ドッグランが出来ただと?マジかよ いくわ!
「最近、隣の領地では猫カフェという店が流行っているらしい」
イヌール家の執務室にて、領主のカマーセ・イヌールは報告を聞いて眉をひそめた。
「若造領主め……」
隣領のフェルネ伯爵が最近、猫と触れ合える店を作り、領内で人気を集めているらしい。カマーセは腕を組んだ。
「ふん。そちらが猫ならば――こちらは犬だ!」
家臣たちは顔を見合わせる。
(やっぱりそうなりますよね)
「犬を集めて、同じような施設を作るのだ!」
「かしこまりました」
誰も反対しなかった。そして何より、カマーセが犬好きなのは家臣たちにはとっくにバレていた。
ところが、最初の計画はかなり雑だった。
「犬は、とりあえず五匹ほど」
「うむ」
「餌は朝夕二回」
「うむ」
「庭に放しておけば運動も――」
「待て」
カマーセが顔を上げる。
「犬の餌とは、何を食わせるのだ?」
「……犬用の餌を」
「それは何だ?」
「……さあ?」
「何回食べさせればいい?」
「朝と夕方……でしょうか?」
「量は?」
「犬が食べるだけ……?」
「運動は?」
「庭を走らせればよろしいかと」
「…………」
カマーセは計画書を見つめた。
「お前たち」
「はい」
「犬を飼ったことは?」
「ありません」
「私もない」
「…………」
「…………」
「では、とりあえず五匹ほど飼ってみましょう」
「うむ」
こうして五匹の犬がやってきた。最初は順調で、犬たちは元気だったし餌も食べ、庭も走った。
「なるほど。これなら問題ないな」
カマーセは満足そうに頷いたが、家臣たちは(問題はこれからなんだよなぁ)と苦笑した。
そして数日後。
「旦那様」
「何だ?」
「こちらの犬が餌を残しております」
「……何?」
カマーセが犬を見る。
「こっちは?」
「全部食べました」
「こいつは?」
「少ししか食べておりません」
カマーセは犬たちを見比べた。
「……餌を変えろ」
「ですが、同じ犬用の餌で――」
「犬にも好みがあるだろう!」
「…………」
さらに。
「旦那様、こちらの犬はあまり走りません」
「庭が狭いのではないか?」
「十分広い庭ですが……」
カマーセは犬たちを見る。
「……いや。もっと走りたいのではないか?」
「…………」
「もっと広い場所を作れ!」
「は、はい!」
家臣たちが慌てて動き始める。その後も、寝床が狭い、水が足りない、暑そうだ、寒そうだ、遊ぶ場所が必要だ、他の犬と喧嘩しそうだ……と、問題が出るたびカマーセは騒いだ。
「もっと犬が快適に過ごせるようにしろ!」
最初は猫カフェへの対抗だったはずが、いつの間にか完全に犬のための施設作りになっていた。
完成したのは広大な運動場、犬同士を遊ばせる区画、水飲み場、休憩所、犬用の食事、飼い主が休める場所、さらにはしつけを学べる場所まである施設だった。
「旦那様」
「何だ?」
「……これ、かなり本格的な施設になっておりますが」
「当然だ」
カマーセは真顔で答えた。
「犬が快適に過ごせない施設など作ってどうする」
家臣たちは顔を見合わせた。
「……旦那様」
「何だ?」
「もしかして、犬がお好きなのでは?」
「違う!」
即答だった。
「これは事業だ! 隣領の猫カフェに対抗するためのものだ! だから犬が快適に過ごせるようにしているだけだ! 犬が喜ぶ顔が見たいとか、そういうことではない!」
「……はい」
その足元に一匹の犬が寄ってきた。「わん!」と尻尾を振る犬にカマーセが振り返り、しゃがみ込む。
「……どうした?」
犬が手を舐める。
「…………」
「…………」
「……ふふ」
カマーセは笑った。
「可愛いな、お前は」
家臣たちはそれを見て(やっぱり犬好きじゃん)と思ったが、カマーセは気にしなかった。
「よし。これでルードリッヒを迎える準備は整った」
「…………」
家臣たちは嫌な予感がした。
「旦那様」
「何だ?」
「ルードリッヒ様が来ると決まったわけではありませんが」
「来る。絶対に来る」
カマーセは自信満々だった。
「猫カフェの対抗施設だぞ? 隣領主なら気になるに決まっている。そして私の犬施設を見て驚き、その後領主邸に来る。そこで私と会談だ」
「はい?」
「『素晴らしい施設だった』と言われる」
カマーセは腕を組み、少し低い声を作る。
「『ふん。犬好きならば当然の施設だ』……いや」
カマーセは首を振る。
「『貴殿の猫カフェも大したものだ。だが、犬も悪くないだろう』……いやいや、もっと余裕を見せるべきか」
また考える。
「『まあ、せっかく来たのだ。茶でも飲んでいけ』」
「…………」
家臣たちは何も言わなかった。
「よし。領主邸も整えておけ」
「すでに整っております」
「茶は?」
「用意しております」
「菓子は?」
「用意しております」
「客間は?」
「整えてあります」
「犬施設の資料は?」
「こちらに」
家臣が分厚い資料を差し出す。
「よし」
カマーセは満足した。さらに、
「入口で待つ必要はないな」
「はい?」
「いや、待っていたらこちらが楽しみにしているように見える。少し余裕を見せる」
そう言って執務室へ戻った。
だが、五分後。
「……来たか?」
「まだです」
十分後。
「……まだか?」
「まだです」
二十分後。
「ルードリッヒは?」
「まだ来ておりません」
三十分後。
「本当に来るのだろうな?」
「……施設には来る可能性が高いかと」
「よし!」
カマーセは立ち上がった。
「では玄関で待つ!」
「先ほど余裕を見せると――」
「気が変わった!」
「はい……」
結局、カマーセは玄関で待機した。服装も完璧、髪も整え、挨拶の言葉も考え、茶も資料も用意した。さらには、
「この角度なら、犬施設の全景も見えるな」
「…………」
窓際の位置まで調整していた。
「ここでルードリッヒを迎える。そして一緒に施設を見る。その後、屋敷へ」
「はい」
家臣たちは(旦那様、完全に楽しみにしてるな)と思った。
そして、ついに。
「旦那様!」
「来たか!?」
「フェルネ伯爵様が施設にお見えになったようです!」
「よし! では、そろそろこちらへ来るな!」
「…………」
家臣は黙った。
「どうした?」
「いえ……」
なんとなく嫌な予感がする。
その頃、施設では――。
「……おお」
俺はドッグランを見ていた。犬たちが走り回っている。
「すごいな」
マリアンヌが笑う。
「可愛いですね」
犬が寄ってきた。「わん!」と挨拶する犬の頭を、マリアンヌが「ふふ。こんにちは」と撫でる。クラリッサも嬉しそうだ。
「まあ、人懐っこいですわね」
俺もしゃがみ込む。
「お前も可愛いな」
犬が尻尾を振り、手を舐められた。
「おお……」
なんか嬉しい。
その後も俺たちは施設を見て回った。犬が走り、遊び、水を飲み、昼寝している。
「ここ、いいな」
「はい」
マリアンヌも楽しそうだ。
「犬たちも楽しそうですね」
「ああ」
クラリッサも笑う。
「また来たいですわ」
「俺もそう思う」
気づけばかなりの時間が経っていた。
「そろそろ帰るか」
「はい」
俺たちは満足して施設を出た。そしてそのまま帰り、領主邸には寄らなかった。挨拶もしなかった。カマーセ・イヌールという領主がいることすら知らず、ただ犬と遊びに来ただけなのだから。
その頃――。
「…………」
カマーセは玄関で待っていた。
「まだか?」
「……はい」
「遅いな」
「……はい」
「もう施設は見ただろう?」
「はい」
「なら、そろそろ来るはずだ」
「…………」
さらに三十分。
「……まだか?」
「旦那様」
「何だ」
「施設にはいらっしゃったそうです」
「うむ!」
「ですが――」
「うむ?」
「そのまま帰られたそうです」
「…………」
「領主邸には、お見えになっておりません」
「…………」
沈黙。
「挨拶も?」
「されておりません」
「…………」
カマーセの顔が引きつった。
「……帰った?」
「はい」
「犬と遊んで?」
「はい」
「私には会わず?」
「はい」
「…………」
そして。
「ルードリッヒィィィィィ!!」
屋敷中に怒号が響いた。
「貴族たるもの、他領へ来たのなら領主邸に挨拶しに来るのが常識だろうがー!」
「旦那様、落ち着いてください!」
「私はずっと待っていたのだぞ!」
「……そもそも、犬と遊びに来ただけなのでは?」
「それでもだ!」
カマーセは机を叩く。
「せっかく私が作った最高の犬施設を見せてやったというのに!」
「旦那様」
「何だ!」
「……やはり、お好きなのでは?」
「違う!」
即答だった。家臣たちは顔を見合わせ、そして笑った。
「次に来たときは絶対に挨拶させてやるからな、ルードリッヒ!」
その頃、俺は馬車の中で。
「……楽しかったな」
マリアンヌが笑う。
「はい」
クラリッサも頷く。
「また来たいですわね」
「ああ」
俺は満足していた。隣領主の怒りなど、知る由もない。
「犬はいい」
本当に。
「犬もいいな」




