の時、僕は必ずこの部屋を使う。ホテル側もそれを了承している」
いきなり流暢に話し始め、朱里の恐怖をさらに煽る。
その圧迫感から何とか逃れようとし、酸素を求めるかの如く出入り口の扉のノブを回すが、なぜか外側から鍵がかかっている。ガチャガチャと音を立てるのみで、扉は沈黙するのみ。宮司の声がさらに近づく。
「この部屋は僕の裁量でしか出られないのだよ。毎年みんな、君のように必死にノブを回すがね」
「ちょっ!! 待ってください!!」
扉を背に、へばりつくようにして身体を押し付けて、必死に声で壁を作ろうとする朱里。
「大丈夫だよ。この世に生きる喜びと悲しみを味わうだけなのだから」
まさかとは思った。しかし、まさかとも思った。……実際にこのような立場のある男が、自分のことを女と認識して向かってくることなど、なんだかんだ言っても安穏と生きている彼女にとっては、現実的ではなかった。
しかし、その認識の甘さが、今の後悔となって身に突き刺さってくる。逃げ場のない獲物に伸びる、骨ばった腕……それがまるで、蜘蛛が生け贄を絡め取るように、彼女の腕を、そして背中を壊し、そして彼女の心を壊して、重なっていく。
彼女はすでに全身の体液を蝕まれてしまったかのように、力なく身体を投げ出して震えるのみだった。
「どう? おもしろい?」
「なんですかぁぁ!!! この話ーーーー!!!」
ここは神楽神社。"先ほど"、朱里が「やっぱり小説は書けない」と言った時間の続きだ。朱里が原稿用紙の束をバンバン机に叩きつけて怒っている。
「だからぁ、アンタが小説書けないって言うから、あたしが代わりに書いたんだよ。これで二十万もらえるかもしれないのになにが不満なのよ……」
「もらえるわけ、なぁぁぁぁい!!!!」
とりあえず、櫻花は、彼女が『書けない』と言って、『しょうがない』と返した後、二時間で以降の文章を書ききった。朱里が今日の仕事を終えて帰りがけ、櫻花の下を訪れた時、彼女がテーブルの向こうで手招きをした……というわけだ。
「だいたい! この話は萌えが目標なんですよね!? どこもかしこも何も萌える要素がないじゃないですかぁぁぁ!!!」
確かに単なるセクハラ話だ。櫻花は笑った。
「まぁそうなんだけど、アンタがただかわいらしくなるシュチュエーションなんて、あたしがただただむかつくだけでしょ? だからやむを得ず、だよ」
「何も、やむを得て、なぁぁぁぁぁい!!!」
「いいじゃない。あたしも結構自虐ネタ盛り込んでるんだし」
確かに櫻花が書いたにしてはところどころ、自分を貶めてる部分もある。
「というわけでこれで二十万をめざそ! 取れたらアンタにあげるから」
「別に、現実にいるわたしが主人公でなくてもいいじゃないですかぁ……」
「現実にいるアンタを追い込んで、その反応を見るのが、あたしは楽しくてしかたないのよ」
「いやぁぁぁぁ!!! もぉこんなアルバイト、いやぁぁぁ!!!!」
……春のピンクの桜が舞って、朱里の黄色い声が舞い散る神楽神社……。
気がつけば、すでに二度目の春が朱里の袴に花びらを落としていた。




