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祈願祭、助手アルバイト、……20万!? 上

「ハァ……」

 ピンクの雪降る神楽神社の花景色。寒さの和らいだ境内には柔らかい日差しと、桜色に薫る風が戯れて、静かな朝をほのかに彩っている。

 朱里の大学は春休みだ。巫女袴も板についてきて、境内の掃除をする様子一つとっても所作が美しい。

 しかしそんな彼女の表情は浮かなかった。

「どしたの? 色っぽい声出して。発情期?」

「ちがいます!!」

 通りかかったのはいつもの櫻花だ。神楽神社の実質の管理者で、昭和生まれと自称する年齢不詳の女性である。ちなみに「さくら」というからには誕生日は今時期かと思いきや、実際は十月だというからよく分からない。

 分からないづくしの彼女の前で、朱里は言った。

「ちょっと困ってて……」

「どしたの水臭い。相談しなさいよ。あたしと朱里の仲じゃない」

「……ホントですか?」

「もちろん。いつも頑張ってくれてる朱里だもん。あたしでよければなんでも力になってあげる」

 優しく笑いかける櫻花。その笑顔には溢れるばかりの愛嬌があり、背景の桜と相まって、どこまでも奥深い包容力を感じる。

 こんな時、彼女になら何でも話せる気がしてしまう。

「実はお金がなくて……」

「はい、この話はおしまい」

「えええええええっ!?」

 ……本当は全然そうじゃないのに、いつも騙される。

 素っ頓狂な表情を浮かべている朱里の前で櫻花は大空を仰いで両手を広げてみせた。

「見なよ朱里。空はこんなに高くて、桜がこんなに華やいで、世界は澄み渡っているというのに、そんな現世の不浄にしがみついてどうするの」

朱里の頭をなでる櫻花。

「お金なんてなくたって世界は綺麗なのよ。あたしたちがこんな素敵な世界で暮らしていけることを八百万の神様たちに感謝しなきゃね」

「は……はい」

「さ、今日もお仕事がんばろー!」

「あの……でもちょっと待ってください」

 我に返る朱里。

「なによ。空がこんなに高くて桜がこんなに華やいでいるのに、まだ他に欲があるの?」

「空が高くて桜が華やいでいても、人はお金で困る時があるんです!」

「もぉぉ……デリカシーないなぁ。これだから平成世代は……」

「デリカシーでタイヤは買えないんです!」

「タイヤ?」

「はい、タイヤ」

「タイヤキとは違って?」

「タイヤです」

「タイヤって車とかの?」

「はい、コロコロしてるやつです」

 櫻花から思考が消える。

 朱里のような小動物系の娘が、しばらくタイヤと結びつかない。

「お兄ちゃんが、タイヤ買い換えないともうお前に車貸さないっていうんですよーー」

「なにそれ。けち臭い兄ちゃんねぇ。どんな事情?」

「はい……」


 ……それは、兄の一言から始まった。

「車が、このままじゃ車検に通らないんだけど」

 朱里の兄がわざわざ妹の朱里にそんな話を振ってきたのにはわけがある。

「車検通らない理由が、タイヤの溝がツルツルだからなんだけど」

「あ……そうなんだ……」

「半年前は新品のタイヤだったんだけど……」

「そうだよね? もう減っちゃったの?」

「絶対にお前の走り方のせいだと思うんだけど!」

「ええええーーー!! お兄ちゃんだって走ってるよね?」

「俺はお前みたいには走れないんだけど!!」

 というか、兄はビビリで、高性能のスポーツカーに乗っているわりには八十代のおばあちゃんかと思うような走りしかできない。だから実際はタイヤと地球にとても優しい運転しかできなかった。

 対して妹の朱里は公道レーサーも顔負けの運転技術と素質を持っている。


 ……そこでようやく、櫻花は彼女の運転で卒倒させられたことを思い出した。

「分かる気がするわ……」

 あんな運転をされたら、そりゃ半年でタイヤもなくなるだろう。乗ってる間中、タイヤのゴムが悲鳴を上げていた。

「でも、経済力のない妹に対して酷なこと言うね」

 朱里の経済力をなくしている張本人が言う。

 ……などとツッコむ作者に包丁が飛んできたところで、櫻花は「フン」と鼻を鳴らして続けた。

「わかった。あたしが肩代わりしてあげる」

「……え?」

「だって、いつも頑張ってる朱里だもん。たまにはね」

「ええーーーーーーー!?」

 思いもかけない言葉が飛び出して、朱里はめまいがした。

「さ……櫻花さんが……わたしにお金を……!!!!!!!!!!!?」

「ヤダ、びっくりマークが多すぎよ。まるであたしがアンタのことをこき使うだけ使って一銭も払ってないゴウツクババアみたいじゃん」

「ありがとうございます!! 今日からはそんなこと思わないで良い人認定します!!」

「……」

 朱里の正直な反応?に櫻花が一瞬言葉を失うが、必死に作り笑いをして続けた。

「最近チラシが入ってたよ、安いのは四本で九千八百円くらいだって」

「あの……でも、うちのは四本で十八万だそうなんですけど……」

「じゅっ……!?」

 顔色の変わる櫻花に、朱里はすまなそうな顔をする。

「はい、……高いですよね……?」

「だね。だからこの話はおしまい」

「ええええーーーーーーーー!!」

「だってふざけてるでしょ!!! なんで九千八百円だって言ってんのに十八万になるのよ!!」

「たぶん、その九千八百円っていうのは小さい車の小さいタイヤなんだと思います」

「そんな大きなタイヤつけるな!!」

「スポーツカーだからしかたないんだと思います……」

 実際全然値段が違う。使われてるゴムや繊維の量などそうそう変わらないだろうに、贅沢品だと思われているのか、阿呆のように金を取る。

 事情を知れば櫻花は大空を見上げ、大きく手を広げながら微笑んだ。

「見なよ朱里。空はこんなに高くて、桜はこんなに華やいで……これ以上春という季節になにを望むの?」

「は、はい」

「車なんてシロモノは所詮は百年程度の歴史のない新しいものよ。あたしたちにはこの空と桜の風景がある。……それでいいじゃない」

「でもわたし、車乗らせてくれなく……」

「人間には足があるのよ。足で走れる以上の速さなんて必要ない。だって、ゆっくり歩けばこんなに綺麗な風景にめぐり合えるんだよ? そう思わない?」

「……」

 やっぱりバイトしなきゃな……思い始める朱里であった。


 しかし。

 さすがの櫻花も任せろと豪語した手前、無責任を感じたらしい。掃除を終えて戻ってきた朱里に、彼女は声をかけた。

「ねぇ朱里、アンタって小説書けない?」

「え?」

「これ見てこれ」

 言いながら彼女が差し出したのはスマホだ。

「櫻花さん、スマホ持ってたんですね」

「馬鹿にしてるの? ちゃんと持ってるよ、先月から」

「あ……先月から……」

「必要ないと思ってたけど、いんたーねっとっていうのが意外に面白い」

「あ、はぃ……」

 昭和どころかたまに大正時代の匂いすら感じる櫻花のスマホを覗けば、そこには若い男性と女性のイラストが描かれた画像が貼ってあった。

「○○小説コンテスト。短編でOKなので気軽にご応募ください……」

「賞金を見て」

「二十万……」

「やったね! 朱里!」

「馬鹿ですかぁぁぁ!!!!!」

「え?」

「まずは小説が書けなきゃダメじゃないですかぁぁ!!」

「書けるでしょ?」

「書けませんよぉぉ!! わたし、絵も字も文章も歌も楽器も一つもダメなんですー!」

「そうなの? 天は二物を与えないね」

「え?」

「才能のすべてはその顔のよさに行ったってことでしょ?」

「褒められてないぃ……」

 本当に不器用なのだ。だから、この年になって兄が教えてくれた車と、ひょんなことから舞の才能があることに気づいたことを大事に思っている。彼女がタイヤを買おうとしているのも、なんだかんだで神楽神社に奉仕しているのもそういう理由からであった。

「でもほら、なんとか十八万かせがないとダメでしょ?」

「あのーぅ……」

 朱里、おそるおそる……。

「今までの巫女としてのお給料で……っていう発想は湧きませんか……?」

「いつもいつも簡単な方へ流れないの。いろんな逆境が立ちはだかった時に、自分を成長させることも考えなきゃ」

「は、はい……」

 なんとなく釈然としないが、言ってることはもっともな気もしなくもなくもなくもない。

しかしその上で、文章を書くには非常な困難を感じた。なにせ作文のあまりの出来の悪さに、中学の国語の先生に「内容は謎だけど大切なのは気持ちだから大丈夫よ」という、何のフォローにもなってない慰めをもらったことがあるくらいだ。

「やっぱりわたしに小説は無理だと思います……」

「じゃぁしょうがない」

 櫻花はスマホを引っ込め、懐に入れると、別のことを言った。

「一応ね、うちに来てる仕事で二十万になる仕事があるんだけど……朱里、やる?」

「え? なんですか? それ」

「巫女特有のアルバイトっていうか……とにかく一日で二十万になる」

「……すごい……」

「正確には一泊して二日目が一日仕事で二十万」

「どんな仕事ですか?」

「皐月神社の宮司が毎年この時期、名古屋に行くんだよ。それの助手」

「……」

 勢いの止まる朱里。

「どしたの?」

「わたしにできるんですか?」

「アンタなんだかんだであたしの助手やってるでしょ。やれないわけがない」

「助手ってそんなお金になるんですね……」

 まじまじと視線を送る朱里の意図を察した櫻花が慌てる。

「今回はちょっと特別なのよ! こき使うだけ使って一銭も払ってないゴウツクババアを見るような目で見るのはやめてよ」

「自覚があるんですね……」

「ないわよ!!」

 ぴしゃりと言い放った櫻花は「とにかく……」とまとめた。

「やる?」

「やります」

 朱里にとってはある意味で生命線を繋ぐ一件だ。一も二もなく飛びついた。

「じゃあ明日の十二時にここに拾いに来てもらうように言っとくね。一日目は車移動で、夜泊まって、次の日は朝から一日熱田神宮の祈願祭」

「わかりました」

 急な話だが、神社の行事といえば家も咎めまい。

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