嫁の実家 そういえば行ってなかったな
王都から帰ってきて、数日。
ある日の朝。
「ルー様」
「ん?」
朝食を終えたところで、マリアンヌが少し遠慮がちに声をかけてきた。
「お願いがあるのですが……」
「どうした?」
「王都のお土産を持って、実家へ行きたいのです」
「実家?」
思わず聞き返す。
そういえば、マリアンヌの実家には結婚してから一度も行っていなかった。
「……実家か」
正直に言えば。
ちょっと面倒だ。
貴族の家同士の付き合い。
義理の両親。
挨拶。
気を遣う会話。
考えただけで疲れる。
だが。
隣を見る。
マリアンヌがこちらを見ている。
「……まあ」
俺は小さく息を吐いた。
「マリアンヌの家族を無視するわけにもいかないしな」
「本当ですか?」
「うん。行こうか」
マリアンヌの顔がぱっと明るくなった。
「ありがとうございます!」
「そんなに嬉しいのか?」
「はい。久しぶりですから」
「そうか」
それなら、行く価値はある。
俺は立ち上がりながら考える。
「ところで、お土産って何がいいんだ?」
「え?」
「せっかく持っていくんだろ。家族は何が好きなんだ?」
マリアンヌは少し考えてから答えた。
「お姉様は動物が大好きです」
「動物?」
「はい。昔から大好きで、猫や犬を見つけるとすぐに近寄っていくんです」
「なるほど」
それなら。
「お父様は、落ち着いた感じの小物がお好きです」
「ふむ」
「お母様は可愛い物が好きです!」
「……なるほど」
俺は少し考える。
そして。
「ん」
「はい?」
「DCIFでいいんじゃね?」
「DCIFですか?」
「ああ。動物柄のものもあるし、落ち着いた小物もある。可愛いものも色々あるだろ」
俺は思い出しながら指を折る。
「お姉さんには猫とか犬の小物。お父さんには財布とかネクタイみたいな落ち着いたもの。お母さんにはブローチとか髪飾りとか……」
「たくさんありますね」
「せっかくだし、いくつか選んで持っていこう」
「ありがとうございます」
マリアンヌが嬉しそうに笑う。
その顔を見て、まあいいかと思う。
実家に行くのは面倒だ。
でも。
マリアンヌが喜ぶなら、そのくらいはしてやりたい。
俺はセバスを呼んだ。
「旦那様、お呼びでしょうか」
「マリアンヌの実家へ行くことになった」
「承知いたしました」
「それと、土産を用意したい。DCIFの商品をいくつか見繕ってくれ」
「かしこまりました」
セバスは一礼すると、すぐに準備を始めた。
しばらくして、いくつかの商品が並べられる。
「これは?」
「奥様のお姉様でしたら、こちらの猫を模したブローチなどはいかがでしょう」
「いいな」
「こちらは奥様のお父上に。落ち着いた色合いの財布でございます」
「それで」
「お母様にはこちらの髪飾りなど」
「うん、それも」
次々と商品を選んでいく。
「こちらのハンカチも奥様のお母様にはお似合いかと」
「それも」
「こちらの小物入れは――」
「それも」
「この猫の刺繍入りのバッグなども――」
「それも」
セバスの手元から商品がどんどん減っていく。
気づけば、かなりの量になっていた。
「……こんなにいるか?」
俺が首を傾げる。
セバスは一瞬だけ黙った。
(……旦那様が選ばれた結果でございますが)
口には出さない。
「旦那様がお選びになった結果でございます」
「まあ、そうか」
俺は全部まとめて空間収納へ放り込んだ。
「よし」
「本当に全部入れましたね……」
マリアンヌが苦笑する。
「便利だからな」
「ふふ」
その様子を見ながら、セバスは思った。
(……奥様のご家族への土産とはいえ、少々多すぎる気もいたしますが)
まあ。
旦那様らしい。
そう思ったところで。
ルードリッヒがふと顔を上げた。
「……待て」
「はい?」
「マリアンヌの子供の頃のものって、実家にまだ残ってるよな?」
「え?」
マリアンヌが目を丸くする。
「昔使ってた髪飾りとか。絵とか。そういうの」
「たぶん……残っていると思います」
「じゃあ、見せてもらおう」
「え?」
「見たい」
即答だった。
セバスの眉がほんの少しだけ動く。
(……そちらまで参りますか、旦那様)
「私の昔のものを、ですか?」
「ああ」
俺は頷いた。
「だって、マリアンヌが子供の頃って、どんなだったのか気になるじゃん」
「……ルー様」
「今のマリアンヌも可愛いけどさ」
少し考える。
「昔のマリアンヌも、絶対可愛かっただろ」
「…………」
マリアンヌの顔が赤くなる。
「そ、そんな……」
「いや、絶対だ」
「どうして分かるんですか?」
「今が可愛いから」
「…………」
マリアンヌは困ったように笑った。
だが、耳まで赤い。
可愛い。
「それに」
俺は続けた。
「もし子供の頃のマリアンヌが描いた絵とか残ってたら、それも欲しい」
「欲しい?」
「ああ。屋敷に飾りたい」
「……私の絵を?」
「うん」
俺は当然のように答える。
「今の絵もいいけど、子供の頃のマリアンヌが描いた絵なんて、一生残しておきたいだろ」
「……ルー様」
マリアンヌが困ったように笑う。
「本当に、私のことが好きなんですね」
「今さら?」
「ふふっ」
マリアンヌが笑った。
その横で。
セバスは静かに目を閉じた。
(…………)
そして心の中で。
(……旦那様)
(さすがに少々、気持ち悪いですぞ)
ほんの少しだけ。
ほんの少しだけ、本気でそう思った。
だが。
マリアンヌを見る。
頬を赤くしながら、それでも嬉しそうに笑っている。
(……まあ、奥様がお喜びならよろしいのでしょう)
セバスは何も言わなかった。
むしろ。
少しだけ口元を緩める。
(しかし、子供の頃の奥様の絵まで欲しがるとは……)
(旦那様も、ずいぶんと変わられましたな)
昔の旦那様なら。
そもそも妻の実家へ行くこと自体を面倒がっていただろう。
それが今では。
妻の家族への土産を大量に選び。
妻の幼少期の思い出まで欲しがっている。
(……嫁バカにも、ほどがございますな)
「セバス」
「はい、旦那様」
「何か変な顔してないか?」
「いいえ」
セバスは完璧な執事の笑顔を浮かべた。
「大変、奥様思いの旦那様でいらっしゃると思っております」
「普通だろ?」
「……左様でございますね」
全然そう思っていない顔だった。
こうして。
実家へのお土産選びは。
いつの間にか、
『マリアンヌの家族を喜ばせる』
だけではなく。
『マリアンヌの幼少期をもっと知りたい』
という、俺の嫁バカ全開の目的まで追加されたのだった。
そして。
その日のうちに、俺たちはマリアンヌの実家へ向かうことになった。
朝のうちに屋敷を出発する。
「それでは、行ってまいります」
「お気をつけてお帰りくださいませ」
セバスたちに見送られ、俺たちは馬車へ乗り込んだ。
目的地は、ネコスキー男爵家。
フェルネ領から馬車で半日ほどの距離にある。
最初のうちは、見慣れた領内の景色が続いていた。
畑。
牧草地。
小さな村。
道沿いに並ぶ木々。
王都へ向かったときとは違い、少しずつ人の姿が減っていく。
「……のどかだな」
窓の外を眺めながら呟く。
「そうですね」
マリアンヌも隣で外を見ている。
その表情は、どこか懐かしそうだった。
「この辺、昔よく通ったのか?」
「はい。子供の頃、父に連れられて何度か来ました」
「へえ」
「この先に小さな森があるんです」
「森?」
「はい。お姉様とよく遊びに行きました」
マリアンヌが楽しそうに話し始める。
「お姉様は木登りが好きで」
「木登り?」
「はい。私は怖かったので、下で待っていることが多かったです」
「……なんとなく想像できるな」
「ふふ。お姉様は昔から元気だったんですよ」
マリアンヌは笑う。
「私が転んだときも、すぐに助けてくれました」
「へえ」
「お姉様は少し乱暴なところもありましたけど、とても優しかったです」
「なるほどな」
俺はマリアンヌを見る。
今まで知らなかった。
妻が子供の頃、どんな生活をしていたのか。
誰と遊んで。
何が好きで。
どんなことで笑っていたのか。
「……もっと聞かせてくれよ」
「え?」
「子供の頃の話」
「そんなに面白くないですよ?」
「それでもいい」
マリアンヌは少し驚いた顔をして、それから嬉しそうに笑った。
「では……」
それからしばらく。
マリアンヌは昔の話をしてくれた。
姉と一緒に庭で遊んだこと。
母に怒られたこと。
父に本を読んでもらったこと。
家の近くにいた猫を姉と二人で可愛がっていたこと。
「その猫、今もいるのか?」
「さすがにもういないと思います」
「そうか」
「でも、お姉様は今でも猫を見るとすぐに近寄りますよ」
「筋金入りだな」
「ふふっ」
マリアンヌは楽しそうだった。
俺も聞いていて面白い。
こういう話をする機会は、今まであまりなかった。
気づけば、馬車はかなり進んでいた。
窓の外の景色も変わっている。
大きな街道を外れ、緑の多い道へ。
「もうすぐですね」
「分かるのか?」
「はい。見覚えがあります」
マリアンヌは窓の外を見る。
その横顔が、少しだけ幼く見えた。
俺はふと思う。
この先に。
マリアンヌが育った家がある。
そこには、俺がまだ知らない妻の姿を知っている人たちがいる。
どんな家族なんだろう。
父親はどんな人なのか。
母親は。
そして――。
「お姉さん、結構元気なんだな」
「はい。とても元気です」
「じゃあ、会うのが楽しみだな」
「本当ですか?」
「まあな」
俺は笑う。
正直。
実家に行くのは面倒だと思っていた。
でも。
マリアンヌがこんなに楽しそうなら。
来てよかったのかもしれない。
「ルー様」
「ん?」
「ありがとうございます」
「何が?」
「一緒に来てくださって」
「……まあ」
俺は少し照れながら窓の外を見る。
「君の家族なんだから、ちゃんと会っておかないとな」
「はい」
マリアンヌが嬉しそうに微笑む。
そして。
馬車はゆっくりと、ネコスキー男爵領へ入っていった。




